第90話 強者と弱者。
激戦に巻き込まれないように隅で待機していたケイ達の方へ走り出す黒猫竜。
突然の標的変更だったが、流石はケイ。
すぐに指示を出して散開する。
と言っても台地で逃げられる方向など高が知れている。
咄嗟に逃げ出した方向が被ったのはウーゴとケイ、イリスとケットだった。
運悪く男女で別れてしまったからか、黒猫竜はすぐに標的をイリス達へ定めた。
風の抵抗など一切感じられない走る姿は一層、美しいとすら思える程だった。
そんな場違いな思考をすぐに捨て去る。
「モチ!」
「ッ!」
弾かれたように駆け出すモチ。
耳鳴りすらする程の速度を、振り落とされぬように必死にしがみつく。
あまりにも早い速度は逆に周囲の景色を遅くするという話を聞いたことがある。
どういう理屈かは分からない。
けれど、このあまりにも速過ぎる世界の中で俺はモチの眼前に紫紺色の魔力の膜が発生するのが見えた。
その膜をモチが突っ込んだところまでは理解できた。
しかしその瞬きよりも早い一瞬の中、気付けば正面にはこちらへ走り込んでくる黒猫竜の姿が見えた。
驚いた黒猫竜の顔が見える。
引き攣ったような顔で、両の前脚を一瞬、ブレーキの為に揃える。
しかし思い直したのか、決心して再び走る姿勢を取ってこちらへ突っ込んできた。
その躊躇いが仇となった。
周囲の魔素を集めるモチ。
まるでアルターゴブリンと戦った時のような迫力。
その魔力を込めた咆哮が黒猫竜を吹き飛ばした。
「ガォォォオオオオォォオオォォオオオオン!!!」
空間にヒビすら入りそうな轟音は波動となって黒猫竜を襲う。
為す術もなく吹き飛ばされた黒猫竜は、最初に俺達が覗いた崖下へと落ちていった。
「だ、大丈夫か!?」
「うん……でも耳が痛いよ~……」
目をぱちくりさせたイリスが側頭部を抑えて悶える。
痛いとは言うが血が出ている様子もないしちゃんと聞こえているようだ。
どうするべきか、考えていると景色が真横にスライドした。
「も、モチ!?」
「……」
前に向き直るとモチは一直線に崖へと走っていた。
黒猫竜の後を追うのだろう。
それは分かる。
けれどあの崖は断崖絶壁だった。
「う、嘘だろ?」
「にゃあん」
「無理無理無理無理無理無理無理!」
しっかりしがみ付いてと言われても無理だ。
前に向かって落ちていくのにどこへしがみ付けと!?
モチがターンとジャンプをする。
実に軽やかなジャンプだ。
でも残念なことに着地場所が見当たらなかった。
必死になって
モチには悪いがこっちも必死なので尻を押し付けて体重を乗せさせてもらい、死ぬ気でしがみついた。
あとは大きな声で叫ぶだけだ。
「う、うわぁぁああ!!」
垂直に落ちていくという人生初の体験。
引力という万物に等しく働く力が俺を崖下へと引きずり込もうと躍起になっている。
しかしそれは一瞬のことで、先程と同じ紫紺色の膜が眼前に現れる。
モチがそれに入ると、再び景色が一転して崖下になっていた。
砂煙を上げながら前へ滑るモチ。
力んでいた筋肉を緩めて上を見上げると、やはり崖下であることがはっきりと分かる。
流石の俺も2回もやれば嫌でも分かる。
あの膜はテレポートだ。
次元属性のモチだからできることだな……あれを通ると任意の場所に転移できるようだ。
少し落下が必要そうだったので、あまり長距離はできないのだろう。
短距離転移といったところか。
さて、黒猫竜は俺達の背後でグルルルルと唸っていた。
得体の知れぬ力の前に警戒しているのだろう。
しかしあの崖上から落ちて無事とは……。
この辺りに棲んでいるから足場にしている場所でもあるのだろう。
とはいえあの吹き飛ばされた体勢から怪我一つなく着地するのは流石猫竜としか言いようがなかった。
「にゃあん」
「……」
依然としてモチの呼び掛けには応じない。
それどころかこちらへ突っ込んできた。
走り込んでくる黒猫竜。
それを怪我させないようにモチが迎撃しようとしたところで、黒猫竜が
モチは警戒して後方へ跳ねて距離を取るが、二匹になった黒猫竜は崖を巧みに使い、上下に別れて攻撃を仕掛けてくる。
「片方は影だ、散らしていい!」
俺の指示でモチの空間を越える爪撃が上から襲ってきた黒猫竜を霧散させる。
なんてことはない。
先程の黒槍と同じ、粒子でできた分身というだけだ。
分身の攻撃を防がれた黒猫竜はそれでも下方からモチの喉元目掛けて食らい付こうとする。
しかしモチはそれを予測していたのか、トン、と後方へ軽やかに避ける。
後ろ脚に体重を乗せ、低く滑り込むように黒猫竜の下へと潜り込んで体を捻り、尾で一撃を浴びせようとする。
が、黒猫竜もこれを予測していたのか前方へ飛んで避ける。
おまけに黒槍を数本、こちらへ射出してくる。
モチは大きく後ろへ跳ねてそれを回避。
俺は目をぐるぐる回しながら必死にしがみ付いていた。
もう降ろして……。
そう言いたいところを堪えて状況把握に努める。
一瞬の攻防の結果、俺達は崖下に来た時とは互いに入れ替わった位置で落ち着いていた。
ふん、と短く鼻から息を吐いたモチが鈴を転がしたような可愛い声で鳴く。
「にゃあん」
「……」
「ふん」
「……ッ!」
「にゃあん」
モチの言葉に黒猫竜が牙を剥いて唸る。
無理もないな……『実力の差は明らか。どんな小細工をしたところで勝つことはできない。弱者なのだから諦めて強者の話を聞け』なんて言われたら、プライドが傷付くだろう。
モチはそれを分かってやっているのか、分かってなくてやっているのか。
黒猫竜はプルプルと震えている。
足元の影はじわりと形を変えて波打ち、やがて咆哮と共に爆発した。
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