第46話

真幸に少しでも綺麗と思って欲しい、そう思いながら宏子は着崩さずきちんと襟や裾を正した浴衣姿に、髪を結い上げ襟足のほつれを直す。花火の時間には旦那も息子も不在のうちの庭に真幸を誘う、その時は海翔の目を盗み良い雰囲気になってキスなどするかも知れない。宏子はそんな事を考えると、唇に念のため紅をもう一度濃く塗った。


「まあ凄い、宏子さんご自分で浴衣着付けられるの!それに着方も凛としていて素敵」


腰巾着の一人の美和子が宏子を誉めた。その横には浴衣ではなくごく普通のTシャツにレギンスといった出で立ちの真理佳が幼い娘の手を引き立っている。


「あら、佐野さん浴衣で来るって聞いていたけど」


宏子の言葉に、真理佳は目線も上げずに


「そのつもりだったんですけど、やめました」


とだけ告げた。真理佳は今年はラムネの販売の仕事を言い渡されており、せっかく出なくてはならないなら楽しもうと思い浴衣で行こうと考えていたが、それすらも町内の意地悪どもに文句を言われたので嫌になりやめたのだった。にも関わらず、宏子は上から下まで舐めるように真理佳を見ると


「浴衣や着物は段差を無くすのにタオルを詰めたりするから、自慢のお胸が強調出来なくなるものね。そのシャツなら体の線が出るから、浴衣より男性の視線は集めやすいわ」


と言った後、ニヤリと笑い


「なるほどね」


とも言った。


「あー!そういう意図だったのぉ!?宏子さんのように浴衣もきちんと大和撫子の着方をすればいいものを、わざとそんな男の気ぃ引く着方したがらなくても、ねえ!」


「町内の風紀が乱れて困るんですけどね、こういう人居ると。屈んで胸元とかわざと見せつけたりされたら…。うちは息子が年頃だし他の家の旦那さんも、中には下品さに呆れる人もいますよ?」


次々に投げられる美和子と由紀からの言葉に、真理佳は泣きそうな顔になった。


「だったらどんな格好をして参加したら、ご満足なんですか…」


精一杯の真理佳の抵抗の言葉に、宏子は


「え?聞こえない」


と意地悪く返し笑った。その時


「やめませんか?もう」


と言う言葉が聞こえ、一同は振り返った。そこには真幸と運搬係になっている町内会の男ども4人がラムネ瓶の入ったケースを持って立っていた。


「え…」


宏子が戸惑うと、真幸がケースを下ろし


「ミナちゃん、おいで。うちの海翔と一緒に出店回ろう」


と真理佳の娘を呼び、息子の海翔に託した。


「もうやってる店もぼちぼちあるから、出店回っておいで」


真幸は大人の小競り合いをミナや海翔に見せないよう遠ざけると、改めて女どもを振り返った。


「せめて手伝いを、と思って運搬係の皆さんに加わりラムネ運んで来たんですけど、先ほどから佐野さんに対して言ってる事は苛めじゃないんですか?今日だけじゃない、前々から聞こえていましたが…」


「な、何がですか?私達はただ主婦として、女性として歳相応の身なりを」


宏子が言い終わらないうちに、真幸は


「ラムネは僕が販売用に氷を敷いて責任持って陳列しておくので、皆さんは他の場所に運んであげて下さい」


と他の運搬係の男らを促すと、宏子の方を振り返った。


「相応の身なりでしょう、これ以上どうしろって言うんです?真夏に長袖長ズボンで来いとでも?前々から耳に入っていましたが、目に余りますよ。聞いたら以前も別の方を引っ越しさせるまでやり込めたそうじゃないですか」


それには美和子が反論した。


「言い掛かりよ!竹下さんの事なら実家に住むから引っ越しただけよ」


「そうさせたのは貴女方では?」


耐えきれず泣き出した真理佳に、真幸は


「ミナちゃんは責任持って送り届けますから、家に入っていていいですよ」


と声を掛けた。


「ちょっと、権限も無いあなたが勝手に決めないで。佐野さんは販売係なの、佐野さんが居なくなったら誰がラムネを売るの」


宏子が言うと、真幸はビニールプールに氷を敷き始めた。


「僕が販売しても同じでしょう?僕がやりますよ」


宏子は真理佳を庇い自分が仕事を引き受ける、という真幸の姿に胸が張り裂けそうになった。自分は真幸が好きなのに、庇われるのは真理佳で自分は彼から侮蔑の目を向けられている。彼女を苛めた女として。居たたまれなくなった宏子はその場を離れた。慌てて腰巾着二人もそれに続き、なんとかその日は表面上は笑顔を保ち花火大会の出店の管理をしきったが…。


花火が打ち上がる時間になり一応真幸の所に行ってみると、真幸はあらかた売り終えたビニールプールの傍らに、ミナと海翔と三人で座っていた。


「あの、係でも無いのにお疲れ様でした」


宏子が言うと、真幸は子供二人から少し離れた場所に移動した。


「いえ、自分が勝手をしたせいなので」


「佐野さんには確かに、行き過ぎた注意をしてしまったかもしれません。でもね?やはり一女性として、佐野さんにも品位を持って頂きたかったんです、私達は善意だったの」


「泣かせるまで言う事が、善意ですか」


「後でその点は謝ります、でね?」


宏子は自分が一番可愛いと思ういつもの首を傾げる仕草をして見せて


「でねでね?改めて、私達はうちのお庭で花火を見ませんか?本当に凄~く綺麗に見えるの」


と微笑んで見せた。が、真幸の視線は氷のように冷たかった。


「遠慮します」


「どうして?いいじゃない」


尚も言う宏子に真幸は


「あなたと一緒に見たくないからだよ」


とだけ言うと踵を返して子供らの元に戻った。宏子は全身に冷水を浴びせられたような気持ちの中、力なく歩き自宅に戻った。


何よ…真理佳なんて阿婆擦れ女より私の方が可愛いのに、結局真幸も股の緩そうな女に弱かったって事?あんな男を好いたりした自分が恥ずかしいわ。


花火が上がる爆音の中、宏子は爪を噛みながら悔し紛れにそんな事を思った。そしていつぞや麻由子に言われた


「私は、ひろにもし好きな男が出来たら全力で協力するし応援するわ。あなたのプライドの高い性格からして、よもや無いとは思うけど」


という言葉も思い出す。そのプライドを捨ててまで好きになったのに、昭一同様真幸からも全く相手にされないどころか、毛嫌いされた。庭のテーブルセットには真幸も居ないが夫の昭一も息子のダイキも居ない。夫も息子も、女と別の街の花火大会に出掛けているから。


麻由子、あんたより美人で気立ての良い私が、どうしてこんなに寂しくて惨めな思いをしなきゃならないのよ…旦那に尽くしたって男を好いたって、結局私は相手にされない…


宏子は沸き上がる怒りが押さえられず、浴衣の裾が肌蹴るのも厭わず庭に置かれたテーブルセットを足で蹴り上げた。


「え、何、庭のテーブルセットひっくり返ってない?」


恋人の家から帰る道すがらのダイキは、先に見える自宅の庭に置かれたテーブルセットが倒れているのが目に入った。そして手前の道に地元の同級生の女子らが二人居り、立ち話をしているのにも気付いた。


「あーダイキ、花火大会の打ち上げやるからおいでって、おばさんに言ってくれない?インターホン鳴らしても出て来ないの」


「熱中症とかじゃないよな、一度倒れてるから」


心配するダイキに、女子の一人が苦笑した。


「多分違うと思うよぉ?気まずくて出て来られないんじゃないかな」


「気まずい?」


「ダメだよ真弓、それ言っちゃ」


「ダイキのママさあ、町内の若いママの事前から何人もいじめてたんだよねえ。で、今日現場見られて注意されたみたいよ」


「何それ…」


「真弓ぃ、とにかくさ、あたしら大人達からダイキのママ呼んで来いとは言われたんだけど、出て来なかったって伝えておくね」


そう言うと、同級生の愛梨は真弓の手を引き去って行った。

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