第40話
不倫恋愛に自由は無い。
二人で写した写真を所持する事も、会いたい時に会う事も、昼日中家の近くを並んで歩く事も、何も許されない。
分かった上で付き合ってはいても、会えない日々が募れば寂しくなるのは当たり前の事。けれど会社で毎日顔を合わせるような間柄じゃなく月一回か二回しか会わない麻由子と和弘は、飽きるのも遅く未だに新鮮さが続いていた。
「丁度去年の今頃、担当の相談員として会ったんだよね」
和弘のLINEを読みながら、麻由子は初めて和弘と会った日を思い返した。日に焼けた肌に引き締まった体、黒髪の短髪がツンツンと立っているのは今も同じ、バインダーとファイルを抱えた彼が窓口で対面で座り、笑顔を向けて来た時の印象は爽やかな好青年、というものだった。その相談員と付き合う事になるとは麻由子自身もよもや思っていなかったが、この一年は和弘との出会いがきっかけで劇的に変わった。
「もう一ヶ月会えてない、麻由子に会いたくて仕方ないよ。恋しい」
追って届いたLINEを読む。麻由子も同じ気持ちだが、麻由子にも和弘にも子供が居る。夏休みはどちらも我が子を優先し互いが自分の子の世話やレジャーに連れていく事に時間を割いていたので、会う時間を作れなかった。正確に言えば麻由子の側は会う時間はどうとでもなったが、和弘の方が平日はこの所帰宅が22時を過ぎ休日は家族サービス、お盆休みは帰省と時間が取れずにいた。
麻由子もまた、会う時間を作れという催促は絶対にせずただあちらから会いたいと言われるのを待つだけ。三週間は我慢が出来る。だが一ヶ月以上過ぎるとさすがに和弘からは家族ばかりを優先し、自分が蔑ろにされている気にもなった。
だとしても、文句すら言えない弱い立場なのだ。和弘と自分の間には何の契約も無く、和弘は麻由子に会いに来なくてはならない理由も義務も無い。それでも嫌われるのが怖くて、ほったらかされていようが麻由子からは何も言わない。この日も「会おうよ」とは言われないまま一日が終わった。
「フェスに来てる、アーティスト結構豪華だよ」
翌日来たLINE。友達となら“友達と”と書くだろうし一人で行ってもそう記すはず。あえて誰と、と書かないのは女房と二人だからか、麻由子はどうしてもそこに引っ掛かってしまい、つい
「奥さんと?暑いから熱中症気を付けてね」
と返してしまった。すぐに
「子供も連れて来てる。これからBLUE ENCOUNTが歌うよ」
と来た。結局女房とも行動しているのは同じ事。同じレジャーでも遊園地や動物園なら
“子供の為に出掛けている”
という図式になるが、フェスなど子供は主体ではない。
“夫婦が自分達の為に出掛けていて、子供は置いていくわけにも行かないから連れて来ただけ”
という図式になる。本来なら夫婦でのみ出掛けたかった場所に行っている和弘から、誰が何を歌っているなど教えられるメッセージは麻由子にとっては忌々しい情報なだけで全く必要ない。
「LINEくれなくて大丈夫だよ、楽しんでね」
いちいちLINEを寄越すなよという意思は伝えたいが、拗ねたり焼きもちを焼いていると思われたくも無いので、ぶっきらぼうな文に取られないよう文末に笑顔のマークを付けた。が、それからも和弘からは
「レジャーシート敷いて座ってる、暑い!」
「次はまゆと来たい、二人が共通で好きなアーティストの曲一緒に聴きたいよ」
など届く。麻由子も音楽は好きでよく聴くが、わざわざ真夏の炎天下にタトゥーだらけで煙草かどうかも怪しい煙を吐く観客らに囲まれ、長時間立ちっぱなしでまで歌を聴きたい程のアーティストは居ない。だから元々行かないし、まして子供が出来ても行っているなら女房と二人のデートの定番でもあったのだろう。同じデートなどしたくない。なので麻由子は思わず
「私は遠慮しておくね」
と、つれない返しをしてしまった。何かを察した和弘から
「会いたい、今もずっとまゆの事考えてるよ」
と来たが、なら時間を作れよ、何も二泊三日の旅行に連れて行けというわけじゃなく二時間でいいのに。そうも思ってしまう。こんな時の自分が、麻由子は嫌で仕方がない。どんなに他の男に求められようが、自分が好いた男から相手にされなかったら何の意味も無かった。落ちるばかりの気分の中、気晴らしに買い物にでも行こうかと思う頃、恵美から
「今日休みだよね?家にいる?」
とLINEが入った。
「恵美が誘ってくれなきゃもっと腐ってる所だった、ほんとにありがと」
フリータイムで入ったカラオケボックスで、麻由子は頼んだハニートーストを切り分けながら恵美に言った。
「分かるよ、辛いよね…会えないのって」
同じく人にはおおっぴらに言えない恋愛をする恵美が、実感を込めて言いながら麻由子が切り分けたハニートーストの乗った皿を受け取る。歌より食い気に走りながら談笑していると、バッグの中の携帯にLINEが入った。既読にしないようプルダウンし通知を見ると和弘からで「今一人になった、電話出来ないかな」とある。
「友達と居るから」
「出掛けてる?なら帰ってからは話せる?」
「何時に帰るか分からない」
「そっか、声聞きたかったな」
以降は返さず携帯をバッグに仕舞うと、恵美が
「電話とかするならしていいよ?私は出て喫煙所にでも行ってるからさ」
と気を使ってくれた。
「ああ、いいよ、恵美と話したくて出てきたんだもん」
「つれなくしたから、彼氏慌ててるんじゃない?」
「慌てないよ、いつも私が何言っても慌てたりしないし気にすらしてない」
三時間、話したり追加でフードを頼んだりたまには歌うなどして過ごし、恵美のお陰で和弘の事を考えずに済み麻由子は有り難かった。が、恵美と別れて帰宅し一人になればまた同じ。寂しさに苛まれる。家族が寝た後家事も入浴も終えた麻由子が一服していると、またLINEが入った。
「随分まゆと会ってないから、おかしくなりそうだよ。まゆを抱きたい」
麻由子は和弘から自分を求められる言葉を貰うのが大嫌いだった。その度、思い出したくもない言葉までもいつも同時に思い出されるから。麻由子は仲違いしたくないのに我慢出来ず
「奥さんと継続してセックスしてるって自分の口から言っていたよね?なら性欲が溜まって仕方ないなんてならないでしょう。あくまでスペアに置いてる方に会えなくても問題ないはず」
そう返信してしまった。
「まゆはスペアじゃない、それにこれまでは義務だったんだ。まゆを知って付き合ってどんどん好きになる中で、元から夫婦仲は悪かったから本当にいよいよ嫌気がさして出来なくなった。あれからずっと無いし今後も無い」
麻由子にとって、和弘の吐いた夫婦間に性生活がまだあると言った言葉は呪縛となり、交際にいつも暗い影を落とし自分を好きでもない男に走らせる。麻由子は心底好いている分同じだけ和弘を恨んでもいた。麻由子は和弘のメッセージを読み、泣きながら
「その嘘を、もう少し早く言って欲しかったよ」
と打ち送った。
「嘘じゃない」
「それでも私は、あなたを嫌いになりきれないの。やる事全てが可愛くて仕方なくて、貰ったプレゼントは宝物」
「いつも傷付けて本当にごめん、でもまゆが居なくなったら俺はダメになる、お願いだから別れないで。体の結び付きが欲しいんじゃない、まゆと話せなくなったら、まゆとただ会って一緒に歩けなくなったら、それこそが本当に辛い」
麻由子は不倫に走った事に罪悪感は無いが、走った自分を愚かだとはいつも思う。浮気男が女を引き留める時のテンプレートような言葉にすがり、きっぱりと捨てきれない自分を。不倫とはまさにこういうもので、相手の言葉や態度にすがるより他無いのだ。嘘であろうが御仕着せの言葉であろうが、自分が相手を好いているうちは受け入れ許すより他ない。
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