第45話

「お母さん、スイカそろそろ冷えた~?」


朝から何も手伝わず居間を占領する宏子の声に、母光枝(みつえ)はうんざりしながら


「さっき頂いたばかりだから、もう少し入れておきなさい」


と言いグラスに氷を入れ麦茶を注いだ。


「え、私のは?」


光枝が自分の分の麦茶を持ち居間に行くと、当たり前のように宏子が言う。光枝は呆れながら


「自分が飲む分くらい、自分で持ってきたらどうなの」


と窘めた。


「いいじゃない、一杯注ぐのも二杯注ぐのも同じでしょ」


「あんた、まゆちゃん家でもうちみたいに上げ膳据え膳でまゆちゃんに何から何までさせてるの?うちは百歩譲ってあんたは娘だから甘やかしてるけど、まゆちゃんはやる義理無いんだからこき使っちゃだめよ?」


宏子は体裁が悪いので、麻由子に絶縁されたとは母親には言っていなかった。だからこそまだ季節ごとに麻由子の家に滞在していると思っている母親からの説教も聞き入れなくてはならず、宏子は苦々しく思いながらもとりあえず「はいはい」と携帯から目を離さないまま生返事を返す。


「明日には帰るからいいでしょ」


「あら、帰るの明後日じゃなかった?」


「そうなんだけど、町内会の仕事が忙しいから一日早く帰るの」


そう携帯で何やらポチポチ打ち込みながら答える宏子はどこか嬉しそうで、光枝はある意味感心しながら宏子に言った。


「あれだけPTAの仕事やったと思ったら、今度は町内会、熱心ねえ」


「私が居ないと回らないのよ♪」


そう母親に返す間にも、宏子のLINEにはメッセージが絶え間無く届く。


みわこ

「一昨日花火大会の寄付集めに回りましたが、玄関で応対した佐野さんの服装が相変わらずショートパンツとか下品だったので注意しておきました!」


田中由紀

「花火大会当日は何を着るか聞いたら、浴衣だそうです。どうせ着方も着崩して男性の視線を集める気です」


そんな文言を読み、宏子は頬が持ち上がる程ニヤついた。


☆ひろこ☆

「これは正当な注意であって苛めとかじゃありませんから。どうせいつものようにピアスやネイルもして、男性の気を引くのでしょうから当日改めてしっかり指導しましょう」


ママ友というネットワークを介し散々していた苛めが出来なくなった今、宏子の新たな活動場所は町内会になっていた。そこで去年から加入した佐野真理佳(まりか)が宏子の新たなターゲットとなり、化粧の仕方やスカートの丈を槍玉に上げては宏子は腰巾着の二人の主婦と共に、事ある毎に口煩く罵ったり聞こえるように陰口を言っていた。宏子の従える腰巾着二人もサレ妻であり、ちょっと目立つ美人などに宏子同様に憎悪を持つタイプなので三人は特に結託しては自分のサレ妻の鬱憤をぶつけられる、男性の目を惹く女を容赦なくやり込め時には引っ越しまでさせていた。


もう一方で宏子は


「帰ったらチョコチップスコーン焼かなくちゃ」


と呟くと、更に顔をニヤつかせた。


真理佳が引っ越して来た少し後、町内には中川真幸(まさゆき)という男も引っ越して来た。真幸は離婚して小学生の息子を連れ実家のあるこの市に戻ってきたそうで、実家には兄夫婦が居るので自分は息子と実家に程近いマンションを借りて住んでいるという。宏子が更に探ると真幸の出身校は一橋大学だそうで、勤めはITでリモートワーク中心の為子育てしやすいから真幸が息子を引き取ったとの事。


女房はおらず独り身で、容姿はスラリと背が高くアゴ髭に眼鏡とラフな中にも知的な雰囲気を持ち、何より人に威張れる大学の出身、宏子は知った瞬間胸が思わず高鳴った。そしてそれ以来何かと世話をしている。次は真幸の息子の為という名目で、スコーンを焼いて持って行くつもりで居た。


数日後、一つ一つラッピングしたスコーンを持参し真幸宅を訪ねる。


「いつもすみません、海翔(かいと)が喜びますよ」


そう礼する真幸は、背が高く宏子を見下ろしている。夫の昭一は背が低く中年太りでずんぐりしているので、宏子は自分より目線が上の真幸と会話していると胸がときめいて仕方がなかった。


「真幸さんの分も含めてますから、お二人で召し上がって。それと明後日の花火大会も、是非参加して下さいね」


「ああ、はい。俺も当日やれる事あったら手伝うんで…」


「当日はお当番になっている人が動きますから、真幸さんは海翔君と楽しむだけでいいのよ♪」


宏子は精一杯の笑みを返しながら言った。が、真幸の方は笑ってはおらず


「あの、この前佐野さんの家に田中さんの奥さん達が訪ねてるの、通り掛かりに見たんですけど」


と、何やら言いにくそうに話し出した。が


「いえ、何でもないです」


と最後まで話さず口ごもった。


「佐野さんが何か?ああ、多分見かねた田中さんが注意していたんじゃないかしら」


「見かねた?」


宏子は困ったという表情で、頬に手を当てた。


「佐野さん、ちょっと…まあ色々あるんですよ。町内会の仕事をお任せしてもやって下さらない事が何度かあって、その上…町内の男性の視線を集めたい?みたいな?服装や目線を男性に見せたりするから、私は気にならなかったんですけど、そういうのが許せないって、田中さんなんかは怒ってしまった事があってね」


「仕事がやれなかったって、草刈りの参加の事なら、あの日佐野さんの家全員インフルエンザに罹患していたって聞きましたけど」


「あ、あの時は仕方ないって分かってますよ?ただ真幸さん達が越して来る前もあったから。田中さんは正義感がお強いから、先日は何か言いたい事があったんじゃないかしら」


「そうですか」


「ね、それより花火大会当日は我が家の庭で一緒に花火を見ませんか?うちの庭からは遮るものが無いからよく見えるの。海翔君きっと喜ぶと思うから」


「行けたら、その時は」


宏子は息子ダイキにいつもするように、首を少し傾げ上目遣いで真幸を見た。


「約束ですよ?待ってます」


真幸は宏子のその言葉に、少し困ったように小さく笑った。


自分の見せた可愛い仕草に翻弄されるとは、真幸も意外と純なのだと宏子は帰る道すがら嬉しくなった。昭一の事はもちろん愛してはいるが、昭一以外の男にときめき、彼の為に菓子を焼いたり町内会を通して何かと世話を焼く事が今は楽しくて仕方がない。これはもちろん浮気では無いが、もし真幸から迫られたら、宏子は生まれて初めて揺らいでしまうかも…と感じている。


誰かを好きになるって、こんなに気持ちが幸せになる素敵な事だったんだ。


ママ友や麻由子や真理佳を確たる証拠も無いままに散々不倫女のレッテルを貼り罵ったり苛めて来たが、いざ自分に気になる相手が出来ると宏子は自分がして来た事は棚に上げ、自分の現在の気持ちを肯定した。そして真理佳の存在が尚も忌々しくなった。自分より華やかで綺麗な女が真幸の周囲に居るのは許せない、ちゃんと潰しておかないと。


帰宅後宏子は、割れて失敗したチョコチップスコーンを齧りながら妄想に耽った。


無論昭一もダイキも愛しているので家庭を壊すつもりなど無いが、真幸と逢引するようになったら人の目線を避け夜に約束し家を出て、真幸がいつも運転しているアウディの助手席に乗り込みホテルなどに行くのだろうか。別れ際には惜しむようにキスをして、会えない時はLINEで連絡を取り合って…。


宏子はそんな事を考えるうち、もう20年誰からも触れられていない体が熱くなるのを感じた。隣に死に損ないの義父が居り、いつ扉を開けるかも分からない中さすがに自慰などする勇気は無かったが。爺が居なかったら真幸を思い秘部に手を伸ばしていたかも知れない。

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