第9話 いただきますということ。
竿を持ち上げると川から元気のない川虫が釣り針に貫かれた状態で顔を見せた。
「そろそろ新しい餌にした方がいいな」
魚は鮮度が命ならば、餌も鮮度が命なはず。
俺は釣り針から川虫を取り外して川の中へと帰す。
この川虫はまた別の川虫に食べられるだろう。
その川虫は魚に食べられ、その魚は俺が食べる。
これが命の循環だ。
そして俺もまた、誰かに食べられるのだろう。
「その時はあの白猫竜がいいな……いやいや、何を弱気になってるんだ。空腹だからか?」
頭を振ってマイナス思考を追い出す。
ため息一つ。再び釣りに集中しようとした矢先の出来事だった。
竿先がビクビクと跳ねた。
その瞬間、弾かれたように俺は竿を一気に持ち上げる。
すると勢い良く水面から、針に掛かった魚が飛び出してきた。
「やったー! やはり鮮度! 鮮度が大事!」
陸に打ち上げられ、ビクビクとのたうち回る魚を取り押さえ、片手で失礼と心の中で祈りながら、祝詞を上げる。
「いただきます」
取り出したナイフをえらの隙間から差し込み、付け根を断ち切る。
それから素早く、尾びれの付け根にも切れ込みを入れた。
それから枝を沢山使ってクラフトしたビクに入れて川の中へと戻すと、清流に血の赤が滲んでいった。
「ふぅ……やっぱりナイフは大事だな」
これはクラフトブックで作った鉄のナイフだ。
餞別のナイフは素材にしてしまったからこれはオリジナルの物になる。
難点はやはり耐久値が設定されていることだ。
形あるものはいつか壊れるとはよく言ったものだなぁ。
「さて、まだまだ釣りたいな」
餌に使った川虫は針に刺され、魚に食われと大冒険をしてグッタリしている。
そろそろ解放してあげるべきだろう。
命よ巡れ。魚よ巡れ。川虫の命にも、感謝だ。
それから日が傾き始めるまでずっと釣りを続けた結果、釣れた魚は全部で6匹となった。
我ながら素晴らしい釣果である。
「塩焼きにしたいところだけど塩がないんだよな……味付け無しの素焼きで食うしかないか……」
そのうち町にも行かなければ。
ここは素晴らしい森だが、流石に塩や胡椒といったスパイスは落ちてない。
「行くならエオニス領じゃない方が好ましいよなぁ……隣国に行くにもこの森を突破しなきゃいけないし無理だな。『隣領』に行くしかないなぁ」
エオニス領と隣国の国境に広がるスケアグロウ大森林。
この付近で一番近い町と言えばエオニス領にある町だが、そこは親父殿の息が掛かっているので安心して足を踏み入れられない。
となると自ずと隣領であるクライゼル公爵領にある町、アンスバッハになる。
アンスバッハの町は物凄く活気のある町だ。
この大森林を迂回した隣国とこの国を繋ぐ街道と、俺が暮らしていたエオニス領の町エオニアと、この国の中心である首都ブレラギィを繋いでいるからだ。
隣国は海に面しているから、交流が盛んなアンスバッハには塩も絶対にあるはずだ。
そしてこれも重要な情報なのだが、エオニス侯爵とクライゼル公爵はあんまり仲がよろしくない。
これがあるから俺はクライゼル公爵領へ行くという選択肢しかない訳だ。
とはいえ俺のスキルを活かせるのはこのスケアグロウ大森林だけだ。
この森を俺の大事な場所にする為にはクライゼル公爵領との行き来がこれから増えるだろうな。
と、今後の未来を考えていると余計なこと考えてんじゃねぇと胃袋が魚を要求してきた。
「そうだな。何よりもまずは腹ごしらえだ!」
俺はクラフトブックから枝を取り出して脇に置く。
まずはナイフで魚の下ごしらえをしなければならない。
刃を立てたナイフで鱗を削り取り、魚のお尻からそーっと頭に向かって切れ込みを入れていく。
流れてくる血は少ない。ちゃんと血抜きをしたお蔭だ。
「よし……あとは内臓とえらを取って、と……」
ふにふにした内臓を取り除き、えらも付け根から千切って外す。
最後に骨にくっついている血合肉に切れ込みを入れて川で洗えば下処理は終わりだ。
「捌くのとかは練習が必要だけど、これくらいなら俺でも出来るな」
あとは整えた枝を口から通し、魚の体をくねらせながら尾びれまで通せば準備完了!
「今日はいい! 全部食ってもいい!」
スイートベリーの時も似たようなことを言っていたが、保存食とかもっともっと先でいい。
今日得たものを今日食う。
これができなければ生きていけないのだ。
「味がなくたっていい……俺の胃袋が魚を求めてるんだ」
焚火跡を片付けて、同じ場所に焚火を作成する。
早速燃え上がる焚火の傍に串に刺した魚を6本、立て掛ける。
ジーっと待つのはとても大変だった。
唾液が口の中から溢れそうになるのを何度飲み込んだことか。
ゆっくりと熱が通っていくのを睨みながら焦げないように串を回すこと数回。
じゅわりと魚の油が垂れ落ちていく。完成だ!
「い、いただきます……!」
やっとの思いで手に入れた食事。
俺は大きく口を開けて、魚の背中にかぶりつく。
淡泊な味だ。塩味という刺激が一切ない。
しかしそれでも、俺はこの魚がとても旨かった。
「美味しい……美味しいよぅ……」
親を失い、親に捨てられ、たった一人、森に捨てられて、初めて1人で獲物を捕らえて作った料理だ。
美味しくない訳がなかった。
俺は泣きながら夢中になって魚を食べた。
命を奪うこと。命を繋ぐこと。
その意味をこれほどまでにちゃんと理解したのは、本当に生まれて初めてだったと思う。
あっという間に全ての魚を平らげた頃には涙は止まっていた。
何だかとっても疲れたような気がする。
太陽ももうすっかり落ちて、周囲は暗くなってきた。
「はぁ……」
久方ぶりの満腹感に体が動かなかった。
なんか、脳が焼き切れたような感覚だった。
「いや……動かないと……」
せめてテントの中で寝よう。
野宿ではあるが、屋内なら耐久値のお蔭で外界の大きな影響はない。
暑さや寒さもある程度はしのげるから、絶対にテントの中に入った方がよかった。
俺はのそりのそりと体を動かし、テントの中へと自分の体を押し込めた。
今日はもう休もう。そしてまた明日、頑張ろう。
明日は何をしようか……方針を決めようと頑張って考えたが、答えが出る前に眠ってしまった。
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