第85話 奪われたのは。

 コボルトの死体検分を終えた俺達は、改めて黒猫竜の凶暴性に怯えていた。

 これから戦うかもしれない相手があの軍勢を追い払ったのだと考えると、それも当然のことだ。

 俺の予想が正しければ、奴はたった一人で子を守り通したのだ。

 優に50は越えるコボルト共を、追い払ったのだ。

 それが自分にできるだろうかと考え、無理だと首を横に振った。

 きっと俺も死に物狂いで戦うだろう。

 しかし俺は死ぬだろう。

 その時、守りたかったものを守り通せているかは分からない。

 きっと駄目かもしれない。

 もっと力があればと嘆きながら死ぬんだろうなと想像した。


「凄いな……猫竜ってやつは」


 ケイの呟きに言葉もなく頷いた。

 本当に凄い。

 俺が死んでもできないことをやり遂げるのだから、真似できない。

 本当に……本当に。

 だからこそ戦いたくなかった。

 どうしても話し合いで解決したい。


「急ごう」

「だな」


 頷いたケイが全員の準備が整うのを待って走り出す。

 後に続く俺達は、一刻も早くこの事件の解決を願い、後を追った。




 西日に照らされた魔狼族の里のなんと美しいことか。

 あの首長ガガルガの野性味からは感じられない程に牧歌的な光景は夕日に彩られ、俺の胸に何とも言えない感情を呼び起こさせた。

 初めて来たのに、帰ってきたかのような感覚。

 記憶にないのに思い出したかのような感覚。

 そんなノスタルジックな光景に、しばらく立ち止まらずにはいられなかった。

 ただ、少し寂しかったのは広大な柵の中に1匹も家畜がいないことだった。

 もう厩舎に帰ったのか、或いは黒猫竜の略奪を警戒して厳戒態勢なのか。

 恐らく後者だろう。


 柵と柵の間の道を進んでいると、俺達に気付いた魔狼族の青年がこちらへ駆け寄ってきた。


「妖猫族の方々ですか? 猫竜討伐の」


 それに対応したのはウーゴだった。


「あぁ。首長はおられるか?」

「すぐに報告に走ります。皆様はこの先の一番大きな屋敷へ向かってください」

「ありがとう。よろしく頼む」


 青年は目にも止まらぬ速さで駆けていく。

 門番や伝令のような役割もあるのだろうか。

 実に素早い対応だ。

 俺達は言われた通り、そのまま道を進んだ。

 柵のエリアを抜けてようやく里の中へと入り込む。

 何軒もの木造建築が並び立つ様は美しい。

 どこか外国の牧場を思わせる風景に心が躍る。


「なんか、思ってたより長閑だなって思ってるんだけど、俺だけ?」

「あの首長見てからだとそう思っちゃうよな。でも実際、そんなに好戦的な種族ではないぞ」

「そうなんだ」


 獣人は好戦的という話ばかり聞いていたが、意外にもそのようなステレオタイプの獣人に出会ったことはなかった。

 収穫祭でも温和な人達ばかりだったしなぁ。

 ただ、ガガルガのような野性味溢れる人というのは一定数存在した。

 見た目や振る舞いがワイルドであっても、実は人間的な人達ばかりなのかもしれない。


 完全の里の中心と言える広場までやってきた。

 そこにあの針金のようなツンツンとした赤い長髪の男、魔狼族首長ガガルガが立っていた。


「よぉ、来たか」

「ご無沙汰してます」

「おう。まぁ飯食ってけや」


 皆で一礼してすぐにガガルガの屋敷へと案内された。

 ひと際大きな屋敷の中は実に落ち着いた雰囲気だった。

 観葉植物も置かれていて、緑が目に優しい。


「妻の趣味だ。俺にはよく分からんが」

「綺麗だと思いますよ」

「そうか。なら良かった」


 家の中を進むと大広間へ出た。

 そこには長いテーブルと椅子が置かれている。

 そのテーブルの上には驚いたことに、子牛1頭を丸焼きにしたものがドンと置かれていた。

 あまりにも生々しい姿に一瞬気圧されるが、端の椅子に着席した。


「たまたま食い頃だったんでな。皆で食べてもらえると嬉しい」


 ガガルガが言い終える頃に奥から金色の短髪の女性がお皿を持ってきた。

 皆の前に一皿ずつ並べてすぐに引き返し、カトラリーも持ってきてくれた。

 ありがとうございます、と小声で応答しながらそれを受け取る。


「いただきます!」

「いただきます」


 さっそくケイがナイフを子牛に入れていた。

 魚でガッカリしてたからさぞかし嬉しいことだろう。


 今日は俺の隣にはイリスが座っている。

 良いとこの子だからか綺麗に取り分けて食べていた。

 俺もそれに習って手元の皿にもも肉の表面を切り取って載せる。

 今回はナイフとフォークだ。

 扱い慣れたそれを使い、一口大に切り分けて口に運ぶ。


「んっ! 美味しい……!」

「そうだろう? 妻は料理が上手なんだ」

「やだもう!」


 照れながらもガガルガの肩を叩く奥さん。

 しかしその打撃音は重い。

 黒猫竜にやられた方の肩でないのは不幸中の幸いだっただろう。


「そうだ、肩の具合はどうですか?」

「うん? いや、こんなの日常茶飯事だからどうってことないぞ」

「いや、そっちじゃなくて、猫竜の怪我の方です」

「あー、そっちか!」


 へへへ、と照れ笑いしながら袖を捲ってみせた。

 その肩に刻まれた傷は正しく先程見たコボルトの怪我と同じ爪痕だ。

 以前見た時よりは傷が塞がっていて、流石の回復力と言わざるを得なかった。


 しかしこの人、酒が入ってないとこんな面白おじさんだったのか。

 別に悪酔いしてた訳ではないがお酒は一生飲まない方が良いと思う。

 多分酔うと狼の本能的なのが表面に出てくるんだろうな。


「怪我の方は問題ない。問題は牛だ」

「それなんだが」


 ケイがピッとナイフの先でガガルガを指す。

 それをすぐにケットが下ろさせた。


「……その牛ってのは、どういう牛なんだ?」

「乳牛だ。うちは肉牛乳牛、どちらも育ててるんだが、乳牛は数が少ないんだ……だからとても困っているんだよ」


 後半のガガルガの言葉は耳には入っていたが右から左だった。


 奪われたのは乳牛だった。


 思わずケイと顔を見合わせる。

 いよいよ、俺の予想が当たりつつあった。

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