第49話
「めちゃくちゃ美味しい、スープ自体の味も。あと俺、まゆの作るだし巻き玉子大好きだわ。何回食べても美味い」
何を作って出そうが仏頂面でただ平らげるだけの夫祐志と真逆で、感想も褒め言葉もくれる和弘には手間は掛かっても作り甲斐があった。
麻由子は自分で自分をよく分かってもいる。
自分には若さという武器が無い、美しさという天性のものも無ければ、整形のリスクを背負う勇気も無い。そんな自分が和弘を繋ぎ止める為には努力が必要と自覚し、彼が何を嫌い、何を必要としているかをよく見極めて交際していた。彼は束縛や過剰な嫉妬を嫌い、手料理、仕事や生き方への称賛、性的欲求の満足を必要としている。
ただ闇雲に与えるばかりでなく、匙加減をしながら与えてみたり、かと思えば急に立ち去りそうな雰囲気を出してみたり、そしてその後はそんな話はついぞ出さずにおいたり。そんな駆け引きを一滴、二滴と垂らしながら普段は大いに好きとアピールし素直な気持ちのまま付き合う。麻由子はイッチーに言われた“自分が持つ毒”を少しずつやっと自覚するようになり、そして最近ではその毒を自らの意思で使うようにもなっていた。
麻由子の持つ最大の毒は
男をかなりの部分まで許す事。他の女ならば激怒するような事であれ、自分にベクトルが向けられているならば大概の事ならば許し、受け入れ、尽くす。
だが自分以外にベクトルが少しでも向けられれば即座に『自分は彼にはもう必要ない』と判断し去ろうとする。それが女房であれ誰であれ、許さない。自分への興味が少しでも失われたり他に向いたら、過剰な嫉妬でしがみ付くのではなく、相手がまだ自分を思う気持ちが残っているうちに切る。
麻由子は尽くしてすっかり自分に依存していると思わせながら、一方で去ろうとする時は躊躇が無かった。普通は自分にそこまで尽くす女ならば簡単に自分を切らず未練を持つはずと思いきや、別れると決めたら相手が追わない限りスッパリと切り、絶対自分から戻ったりはしない。その両極端な振舞いに、男もまた翻弄される。
だが和弘は人より執着も嫉妬も無い男なだけに、麻由子の毒も効いているのかいないのか、いまいち表面上は分かりにくい。だから麻由子は彼に手料理を振る舞い、彼を心地好くさせる言葉を投げ掛け、好意のみならず敬意も表し、性的に満足させ、その努力が報われない時は離れようとする。最後の離れようとする時は振りなどではなく、いつも本気で。
自分に男を痺れさせる毒があるなら、それらの振る舞い全てが遅効性の毒となり、和弘の全身を侵食して欲しい。麻由子を離す事の出来ぬ体になって欲しい。麻由子は優しい笑顔を向けながら、噛まれる痛みに耐えながら、和弘を毒漬けにする事に勤しんだ。ただ悲しい事に、和弘の気性や態度からはそれがいまいち見えない事が麻由子を悩ませる。かなり好いてはくれているようだが、大輔のような独占欲を感じない事が麻由子はいつも寂しかった。見せないだけでその実は、和弘は麻由子に骨抜きにされているのかも知れない。だが自信の無い麻由子にはそれがいまいち分からず悩む。
食事を終えベッドに戻った和弘が寝息をたて始めると、麻由子は和弘に布団を掛け髪を優しく撫でた。15分も眠ると和弘は起き出し「ごめん、寝ちゃった」と麻由子に謝る。
「仕事で疲れてるんだから、謝る事無いよ。まだ時間あるから、10分前に起こすからもう少し寝て」
麻由子が和弘の頬を撫でると、和弘はその手を取り麻由子をベッドに引き入れた。舌を絡めるキスをしながら、和弘は時折化粧をしている麻由子の頬や顎にまで舌を這わせる。今日も頬を舐める和弘に麻由子が
「メイク取れちゃうよ」
と笑って言うと和弘は
「だって可愛いんだもん、舐めたくなる」
と返してきた。そしてはちきれそうに膨張したペニスを麻由子に挿入する。どの男より大きい和弘のペニスを迎え入れる瞬間も、膣内に射精される瞬間も、麻由子は和弘に支配される喜びを感じられ、いつも幸せと心の底から感じる。そして同時にまた一週間、二週間、一ヶ月…と、会えない日々に寂しさを募らせなければならない事への憂いも重くのし掛かった。
「今月はドライブしない?一日休み取ってさ」
あと少しでいつも降ろして貰う駐車場に着く、という頃和弘が提案して来た。
「いいよ、私はいつでも大丈夫」
「じゃあ、休み決めたらすぐ伝えるよ。行き先も考えとく。まゆも行きたい所あったら言ってね」
「私も日帰り出来る施設とかスポット、調べてみるね」
会話を終えると、和弘が麻由子の唇にキスをして来る。別れを惜しむように激しく舌を絡めるキスが終われば、車を降りなくてはならない。麻由子は唇を離すといつものように「来てくれてありがとう、気を付けて帰ってね」と言い、降りて窓越しに手を振った。
帰宅してすぐにメッセージを送るのは麻由子から、それに帰宅して「今帰ったよ」と和弘が返信するのもいつもの事。そして会った翌日は和弘から「ちゃんとキスマーク付いた?」と聞いて来るので、着替えのついでにキスマークの付いた胸の写真を撮り「くっきり付いてる」というメッセージに添付して送信するのもお決まりだった。
どんなに寂しくても交際をやめるには至れず、会えば天にも昇る程幸せで、いつも自分が好かれているか不安がつきまとう。交際は一年経過したが、麻由子は和弘がますます愛おしくてならない。不倫に限らず交際において気持ちの盛り上がる期間はせいぜい三年、とよく言われるが、麻由子は和弘が女房の元に戻るか他の女を求めない限りは、和弘を三年どころか一生愛する自信があった。
だからどうか、私の少しずつ飲ませた毒の効き目も長く彼に留まり効き続けて欲しい。麻由子は祈るような気持ちの中、和弘からのLINEを待ち、返信し、また会えない日々を耐える。
せめて二週間に一回会えたらなんの不満も無いのに、そうは思うが実際に会えるのは一ヶ月に一度か、下手すれば一ヶ月半に一度。そしてその会えない期間が更に増す事になるかも知れない事態が起き、麻由子はため息が増える事になる。
「青少年育成相談員に選ばれるかも知れない、やる事けっこう増えるみたいだよー」
数日後、ため息をつく絵文字と共にそんなメッセージが麻由子に届いた。麻由子はすぐ
「ただでさえ会えないのに、そんな役目になったらもっと会えなくなるんじゃない?」
と、つい不満を訴えるような返信をしてしまった。麻由子のポリシーとして仕事に口出ししない、というのも決めていたが、さすがにこれ以上会えなくなるのは嫌で、選出に不満がある意思を伝えてしまった。だが当の和弘はどこ吹く風、実に気楽なもので
「PTAとどっちがきついかな(笑)」
などと返して来る。この人は私に会える日がこれ以上削られようが関係ないし影響も無いんだ。麻由子はそう思うと気持ちが冷め
「どっちも地獄でしょ」
と、非常にそっけない返答だけするとあとは朝まで未読スルーしてしまった。この、想っているのは自分ばかり。和弘は自分を同じだけは想ってくれていない。そのジレンマにいつも麻由子は悩まされ、離れたくなる原因になっている。今日もそれで、尽くしても尽くしただけ想われないのなら意味がない、もう離れようか…が頭を過る。普通なら想われないならもっと努力しよう、となるが、麻由子は充分好かれる為の努力ならしている。これ以上どう尽くせと言うのか、という状態でやれる事など無いので、あとは離れるしか無かった。そんな時はいつも、嫌われても構わない覚悟で自分の気持ちを隠さずありのまま伝える。
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