第94話 慈愛。
「そうだガガルガ殿。酔い潰れる前に話が」
「なんだ、畏まって。もっと気楽に話せ!」
語気の粗さからもう割と酔っているのが伺える。
この人、お酒弱いんだな……収穫祭の時はもう結構飲んだ後かと思っていたが、多分飲み始めたばかりだったんだろうな。
一応、合わせて砕けた話し方にしてみる。
「黒猫竜が奪った乳牛なんだけど、まだ生きてると思うんだ。こっちも必死だったから確認はできてないんだけど、鳴き声が聞こえたから」
「本当か!? そいつは助かる。場所は?」
北に向かって進んで台地に来て、魔狼族の里を見て右手だから……。
「台地の西の端の崖下だ。上から行くのは厳しいと思う」
「大丈夫だ、ちゃんとルートがあるから。いやぁ、嬉しいなぁ!」
「怪我してるかもしれないけれど、助けられそうかな。あれだったら手伝うけど」
「いや、お前らは明日にでも灰爬族の里に向けて出発しろ! 俺らのことは気にせんでいいからな!」
確かにオデッサにも報告して黒猫竜のことを相談しなければならない。
今日と同じことを話すつもりだが、どういう対応をしてくるのか……。
不安だがやるしかない。
翌朝、出発前に俺が住む場所の位置を教えておいた。
何かあった時、すぐにとは言えないけれど、連絡ができるようにしておく為だ。
「なんだ、お前ら草原を挟んで暮らしてるのか」
「元々アルターゴブリンの拠点があった草原で、勝手にアルゴ草原って名付けてます。分かりやすいかなって」
「アルゴ草原、いいな。頻繁に使う場所だし、名前があると便利かもな」
ケイも賛同してくれて嬉しい。
勝手に名付けたものだけれど、浸透していくと嬉しいな。
「アルゴ草原まで来てもらえたらケイもモチも気付くと思います。何かあった時はここで」
「分かった。その時はよろしく頼む」
遠く離れた魔狼族の里からアルゴ草原まで来るようなことは恐らくないだろうが、あるという可能性を常に頭の片隅に残しておこう。
「じゃあ、そろそろ行きます」
「気を付けてな。また来いよ!」
魔狼族の里を惜しまれながら出発し、柵の道を抜けてドルミナ山を背にまっすぐに灰爬族の里を目指す。
灰爬族の里から魔狼族の里へ向かう時は大変に思えた道も、帰り道となると自然と足は軽くなる。
しかしこれからやるべきことを考えれば心は重かった。
数時間後、日が天辺を過ぎて夕日になる前の白くぼやけ始めた頃に俺達は灰爬族の里へと到着した。
今日は比較的暖かいからか、湖では数人の灰爬族が泳いで遊んでいるのが見えた。
そのうちの一人が俺を見つけて手を振る。
それに振り返していると、やはりどうしても隠しようがないからか、黒猫竜も見つけてしまって大慌てで桟橋へと逃げていってしまった。
「どうしよう……」
「やっぱり隠れてもらってた方が良かった……かな?」
イリスの提案が正解かもしれないが、今更遅い。
あ、シュレイドが走ってくるのが見えた。
……拙いな、槍を持ってる。
「これ拙くないか?」
「絶対良くないってこれ……!」
ウーゴの冷静さを以てしてもケイは慌てふためく。
「シュレイド! 落ち着いてくれ!」
「今助けるぞ、クライン!」
「止まってーーーー!」
槍を腰だめに走り寄るシュレイドから黒猫竜を守る為、俺は間に立って両腕を広げた。
□ □ □ □
「本当に驚いたぞ。先触れを出すとかもう少しやりようがあったろうに」
「考えが足りなかったよ……本当にごめん」
現在、俺達はオデッサの屋敷で食事をしていた。
あの後、シュレイドは俺達の様子から槍をおろしてくれて、どうにか話をすることができた。
誤解も解けたということで一先ず汚れた体を水浴びで清めて、今に至る。
俺の後ろでは黒猫竜の親子が同じように食事をしている。
誤解がないように言っておくと、あまりにも大所帯でテーブルが狭くて別れているだけで差別的な意図は一切ない。
モチも黒猫竜たちと一緒に食べてるしね。
「オデッサ様は?」
「そろそろ起きると思う」
シュレイドが寝室のあるカーテンを見ると、僅かにカーテンが揺れるのが見えた。
すぐにシュレイドが箸を置き、寝室へと向かう。
しばらくするとゆっくりとカーテンが開き、上体を起こしたオデッサの姿が目に入った。
オデッサの爬王眼がゆっくりと端から順に睥睨していく。
一同に緊張が走る。
そしてその眼が黒猫竜を捉えた。
沈黙が続き、最悪の展開を考えてしまうが……黒猫竜はそっと頭を下げた。
「ほう……なるほどね」
「オデッサ様」
「なんて顔してんだい、クライン。もしかして、私がこの猫竜をどうにかしようと思ってるんじゃないかぃ?」
「流石に考えますよ……嫌な展開も」
「ハッハッハ!」
膝を叩いて笑うオデッサからは殺気のようなものは微塵も感じない。
だが底の知れない人だ。
急に槍を投げてきたっておかしくなかった。
「クライン。私があんたに言ったこと、覚えているかぃ」
「……しっかりと考えた結果であれば、それは現実だ。向き合えばそれは、逃避じゃないと、仰いました」
「そう。これがあんたが考え続けて得た最良の結果だ。違うかぃ?」
違わなかった。
現実逃避として辻褄を合わせ続けた俺が引き出した最良の現実。
俺の考えの至らなさから始まったことではあるが、逃げなかったからこそ、今こうして食卓を囲めている。
「未来ある若者が導いた正解を、年寄りがとやかく言うなんて野暮なことはしないよ」
「ですがオデッサ様。俺はちゃんと話したい。今まであったこと、それに対する謝罪と、その上で未来の話を、ちゃんと話したい」
「もう話したじゃないか」
スッとオデッサの指が、子猫竜たちを指した。
「助けたいと言い、助けた。ここにいるということは魔狼族の坊やも説得したんだろぅ? それに一々寝たきりのババアが口を挟むようなことはしない。それが世の中ってもんだ。ただ、敢えて一言言うのであれば……」
布団を剥いでこちらへと向き直ったオデッサは、笑った。
その笑みからは、どんなに老獪な王者であるという強い印象があってもそれを覆す母のような慈愛に満ちていた。
「許すよ。死者も出なかったのだから。そして一人の親として、私はあんたを応援するよ」
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