第81話 シュレイドとの話。
いつの間にか背後に立っていたシュレイドさんは上半身が裸でずぶ濡れの状態だった。
垂れた前髪や首に掛かる髪の先からポタポタと雫が落ちていくのが見える。
濡れた足が踏む桟橋は水が染みて色を濃くしていく。
「さんはいらない。クライン。もっと気軽に接してくれて構わない」
「じゃあ、シュレイド……って呼んでも?」
「あぁ。よく言われるが俺はぶっきらぼうに見えるがそうではない。これでも気さくな方なんだ」
灰爬族の中ではな、と付け加えるシュレイド。
どうやら灰爬族は口数が少ない種族らしい。
何となく俺の中でそのイメージは合致する。
明るい太陽の下でジーっと体を温めている爬虫類の姿が脳裏に浮かんだからだ。
「じゃあシュレイド、聞きたいんだけど、どうしてそんなにずぶ濡れなんだ? 上も脱いでいるようだし」
「普段は上着は着ない。クライン達が来るから出迎えの為に着ていたんだ。驚くかと思ってな。濡れているのは、俺達が普段は泳いで移動するからだ。俺達は泳ぐのが凄く得意だからな」
「あぁ、だから上は着ないのか」
「そう。体温が下がり過ぎるのを防ぐ為だ」
爬虫類は変温動物だ。
その特性を引き継いでいるのだとしたら日中に活動する際に冷えると動きがとても鈍くなるだろう。
考えてみればそれはこの水上や水中で生きるにはとても不便な気がした。
どうしても冷えとは切っては切れないだろう。
「お前の言いたいことは分かる。だが俺達は人の体を持ちながら爬虫類の力も得た存在だ。人間は体温がそれほど上下しない。だから水が必要なんだ」
「……あ、そうか。下げるのが目的なんだ。でも下げ過ぎたり、下がってる状態が続くのが良くないから上着は脱いでる。ってこと?」
恒温動物である人間は余程のことがない限り体温は一定だ。
だが爬虫類は変温動物。
これは体温が変わって下がってしまうのが駄目ということではなく、下がることも大事だからこその変温だ。
高温を維持し続けるのは変温動物にとってとても大変なことだからな……下げることも必要だからこそ、下がるのだから
「正解だ」
そう言ったシュレイドは俺の隣に腰を下ろす。
裸足の爪先は水の中。
俺もそれに習って靴を脱いで腰を下ろしてみたが、爪先は湖には届かなかった。
「ははっ、早くても来年か、再来年には届くだろう」
「どうかな。これで打ち止めかもしれない」
「それはそれで良いんじゃないか? そのサイズ感も俺は好きだ」
「ははっ、やだよ。小動物は」
シュレイドはウーゴと大差ない体格だから、俺のことは小動物のように見えているのかもしれない。
これでも170いくかいかないかくらいはあると思うんだけどなぁ。
できればもっと欲しいところだが、環境が環境だから栄養素に不安があった。
特にカルシウムだ。
「ははは……はぁ……」
「……」
風が湖面を揺らしていくのを二人で眺めていた。
とても穏やかな時間だった。
会話がなくても変に気拙い空気にならなかったのはどうしてか、それを考えている内にシュレイドが桟橋から滑り降りて水の中へと入ってしまった。
ぷくぷくと小さな気泡が水面に届くが、それもすぐに消える。
どうしたものかと考えていたが、しばらくすると水底から黒い影がどんどんとこちらへとやってくる。
やがてザバァッと勢い良く湖面からシュレイドが飛び出してきた。
振り返るとその手には大きな魚がぶら下がっている。
「今日の夕飯だ。あと何匹か捕って、皆で食べよう」
「魚もいるんだな、ここは」
「あぁ、育てている。食べる為に」
「養殖か……!」
どこにも流れ出ない湖だから柵を作らずに天然の生け簀として育てられるのか……素晴らしいな。
「これは黒い猫竜にも奪えないものだ」
「!」
「その話もしよう」
「そうだな。よろしく頼むよ」
「あぁ。夕飯頃には母も起きるはずだ」
「母?」
シュレイドがジーっと見ているのは水上に建てられた一番大きな家だ。
振り返ったシュレイドがその建物を指差して言う。
「俺の母。首長オデッサだ」
「シュレイドは首長の息子だったんだな」
「言ってなかったか?」
小首を傾げるシュレイド。
うん、全然言ってなかったよ。
□ □ □ □
夜になり、一番大きな建物……首長の屋敷へと案内された。
移動には小さなボートが用意され、俺達はそれに乗せられた。
案内された中はどこかアジアン風な雑貨が並ぶ素敵な家だった。
部屋の中央には大きなテーブルが置かれ、その奥には薄いカーテンが掛けられていた。
何が始まるんだろうと少しソワソワしていると、ケイ達がテーブルの前に座り始める。
テーブルの反対側にはすでにシュレイドが腰を下ろしていたが、オデッサらしき姿は見えない。
あまりキョロキョロするのも失礼かと思い、藁か何か、イネ科の植物で編まれた座布団の上に胡坐をかく。
中央には首長のケイ。
その左右にケットとウーゴ。
ウーゴの隣にはイリスが座り、ケットの隣には俺が座ることになった。
しばらくすると大きな葉っぱに包まれた料理がいくつも運ばれてきた。
俺達の前に一つずつ、人数分の葉っぱが並ぶ。
「きっと肉だな!」
真ん中に座って嬉しそうに言うケイに端っこから答えを言ってやる。
「いーや、魚だね」
「魚ァ? 宴会だぜ?」
そう言って鼻で笑う。
馬鹿め、俺は答えを知ってるのだ。
テーブルの反対側に座っていたシュレイドが腰を上げ、葉っぱに手を掛ける。
その際、俺の方をチラっと見てニヤリと口角を上げた。
俺もニヤリと笑った。
「残念。正解は魚だ」
「マジかよー!」
ケイのガッカリする姿に歯を見せて笑うシュレイド。
あんな満面の笑みもするんだなと思うとどこか可愛らしく見えてくる。
不愛想なようでいてそうではないというのは本当のようだ。
「でも俺、魚も好きなんだよな。骨が無けりゃ」
「兄さん、恥ずかしいから綺麗に食べてね」
「う……善処する……」
「目の前に料理を並べて置いて申し訳ないが、少しだけ待ってくれ。母が起きた」
シュレイドの声に、料理から目を離す。
起きた、とは言うが姿が見えない。
キョロキョロと辺りを見回していると、奥のカーテンが少し揺れた。
風かと思ったがよく見ると人の影が薄っすらと見える。
そうか、あのカーテンの向こう側にいるのか。
体調が悪いという話だったから、極力移動の負担を減らす為にここに寝室を併設……というより設置したんだな。
シュレイドがカーテンをそっと捲ると、布団の上に座る女性の姿が見えた。
灰色の髪を1つにまとめた女性だ。
その女性が、ゆっくりとこちらを見た。
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