1-10 もう一人の容疑者

翌日、私たちは今、事件解決のためにある人物のもとに向かっていた。


「宇田、ここですね」


 表札に刻まれた文字は宇田、家の作りはどこにでもあるありふれた二階建ての一軒家だ。


 ここにいるのは七草くんと私だけ、倉敷さんも久能さんもいない。


 インターホンを鳴らすと六十代ぐらいの女性が出てきた。


 警察だと名乗ると、慌てふためき家にあげて貰うことになった。


 宇田さんはそわそわと落ち着かないようすだ。


 まあ、一般家庭が警察に関わることなんてほとんど無いんだからおかしくもないと思うが、もしかしたら宇田さんは警察が来ることに心当たりがあるのかもしれない。


「えっと……。警察が我が家に一体なんのご用でしょうか?」


「貴女の娘である宇田 理奈うだ りなさんにお話を聞きたく、急にお邪魔してすみません」


「それは良いんですけれど、あの子が出てきてくれるかどうか……」


 宇田さんは気まずげに視線をそらす。


「そもそも、警察が私の娘に何を聞きに来たのですか?あの子は高校から引きこもってしまって、そとに出るなんて滅多に無いことなんです」


 えぇ、知っていますとも。


「長谷川恵さんが殺された事件はご存じでしょうか?我々はその事件の調査のために参りました」


 被害者の名前、長谷川恵と告げると宇田さんの目に敵意が写り混む。


 その敵意は私たちに向けたものではなく、長谷川恵に向けられたものだ。


「知っていますけど、それでうちとなんの関係があるんですか」


 言葉に刺々しいものが感じられる。


 まぁ、当たり前のことだろう。


 だって、宇田さんのむすめである宇田理奈は学生時代に長谷川恵に恋人を奪われ、虐められ、不登校に追い込まれた被害者なのだから。


「その事件で、宇田理奈さんに長谷川恵を殺した容疑がかかっています」


 ダン!__


 宇田さんは机を叩き、立ち上がる。


「出ていってください!」


 娘を虐めて不登校に追い込んだ人が殺されて、その容疑が娘にかかっていると言うのだから母親である宇田さんの心中は荒れに荒れて、冷静でいられないだろう。


「それはできません。事件解決のため、被害者のため、犯人のため、冤罪をかけられる危機に身をさらしている容疑者達のため、我々は帰るわけにはいきません」


「そんなこと、知りません!貴女達で勝手にやっていて!もう、あの女に関わりたくないの!理奈は最近立ち直ってきて、内職を始めたのよ。娘の邪魔をしないで!」


「それはできません。貴女は娘さんが疑われ続けてよいのですか?」


「そ、れは……」


 誰だって、家族が犯罪者ではないと信じたいだろう。


「……でも」


 これ以上、娘の苦痛の根元足る長谷川恵に関わらせたくないのだろうが、このままでは娘が殺人犯と疑われたままになってしまう。


 宇田さんは葛藤の末、宇田理奈さんを呼んできてくれることになった。


 全ては、娘の名誉のために。


「七草くん」


「なに?」


「本当に、宇田理奈が犯人なの?」


「それを確認するためにここに来たんでしょ?」


「そうですね……」


 そう、これで容疑が晴れれば良いのだ。


 捜査は最初に戻ってしまうけれども、疑いが晴れれば……。


 扉を開く音に気を引かれ、扉の方を見ると宇田さんと宇田理奈さんがいた。


 宇田理奈さんは髪がボサボサで、着ている服はトレーナー、目の下には濃い隈が刻まれており顔色が悪い、手は胸の前ので組まれ、視線は右往左往と落ち着きがない。


「貴女が宇田理奈さんですね」


 私が立ち上がり、近づこうとしたときだ。


「理奈!?」


 弾かれたように宇田理奈さんは走りだし、外に出てしまった。


「逃げた!」


「日乃屋刑事は追って、俺は確認することあるから。捕縛術は心得あるでしょ?」


「……分かりました!」


 七草くんを一人、置いていくのは不安だったが背に腹はかえられない。


 私は急いで宇田理奈を追いかけるために外に飛び出す。


「どっちに……」


 右か、左か。


 見回し見てると左方向に駆けていく宇田理奈が視界に入った。


「こっちか!」


 警察学校で鍛えた体力を遺憾なく発揮するときだ。


 逃げる宇田理奈を追いかける。


 引きこもっていた宇田理奈と、警察である私では体力さがあるものの、地の利は向こうにある。


 いりくんだ細い道を使ったり、所々ショートカットをしている。


 だが、体力差は埋まらない。


 だんだんと距離が詰められていき、ついには追い詰められた。


「大人しくして下さい」


「い、いや!」


 正面に回り込まれてしまった宇田理奈は怯えたように周囲を見回して、来た道を戻ろうとした。


 だが、即座に拘束されてしまった。


 犯人の捕まえるための対人戦闘に慣れている警察官と、長い間引きこもっていた人間、どちらが勝つかなんて見えた勝敗だった。


「これ以上暴れるのならば公務執行妨害で逮捕します」


 どうにかに逃れようと暴れていた宇田理奈の動きが大人しくなった。


 暴れた影響か、袖が捲れあがり手のひらに巻かれた包帯が見えた。


「宇田理奈さん、お話をうかがいたいのですが……。良いですね?」


「……はい」


 私は逃げられないように、しっかりと宇田理奈の腕を掴んで宇田家に向かう。




誰かの視点


日乃屋を見送った七草は真剣な表情で宇田理奈の母に向き直る。


「宇田さん、最近冷蔵庫を買いませんでしたか?鉄バットが入りそうなサイズのものを」


「え……?」


 宇田理奈の母は宇田理奈が逃げるとは思っていなかったのか、状況が飲み込めていないようで生返事がかえってきた。


「多分、それくらいの大きさの荷物が来てましたから……」


「そうですか」


 七草は少し考えて、口を開く。


「宇田理奈さんの部屋を見せて貰いたいです」


「む、娘の部屋ですか?いや、本人がいないのに……」


 宇田理奈の母は悩む。


 無罪であると、殺人など起こしていないと信じた娘が家を飛び出し、逃げ出したから疑念が生まれたのだ。


 もしかしたら、憎い長谷川恵を殺したのは娘かもしれない。


 それなら、部屋に通した方がいいのではないか。


 でも、娘を信じたい。


 考えて、考えて、考えて、結論を出した。


「……こっちです」


 宇田理奈の母は娘の無実の証明のため、証拠なんて何もないと思い知らせるべく、七草を娘の部屋に案内した。


 案内されたのは二階の角部屋だ。


 中はそれなりに片付いているが、物の数が多い。


 七草は持ってきていた手袋をはめて、目を付けていたあるものを持ち上げる。


 それはごみ袋に包まれた衣服だった。


 ごみ袋の結び目をほどき、中の物を取り出す。


 宇田理奈の母が息を飲む。


 出てきたのはハイブランドであり、被害者である長谷川恵が愛用するブランド“KAU・RUDA”のコートだった。


 焦げ茶色のコートの首の回りや肩の部分、袖口には赤黒いシミが付いており、何より目立つのは“KAU・RUDA”のロゴの部分、“A”“U”“D”の部分にも赤黒いシミが付いていた。


 パラパラとコートに付着していた砂が床に落ちる。


 監視カメラに写っていた被害者が来ていたはずの暗い色のコート、第一発見者が見つけた頃には綺麗さっぱりと無くなっており行方も分からなかったコート。


 その所在は、宇田理奈の自室だった。


 七草はコートを袋のなかに戻し、次の物に視線を移す。


 それは宇田理奈の母が言っていただろう荷物の正体、細長いか達をした冷凍庫だ。


 冷凍庫の蓋を開けると、そこには冷凍庫にギリギリ入るだろう大きさのプラスチックの箱が入っていた。


 蓋を閉めて、今度は部屋に置かれているパソコンに向かう。


 もしかしたらロックをかけていないかもしれない。


 そう思って操作をして見るも、最初の画面でパスワードを求められてしまう。


 求められたパスワードのヒントは“愛しかった人”だった。


「……これは本人の開けて貰うか」


 七草はコートの入ったごみ袋をもって玄関に向かう。


 いくらかすると、日乃屋と宇田理奈が帰ってきた。


 七草の手元にあったごみ袋を見た宇田理奈は元々悪かった顔色をさらに悪くする。


「推理、聞きたい?」


 宇田理奈の母は頷いた。


 娘の無罪を信じて。

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