第91話 崖下の戦い。

 大して広くもない崖下。

 狭い空から届く僅かな光を受けて精一杯に育った小さく細い木と少しの茂み。

 それらがお互いに日光を奪い合いながらぎゅうぎゅうと押し合いへし合い、暮らしている。

 冬が近いからか、それらは乾燥していた。

 だがまだ散るには少し早い。

 早いはずだったが……残念なことに黒猫竜の影が爆発したことで寿命は早まった。


 大して広くもない崖下を埋め尽くさんばかりに黒い影が広がっていく。

 これまでは黒い粒子という雰囲気だったが、今はもう粒子同士が繋がり、結びつき、確かな質量を感じさせる色濃い影となっていた。


「駄目だ、完全にキレてる……モチ、何であんなこと言ったんだ!」

「にゃあん」

「事実だからって言って良いことと悪いことがあるでしょ!」


 モチへの教育をしている場合ではなかった。

 あの攻撃をどう防ぐべきか。


 ただ単に黒猫竜へ突っ込んで吹き飛ばす?

 影が暴発するかもしれない。


 では何か魔法で防ぐ?

 防ぎ切れなかったら崖が崩落し、生き埋めになるだろう。


 どうするのが正解か、答えが見つからない。

 その間にも広がり続けた影は、今度は逆に凝縮していく。

 あの大規模な力が一点に集まっているのだ。

 どう考えたって悪い結果になるのは明白だった。


「どうする、モチ」

「……」

「くそ……っ」


 万事休すか……そう思ったその時だった。

 視界の端に何かが見えた。

 その目に映った物を見直そうと顔をそちらに向けると、そこには息絶えた鶏がいた。

 茂みの下で人知れず死んでいた。

 しかし吹き荒れる暴風が茂みを揺らし、俺の視界へと映った。

 この鶏は灰爬族の里から奪われたものだろう。

 生きたまま奪われたはずの鶏が死んでいる。

 死因はなんだ? 複数の怪我が見える。

 小さな傷だが、とても乱暴だ。

 まるで子猫に甚振られたかの、よう、な……。


 ハッとして振り返る。

 

 するとそこには、崖の傍で怯えた様子でこちらを伺う三匹の小さな黒い猫竜の顔が見えた。


「子供……やっぱりいたのか……!」


 気付いた時には、俺はモチから降りて子供たちの方へと走っていた。

 今の黒猫竜にはこの子たちのことが見えていない。


「モチィ! そいつをどうにかしてくれー!」

「にゃあん」


 背後にいるモチに聞こえるように大きく叫ぶ。

 届いてないかもしれないと思った。

 でも小さく、しかし確かに聞こえた。

 心強い声が。

 その声を背に受け、俺は走る。

 子供たちは何が起きているのか分かってないようで、怯えたまま動けないでいた。

 逃げないことを有難く思いながら、正面から覆うように体で隠す。

 何があってもこの子たちに被害が出ないように。

 俺の弱っちい体が盾として機能するか分からなかったが、それでも傷がつかないように、必死で抱き抱えた。

 背後からモチの咆哮が聞こえた。

 肩越しに覗くと、モチの魔力の波動が黒猫竜の影を吹き飛ばし、崖が削れていくのが見えた。


 その後のことは覚えていない。


 気付けば爆風にやられたのか、俺は子供たちを抱き抱えたままひっくり返っていた。

 頬を舐めるザリザリとした感触に目を覚ますと、モチの大きな顔がすぐそばにあった。


「あぁ、モチ」

「……」


 ゴツン、と額に額を押し付けられる。

 謝っているのだろう。

 でも俺はそんなことで謝られることが何だか面映ゆくて何も言わずにモチの頬を撫でた。

 ふと胸に抱いていた感触が消えていることに気付いた。

 慌てて上体を起こすと、体中が痛かった。

 反射的に閉じていた目を開くと、正面には横たわる黒猫竜と心配そうに寄り添う子供たちの姿が見えた。

 嫌な予感に緊張が走る。


「にゃあん」

「えっ、あぁ……そうか……良かった」


 『殺してないよ』という一言にホッと安堵の息を吐いた。

 どういう状況か確認したいが、背中を強かに打った所為かすぐに動けなかった。

 その様子を見たモチが代わりに黒猫竜の方へ歩いていく。

 モチに気付いた子供たちが父親を守ろうとして立ち塞がる。

 どう考えたって勝てるはずがない。

 しかし子供たちは道を開けようとしない。


「あっ」


 子猫竜の一匹がモチの足に噛みつく。

 俺から見ればじゃれているのと変わりない。

 でも子猫竜の顔は必死だ。

 しかしモチは動かない。

 ジッと見下ろして、子猫竜が実力の差を理解するまで動かないつもりなのかな。

 ……いや、あの子だって実力の差など初めから分かっていたはずだ。

 だからあの時、戦闘に加わろうとしなかった。

 今だって負けると分かってて挑んでいるのだ。

 残った2匹の子猫竜は、モチに噛みつく子猫竜を見て戸惑っていた。

 が、それでは駄目だと思ったのか、動き始めた。

 1匹は父親の上に乗って覆いかぶさる。

 もう1匹はモチに噛みつく兄弟を引き剥がそうとしていた。

 言葉は分からないが、それぞれが考えて動いているのが心で伝わった。

 だから俺は、どうしても涙を流せずにはいられなかった。


「モチ……」

「……」


 チラと振り返ったモチが俺を見て溜息を吐く。

 まるで心配している俺に呆れたかのように。

 それからジロリと俺を睨む。

 まるで信頼してた俺に失望したかのように。

 モチは前脚に噛みつく子猫竜の首筋を咥えて引き剥がし、俺の傍に連れてきた。

 そのままぽい、と胡坐をかいていた俺の膝の上に乗せた。

 それから父親を庇おうとしている子猫竜も咥えて俺の方へと連れてくる。

 噛んでいた子を引き剥がそうとしていた子はいつの間にか俺のところにいた。

 子猫竜3匹を預かった俺を見たモチは一言鳴いた。


 『そこにいろ』と。


 踵を返したモチが今度は黒猫竜の前に立つ。

 それから右足を振り上げ、振り下ろす。

 すると黒猫竜の真横から発生した波動が、黒猫竜を崩れた崖へと吹き飛ばした。

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