第96話 ただそれだけの話。
見慣れた道を通り、すぐにコルタナの屋敷まで向かうことになった。
前回訪れた収穫祭の頃とはまったく違った雰囲気の里に思わず息を呑んだ。
いっそ排他的と言っていいくらいに視線が刺さる。
なんでこの時期に人が……なんて声が薄っすらと鼓膜へ届いた。
まるで市中引き回しにされているかのような疎外感。
しかしガトロもケイも気にするような素振りを見せない。
これがお互いのプライドだと気付いたのはしばらくしてからだった。
「中で首長がお待ちだ。失礼のないようにな」
「ありがとう」
ガトロはそう言って扉の隣に、壁を背にして立つ。
ここからはお前達で何とかしろと、そういうことだろう。
無意識に浅くなっていた呼吸を深呼吸で上書きする。
「ここからはお前の問題だ。大丈夫、一番傍で見守ってるからな」
「ありがとう……ケイ」
「いいんだ。これが兄貴分の役目ってやつだよ」
その言葉がどれだけ俺に勇気を与えてくれたか。
人種はおろか、種族すら違う妖猫族。
ただ猫竜と共に暮らしているという共通点だけで俺を家族と呼んでくれた……兄さん。
俺はどれだけこの人に救われて来ただろう。
どうか、この人に見捨てられるような恥ずかしい生き方だけはしたくない。
その為には……。
俺はドアノブに手を掛け、ゆっくりと捩じり、戸を引いた。
扉を開くと、以前はもぬけの殻だったそこにはちゃんとコルタナが座っていた。
思わずごくりと唾を飲み込んでしまう。
いてほしかったし、いてほしくなかった。
そんな相反する気持ちが俺の中でグルグルと渦巻き、口から出てきそうだった。
唾も気持ちも飲み込んで、一礼して俺はコルタナの部屋へと入った。
「やぁ、久しぶりだね」
「ご無沙汰してます」
「それで?」
ジッと俺を見る目は『しっかりと殺してきたのか』と問いかけていた。
長めの瞬きをして鼻から吸った息を吐く。
「灰爬族と魔狼族への被害はこれ以上出ません」
「ほう?」
「依頼は達成しました」
「ほうほう」
違う、そうじゃない。
分かっている。
分かっているけれど、あの見透かした目がどうしても怖い。
「それで報告は全部かな?」
「……」
「ん?」
「……猫竜は、殺していません」
スッと目を細めたコルタナが、俺の心の内へと入り込んでくるような気がした。
けれど、こうなることは分かっていた。
だから俺は目を逸らさない。
ジッと見返して、はっきりともう一度宣言した。
「猫竜は殺しませんでした」
「それは何故?」
「話し合いで解決できると思ったからと、個人的に猫竜を殺すという行為がどうしても嫌だったからです」
「でも君は自分の望みを叶えたくて、私の依頼を受けたんだろう? 依頼主の意向に従うのが筋ではないかな?」
正論だ。
何も間違っちゃいない。
全部俺の我儘でしかないと、改めて釘を刺される。
でももう、あの黒猫竜を殺そうなんてどうしても思えなかった。
「……俺の望みは忘れてもらっても構いません。ただ、あの猫竜を殺すのだけやめていただきたい」
「生きていたらまた他所の里に被害が出るかもしれないだろう?」
「そうはさせません。共に暮らして、絶対に他へ危害を加えるなんてことはさせません」
「ふむ……そうか。共に暮らすと来たか。なるほど、すでに猫竜と暮らしている君だからできる発想だね」
「灰爬族、魔狼族両里からの陳情はこれで解決です。解決にしてください。どうかお願いします」
静かに頭を下げる。
俺の問題だからと黙って見届けてくれていたケイも隣で頭を下げてくれているのが分かって、ジンと胸が熱くなった。
数秒か、数分か、数時間か。
そう思えるような重い沈黙。
実際にはきっと1分かそこらだっただろう。
耳に刺さる沈黙を破ったのはコルタナが小さく息を吸う音だった。
「まぁ……私は件の猫竜に対して何の恨みもないから、どうしても殺したいとも思っていない。始末した方が君への罰となるだろうと判断したから、ああ言ったまでだ」
「……」
やっぱりな……そうだろうとは思っていた。
「しかし君は機転を利かせて上手く罰を逃れ、君が思う最良の結末へと現実を導いた。であればあれを罰と思い、与えた私の思い上がりだったのだろうね……あれは君への試練だったのかもしれない」
「試練、ですか?」
顔を上げると、目が合ったコルタナはうん、と首肯した。
「思い上がった小僧の前に立ちはだかった大きな試練。ということであれば君はそれを見事に打ち破った、と。そう解釈できるだろう?」
「それは……あまりにも都合が良いと言いますか……」
「良いじゃないか。都合は良ければ良い程良い。そうだろう?」
確かにそうだな……都合が悪いというのは、自分も相手も嫌な思いしかしないからな。
「私はご都合至上主義なのだよ、クライン」
「……ありがとうございます。この恩は決して忘れません」
「ハハッ、恩だなんて嫌な言い方をするね、君は。良き隣人の頼みを、良き隣人が聞いてくれた。これはただそれだけの話さ」
罰だとか、試練だとか、そんなのは建前や考え方で。
結局俺やコルタナは同じ森に住む者同士のお悩みを解決しただけだった。
ただ、今回のことは俺に多くの事を考え直し、多くの事を学ぶ良い経験だった。
「さて、良き隣人のお悩みと言えば君の里の話がまだだったね」
「あ、いや、それは」
「解決しようじゃないか。ただ、私もこう見えて年を取った……全盛期のようにはいかないかもしれないし、少し時期も悪いが、力になるよ」
「ありがとうございます……!」
もう一度深く頭を下げる。
「さて、これで話は全ておしまいだ。都合が良い時に君の里へ顔を出そう。それまで、新たな家族となった親子共々健やかに暮らすように」
「あ……はい。わかりました」
見透かしたような目で俺を見つめ、ニヤリと笑うコルタナ。
思わず俺も困ったような、変な笑みを浮かべてしまう。
本当に、この人には敵わないな……。
最後に会釈して、俺とケイはコルタナの執務室を後にするのだった。
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