第80話 灰爬族の里。

 朝日と共に野営地から出発した。

 斜め前に伸ばす影が短くなる程に、灰爬族の里へと近づいているのが実感できる。


 谷を越え、丘陵地帯を越えた先に現れたのは湖沼地帯だ。

 登っていた丘が思ったよりも山に近かったようで、湖沼地帯は少し下の位置で広がっていた。

 と言ってもまだ木々の向こうで湖面が反射して光っているのが少し見えているだけだ。

 気が急くのを抑えてゆっくりと斜面を下りていく。

 段々と木の数が減り始めて斜面が平地になる頃、パァッと目の前が明るくなった。


「うわぁ……!」

「これは凄いな」


 俺とイリスは目の前に広がるいくつもの大小様々な湖に思わず感嘆の声をあげた。

 俺はてっきり一つの大きな湖が山間に広がってるもんだと思っていたが、実際に目にしてみるとそうではなかった。

 どちらかと言うと雨季の草原のようだ。

 ポツポツと感覚を開けながら湖が広がっているのが見える。

 近付いてみるとビチャ、と足元から音が聞こえた。

 どうやら少し湿地帯になっている場所もあるようだ。

 これだけ水が多ければそうもなる……か?

 あまり詳しくないから分からない。


 近付いていくといくつかの湖の上に建物が建てられているのが見えてきた。

 大きな物から小さな物まで、湖同様に様々な家々が並び立っている。

 流石にここまで近づくと気配は察知されているようで、作業をしている灰爬族の獣人達が俺達を目で追っているのが分かるようになる。

 しかし襲われたり行く手を遮られるようなことはない。

 シュレイドからしっかり話が伝わっているようだ。


「あ、そういえば」

「うん?」

「シュレイドさんには会ったけど、灰爬族の首長さんってどんな人なんだ?」

「あー。そういや収穫祭では会ってなかったっけ。いや、結構病弱でな。すぐに引っ込んじゃったから会えてないか」


 ケイが言うには『死ぬギリギリを生き続けてる老齢の女首長』というのが灰爬族の首長らしい。

 言ってることはだいぶ失礼だが、そういうことも言える間柄なのかもしれない。


 湖と湖の間を歩いていると、目の前に木の桟橋が現れた。

 助かる、これで歩きやすくなるだろう。

 ギシ、ギシと鳴る木の質感が久しぶりだ。

 土と岩と草しかなかったからなぁ……実に歩きやすい。


 左右に広がる湖を眺めていると、シュレイドの言っていた水上畑が見えてきた。

 それは大きな葉を持つ植物の上にできた畑だった。

 黄緑色の大きな葉っぱが左右に開き、その真ん中に土を盛って畑が作られているようだ。


「面白いな、あれ」

「エアロバブルっていう水上植物だな。丈夫な草で、場所によっては橋代わりにされてるところもあるぜ」

「物知りだなぁ」

「色んなところ行ったからな~」


 ケイの博識は足で学んだと言っても良いだろう。

 放蕩癖というのもこうした知識に繋がるのであれば立派なものだ。

 と、畑を過ぎたところで正面から人が歩いて来るのが見えた。

 その人物は収穫祭で散々絡んだから見間違えようが無かった。


「来たか」

「よぉ、シュレイド!」


 ケイが手を上げて挨拶をする。

 それに続いて俺達も手を上げたり、頭を下げたりと各々挨拶を交わす。


「ん、見慣れないのがいるな」

「初めまして! クラインくんの友人のイリスエラ・リンデンバウムと申します!」

「これ丁寧にどうも。灰爬族のシュレイドだ。よろしく、人族のイリスエラ」

「こちらこそ、どうぞよろしく!」


 イリスが差し出した手をシュレイドがギュッと握る。

 本当にこいつはどこに行ってもすぐに打ち解けるなぁ。


「シュレイドさん、早速話がしたいんだけど大丈夫かな」

「まぁそう急ぐな。長旅だったんだろう? 少し休め」


 気が急いていたかな……腰に手を当てたシュレイドにそう言われてしまった。


「お前達用の家を準備していた。今日はそこに泊ってくれ」

「お、助かるぜ~」

「こっちだ」


 踵を返したシュレイドの後をついていくと一件の家が見えてきた。

 その家は水上に建てられたもので、そこに行くまでは先程話題にも出たエアロバブルという植物の上を渡って行かなければならない。

 橋状に並べられたエアロバブルの上に恐る恐る足を乗せる。

 が、思っていたよりも頑丈で、少し水面を揺らすだけで沈む様子はまったくなかった。

 と言っても一度に複数人が乗れるほどではないようで、渡る際は一人ずつとシュレイドが教えてくれる。

 モチは橋から一気に家の屋根までジャンプして音もなく着地し、扉の前まで下りてきていた。

 流石は猫竜である。


 家の中は何もない10畳くらいの板の間だった。

 元は何か倉庫に使っているのか、それともこれから何かに使う予定なのか。

 見た感じの綺麗さから恐らく後者だと思う。

 これから育ち切った作物なんかを保存して冬を越えるのかもしれないな。

 各々、好きな場所を決めてその場に座り込んだ。

 ウーゴやケイは荷物を枕に寝転がって寝始める。

 俺はどうしようかと思ったが、ちょっとまだ急いていた気が落ち着いていないので少し散歩したかった。

 借りている家を出ようとする俺に反応してモチが上体を起こすが、それを俺は手で制止する。

 が、モチは着いてくる気でこちらへやってきてしまう。


「休んでていいのに。疲れたろ?」

「にゃあん」

「そっか。じゃあちょっと散歩しようぜ」

「にゃあん」


 『全然平気』というもんだから俺はモチと一緒に家を出た。

 エアロバブルの橋を渡っている間に俺の頭上を飛び越えたモチが木の桟橋で俺を待つ。

 さて、どこへ行こうかと考えて、やはり最初に気になったのがあの畑だ。

 これから農業を始めようとしているので他の畑は見ておきたい。

 畑のある場所まで戻ってきて遠目に眺める。

 先程まではやっぱりどこかで警戒心があったのか、少ないと思っていた住人も増えてきている。

 シュレイドが案内したことで警戒心を解いてくれたのだろう。

 桟橋からは先程まで見えなかった畑作業をしている人が見える。

 水上だからここからは近付けないが、近付かない方が正解だろうな。

 他所の人間が気軽に踏み込んでいいエリアではないことは確かだ。


「はー、なるほどなぁ」


 ここからでもよく分かるのが、鍬を持つ灰爬族の人はそれを振り上げたり振り下ろしたりはしないということだ。

 浅く掻くような動きで慎重に土を弄っているのが見える。

 土がそれほど深くなく、だからこそ深く掻くとエアロバブルを傷付けてしまうからこそ、ああいう動作をしているのだろうな。


「こう、振り下ろして突き刺して沢山土を掻いて混ぜるのが良いもんだと思ってたけど、違うんだな」

「にゃあん」

「確かに地上の畑ならそれも正解かもしれない。だが水上畑は繊細だ」

「あ、シュレイドさん」


 モチに話し掛けたらいつの間にか立っていたシュレイドさんが俺の言葉に返してくれた。

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