落ちた林檎が止まる場所

ねくしあ@カク甲参戦中!

ニュートンは嘘つき

「ぐすっ……ひえっぐ……」


 涙が波のように押し寄せ、溢れてくる。


 それは俺の感情の変化を如実に表していた。そう理解することはできる。

 しかし、抑えることは不可能だ。

 海がいつまでも動いているように。呼吸と共に揺れ動く感情の満ち干きは決して止まれないのだ。


 そして今はきっと、満潮なのだろう。


「なんで……そんな……うっぐ」


 嗚咽が漏れる。

 それはたった一人しかいない部屋で、眼の前にあるモニターが、どうしようもなく、ただひたすら絶望を告げるから。


[もう話せないからバイバイだね]


 広いトーク画面にぽつねんと、小さく浮かぶその言葉。それだけが、空っぽの孤島のように見えて仕方がなかった。

 それに付随するかのように、脳裏にはっきりと「失恋」の二文字が焼き付いていた。もちろん、理解などできるはずもない。


 彼女も俺も、死んでいないはずなのに。それなのに、まるで二人とも死んでしまったかのように思えた――正確には、俺の心に刺さったナイフが命を奪う頃合いだろう。


 一文字ずつ読んでいく度、12月の肌を刺すような寒さが、より一層増していくような気がした。身も心も、だんだんと死人のように凍え始めているのだ。


 手も、声も、身体も、全てが震えている。なんとか落ち着けようと息を吸う。何回も繰り返していくと、ほんの少しずつ震えが消えていくような気がした。

 けれども、生きた心地は全くしなかった。呼吸をする度に死に向かってしまうようにすら思えた。


 ふと、呼吸をやめてしまおうかとも考えた。

 しかしそんなことをすれば死んでしまう。分かっている……分かっているのだけれど、呼吸を死んでしまうと感じた。

 自分への戒めか、それとも抵抗か。両の手を使って自らの首に手を添える。もちろん、力を入れればそのまま絞まるような状態だ。これだけで、いくばくか心が休まったような気分になった。


 理性は何の意味もないと囁いてくるが、そんなものは知らない。

 理性が弾きだす答えなど、とうに意味を為していなかった。感情に流されっぱしなのだ。


 しかし、そもそもの原因は、理性でも感情でも分かっている。完全に俺のせいだ。


 俺が我が儘に、愛を貪るように欲しがったのが悪かった。

 何回もそれで不機嫌にさせた。喧嘩もした。最後には仲直りしたとはいえ、思い返してみれば、俺は成長していなかった。

 結果、取り付く島もなく。あっさりと。半年間の関係は真夜中に終わりを迎えたのだ。

 

「こんなことなら……もう……死にたい」


 いつも以上に震える喉の奥から滑り落ちた言葉。

 それの重さは、言い終わった後に気がついた。


 ――死ねば全てが消え去る。少なくとも、俺の眼の前からは。


 だが、俺は彼女に言われていたのだ。「絶対に死ぬな」と。それは、俺が振られた後でも有効なのだろうか……いや、きっとそうだ。

 それが例え「自分のせいで人が死んでほしくない」とった独善的な言葉だったとしても、恋人の言葉は容易に俺を縛り操る糸となる。あの人が俺を嫌いになったとて俺は嫌いじゃないのだ。


 でも、やっぱり。


「生きていたくない」


 今は何もしたくない。何もかもを失った生活が続くことが果てしなく面倒くさい。


 この絶望に対する感情が、ただただ虚しさだけで埋め尽くされている。

 怒りで発散することも、みっともなく泣きわめくことも、何かをする気力が一切湧いてこない。


 その先にあるものはなにか。全てが無に帰った場所――それは死。


「死んだら全部……終わる、のか」


 そっか、死ねば面倒臭いことなんか消えてしまうんだ。俺を取り巻く全ても、付きまとう空気もぜーんぶ消える。

 死んでしまえば、全部終わる。

 

 でもきっと、俺の死は何も動かさない。

 ニュートンには林檎が落ちたことで世界が変わったが、俺の死体が落ちてもせいぜい警察が動く程度だろう。


「無意味な死か――これから意味を見出す生か」


 わざわざ声に出したのは、自分に言い聞かせるため。選択を迫るため。


 口は開いたまま、呆然と沈黙し、思考する。


「ならば俺は……生を選ぼう」


 こんな世界で時を止めてしまいたくない。進んだ方が死にやすいのかもしれない。あるいは、ただ死ぬのが怖かったのかもしれない。


 けれど――


「絶望的なまでに、生きたい」


 俺の手には何も残っていない。でも、まだ死に方を決める権利はある。それを使わないことこそが、生きることなのだろう。


 俺はまだ、落ちていないのだ。

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