第50話

こんなに尽くしても、自分はあくまでセックスが出来る友達感覚でしか無いのかも。何だか馬鹿馬鹿しくなる。麻由子がそう憂う中、恵美からは「来週彼と名古屋に旅行行ってくる、お土産買ってくるね♪」などという楽しそうなLINEが来た。こちらは楽しくも何ともないが、一方で麻由子は恵美に羨ましさも沸かない。和弘が青少年育成相談員だか何だかになりますます会える時間が減る事に対しては嫌だったが、一緒に長時間や長期間居る事は好まない。長く一緒に居れば出物腫れ物ところ構わず、というように催せば時には部屋に一つしか無いトイレを使うしか無くなるし、一緒に寝れば自分がイビキをかいたりもするかも知れない。麻由子はそれらを交際の上で見せたくなかった。


そもそも互いの家庭を壊してまで再婚したくないのもそれが理由だった。一緒に住めば見たくない、見せたくない一面も露わになるし所帯染みる。不倫はそれらを見せずに一番着飾った状態で会えるし、いつでも会えるわけではない特別さが続く。だから麻由子は和弘との旅行も再婚も望まないのだ。一日のうちせいぜい一緒に居たいのは半日程度。希望を言うなら、その半日が10日に一度くらいのサイクルで来るのが一番嬉しい。


実際のところは10日に一度どころか一ヶ月に一度あるか無いか、泊まりの誘いなど和弘の方からも一度としてして来ないが。実行する、しないの決定は麻由子自身がするにしても誘うくらいはして来いよ。と思うなどそんな和弘への不満も募り、麻由子はやはり交際自体を考え直そうという気になってしまう。ますます会えなくなろうが気にしないし宿泊も誘わない、自分を本当に好きかどうかも分からない。麻由子にとって和弘は暖簾に腕押しという諺がまさにぴったり、いつも飄々としていて掴めない浮浪雲の主人公ような存在だった。心なしか顔や姿も似ている。


「俺は、感情が表に出ないってよく言われるんだ」


翌日、和弘から掛かってきた電話で話している最中こんな事を言い出した。


「ああ、そうかもね。特に私は自分への好意を感じないかも、あなたから」


麻由子はつい本音を和弘に言ってしまった。和弘は麻由子からそう言われると、いつもあまり感情を表に出さないがこの時ばかりは少し悲しげな声を漏らした。


「好意?あるに決まってる。だからいつも、別れられたらどうしようって思ってるよ」


「そうなの?私はあなたにとって…ゲーム仲間とか友達みたいな感覚の方が強いんだと思ってた。でも私はそれはそれで私の役割なんだと思うようにしてたよ」


「そんな、それだけじゃないよ…」


「友達の恵美は嫉妬もされるし強く愛されてる、私はそこまで好かれてないにしても、交際の形も色々あるし私も十分幸せだから、大丈夫だよ」


麻由子は心配要らない、という意味で言ったのだが皮肉のように聞こえたのかも知れない。和弘は慌てて


「俺だって麻由子が大好きだし、幸せにしたい」


と言い出した。が、感受性が乏しいのも嫉妬が無いのも、和弘はただの性格ではなくADHDも持ち合わせているので、それらが作用しているからだろう。こればかりはどうしようも無いので、麻由子も何も求めようがない。仕方なくその取って付けたような大好きに対し軽いノリで


「ありがと(笑」


としか返しようがなかった。その返しが和弘には自分の気持ちを麻由子は本気で受け止めて居ない、と思わせたが麻由子はそれには気付かなかった。


そんな中、和弘から岡山への一泊二日の出張の同行に誘われたが麻由子は行かない、と即座に断った。上記の理由もあるし、万一普段と違う事をして女房に嗅ぎ付けられても困るから。そして和弘は断ったからと言って落胆するでもなくやはり飄々としている。この、さして何を提案するにも本気とは思えない和弘の態度を、麻由子は自分への好意の強さそのものと決定的に取るようになっていた。


たまにしか会っては貰えない、自分からは会いたいとも言わず通話もしない、あちらの好意はよく分からない。そんな気持ちの中、出張で岡山に行き一人でビールジョッキ三杯と焼肉で良い気分になった和弘から通話が入る。最初は他愛ない話だったが、やがて素っ気ない和弘の言動が嫌でたまに別れたくなる、と麻由子は本音を漏らしてしまった。すると


「別れたいやつとの通話に、もう40分も費やしてるよ?」


本心じゃないんだろ?とでも言いたげな和弘のヘラヘラと笑いながらの発言に、麻由子は初めて声を荒らげた。


「どうせ飲んで酔ってるだろうし、明日にはろくに覚えてもいないだろうけど…」


麻由子は唇を噛み締めると、言葉を紡いだ。


「メッセージじゃ伝えきれない、通話もいつも10分程度、月1会う日はわざわざ遠い中来てくれるのに深刻な話なんかして気分を害したくない。そんな中で逆に私がかずに自分の気持ちを伝える機会が今までどこにあったの?どうせ別れるなら、最後に言えなかった事言おうと思うから長くなっただけ!いつも素っ気ないし私の気持ちも重視しない男なんか、もう要らない」


捲し立てるように言った麻由子に、おずおずと和弘が返す。


「違う、素っ気ないんじゃないんだ。どうしたって子供がまだ大きいわけじゃないから、離婚と再婚には決意が要る。離婚したら取られて会わせて貰えなくなったりしたらと思うと…」


「…は?」


「麻由子は、再婚を望んでるだろう?それにすぐ答えられない事が申し訳ない反面、はっきりも言えなくて、はぐらかしたり話題を逸らしていたんだ。それが時折、素っ気なく見えてたんだと思う」


麻由子は口の端を上げて笑うと


「自惚れないでくれる?」


と言ってしまった。


「私は付き合い当初、戦友が欲しいと言ったのよ?再婚相手が欲しいなんて思った事は一度も無い。第一私は、自分の身勝手で娘の人生に影響を与えたくないの。多感な時期に再婚なんかして、血の繋がらない父親との暮らしを強要なんて死んでもしない。代わりに自由に楽しむと決めてる」


「そうだったのか…ごめん、俺、勝手に」


和弘が言い掛けた瞬間、脳裏に以前大輔が言った言葉が甦る。


『娘さんが大きくなったら、一緒にならない?』


「けどね、例え今は“子供の為に”という大義名分があっても遠い将来は…還暦を過ぎたら、子供達が成人したら、その気が無くたって一緒になりたい、くらいは言って欲しかったかな。素直にその言葉を信じて待つ程私も馬鹿じゃないけど、ケジメとして言うくらいは欲しかった。それも何も無いから呆れて去るんだよ」


麻由子はそう畳み掛けた。好きではないが、口約束であれちゃんと将来の事も視野に入れてくれていた大輔の方がマシだ。すると和弘はADHDの特性、言葉を臆面通りに捉えたり衝動的に後先考えず発言する性質が現れ


「なら、子供が成人したら再婚しよ!」


などと言い出す。言いなさいと指示して無理に言わせたような形になり、麻由子は微塵も嬉しくない上にあきれ返ってしまった。


「嫌です、信じて待つ程馬鹿じゃないと言ったでしょ?私は子供が成人して旦那が死んだら、一人で生きて行きたい。もしそれを寂しいと感じたら…その時は一緒に生きてくれる人を探すわ」


それはあなたじゃない、そう断言するように麻由子は言った。もう発達障害が故の、無邪気と言う名の無神経さに振り回されるのは本当にうんざりだった。


そして本来なら好いた女から「将来は別の人間と生きる」と言われたら怒るであろうけれど、和弘は思ってもみない言葉を返して来る。


「なら、まゆが将来一緒に居たい相手に選んでくれるといいな、俺を」


まるで喜劇のよう、つい声を大きくし「誰があんたなんか選ぶか!」と言ってしまいそうになるのを堪えると、麻由子は米神を押さえながら


「ありません」とだけ返した。

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