第39話

自分を何度鏡に写しても、美しいはずがない。


だが抱く男達は皆誉め、16歳下の男すらも自分を抱いた後交際を望んだ。無論ここで言う交際は結婚を視野に入れた真剣なものとは程遠く、今後も定期的に体を使わせてくれ、というだけの事。その程度の求められ方だとしても、自分にそこまで需要があった事が麻由子は今でも少し信じられない。どの男もそこそこ良い男ばかりな事も、そして何より自分が本命、しつこく迫る男、軽く迫る年下、それぞれにバレずにしれっと上手く付き合えている事が何より一番意外だった。会うのは和弘が月一回か二回、大輔は二ヶ月に一回、どちらも仕事終わりの二時間程度会うくらいで、和弘との遠出も三ヶ月に一回程度なので生活に支障もない。


「付き合わなくていいからさ、どうしても溜まったらさせて!」 


懇願する良介を、麻由子は軽く交わしながら助手席に乗る。


「今日の欲求不満は私が解消したけど、今後は自力で他見つけて。良介君ならすぐ見つかるはず」


「そんな簡単に見つからないよ、それに今は麻由子さんとしかしたくない。今までの誰より良い具合してるし、何より可愛いし優しいから。付き合ってる男の邪魔はしないよ、だからたまにでいいの、お願い」


家の近くに車が着くまで良介に口説かれたが、実際麻由子はこの歳で25歳の良介を月何度も相手するのはかなりキツくなるだろうなどと考えていた。そもそももう会う気は無いが、もし定期的に会うようになったとしてもこちらの身が持たない。


「若い男性に必要とされた事は誉れよ、でも一度でたくさん。あんな元気一杯のセックスなんて何度もしてたら本当に身が持たないから」


降り際に麻由子が笑うと、良介は降りようとする麻由子を左手で制しキスして来た。


「同年代の男に物足りないって感じたら、また遊んで」


「一体うちの会社の何人をそうやって食べてるの?仕事場で何度も寝る相手なんて作りたくない、そのうちあなたに本気になった誰かに嗅ぎ付けられて刺されでもしたら、たまったもんじゃないし」


「無いよ、俺も仕事場で顔合わせる女性誘ったのは初めてだもん。欲しければいつもマチアプとか飲み屋でナンパとかだった」


「だったら今後もそうして」


「そんなつれない言い方しないでよ、一度寝た仲じゃん」


昨夜の事を思い出す。良介には交際している男が居るのも知られているし、互いに恋愛感情が無いので断りやすくもあった。そして付き合いはしないが、それでもやはり年下に求められた経験は麻由子に更に女性としての自信を付けさせた。見目麗しいわけでは無いが、男らが言うようにどうやら自分からは自然と男を誘う色気が出ているらしい。尤もイッチーに言わせれば色気ではなく毒らしいが。


宏子のように一人の男に操を立てようが自分のように迫られれば断りきれずに寝ようが、死ねば皆同じ。等しく骸になって焼かれるだけ。ならば生きている間に色々な経験をした方が良い。ただ自分から求めているわけではない、寄ってくる者をただ受け入れているだけの事。


麻由子はそんな、美しいわけでもないのに男が寄ってくる自分を最近は肯定するようにしている。そして家族の世話も家事も仕事も、誰か一人に夢中になり過ぎて疎かにしたりもない。全て完璧にこなした上で好きにやっているのでやっぱり罪悪感も無かった。若い頃より全てが劣った今の方が男を惹き付けるなら、それは麻由子が培ってきた経験等様々なものが、そうさせるのだろう。麻由子は今の自分が決して嫌いではない。


「随分、生きたいように生きてるじゃない」


麻由子は自分にそう声を掛け笑った。良介が入れ替わるように、大輔の方は転勤でここを離れ簡単に会う事は叶わない距離となった。それでも恋しがるDMは来るが、大輔自身も会社帰りに会える距離ではなく、休日は休みが合わなければ日帰りで会うには一日がつぶれる距離なのでどうにもならないと分かっているらしく無理は言わない。


外はいつの間にか雨。仕事の無いこの日は麻由子は娘は学校、夫は通所施設で朝から一人家に居り、今は雨音を聴きながらコーヒーを飲んでいる。


愛していない旦那に操立てなどしたくなく、死ぬまでにもう一度だけ抱かれてみたかった。ただそう思っていたが、結果は和弘と知り合い付き合うようになり、押されて大輔とも良介とも寝て、挙げ句の果てに半分男である女からも言い寄られて今に至る。この一年の麻由子の性事情は今まで何も無かったのに急に慌ただしい。


麻由子はカップの中のコーヒーを見つめた。先程は死ねば皆同じ、等しく骸になって焼かれるだけと思ったが、焼かれた後なら宏子と自分は大違いの道になるだろう、とも思う。閻魔に極楽行きを命じられるのは夫にしか体を許さなかった宏子の方で、不貞をした自分は殺しより軽く、盗みより重いいずれかの地獄に落とされるだろう。その光景を見た宏子は自分を嘲笑うはず、その時こそ宏子には


「男から夢中になられる日々は、たった一人の男にすら相手にされないお前の尼僧のような暮らしよりはるかに楽しかったわ。その尼さえ隠れてやる事やってるのに、三十路になるかならないかで誰からも相手にされず股に蜘蛛の巣を張らせるお前みたいな枯れた人生送るなんて、私には耐えられなかった。だから今この時でさえ、誰にも謝る気は無いし後悔も微塵も無い」


と叫び、笑って中指を立ててやろう。


麻由子は全く反省の無い自分の叫びを聞かされた宏子の顔や閻魔の様子さえ想像して笑うと、コーヒーを一口飲みカップを置きソファーの背もたれに背を付けた。ただ、宏子も麻由子も本当は大差ないとも分かっている。


宏子は愛しているのに愛されない


自分は一応は想い合っているのになかなか会えない


どちらの女も愛しい男を思っていながら手に入れられず、寂しく一人寝する辛さを味わっている同族だ。


目を閉じれば、一番会いたい男が目蓋に浮かぶ。自分によく懐くが調子に乗って飼い主の麻由子を何度も怒らせ、反省も無い。手が掛かる、それでいて可愛くて仕方ない大型犬のような和弘がひたすらに恋しい。麻由子は和弘を思い出しながら、いつの間にかうたた寝をしていた。


その麻由子を揺り起こす、手。


うっすら目を開けると、通所施設から帰った夫の祐志が麻由子の顔を覗き込んでいた。愛しい男を思い浮かべながら微睡み、目覚めれば目の前には見たくもない顔。麻由子は子育ても家の全ての手続きも家事もトラブルが起きた時の対処も家族の看病も、全て自分が一人で負わなくてはならなくなった原因となった上、漏らした糞の処理までさせる男の顔がまるで自分にキスでもしそうな距離にある事に絶望を感じた。


「…私はほんの少し、うたた寝する事も許されないの?」


睨むように見返しながら麻由子が言うと、祐志は声にならない声を漏らした。


「起こすからには、用があったのよね?」


「あぅ、ただ、いまって」


「ただいまを言う為にわざわざ起こしたの?」


米神の血管から血が吹きそうなくらい怒りを含んだ顔で問う麻由子に、ばつが悪そうに


「うん」


と答える。横っ面を思い切り叩いてやりたい衝動を必死に拳を握って抑え、麻由子は大きく息を吐いた。


「今後は緊急事態でも無い限り、私が寝ていたら起こさないで頂戴。次またやられたら、あなたを殴ってしまうかも知れないから気を付けて」


家に関する何もかもを一人でやり、役所から来る手続き関連も祐志の障害者福祉に関わる申請も更新も介護も全て請け負い、合間に働きもしている。なのにせっかくの休日に数分眠ればくだらない事で揺り起こされる、麻由子は日常いつもこのような強いストレスに晒されている。祐志は倒れる前から麻由子にストレスを与えるだけの存在で、今もそれは変わらない。罵声や暴力が苛立つ所作や糞便の失禁などに形を変えただけ。こちらの意思は通じるのに、具合が悪くなれば「我慢せずに伝えて、吐き気があるなら袋に吐いて」と頼んでも散々我慢した上に、我慢しきれなくなり寝具にも絨毯にも吐瀉物を撒き散らす。


麻由子にとって、祐志はもはや虫ケラ以下の存在だった。が、それでも捨てずに居るのは祐志の親は老齢で面倒が見きれないから。施設に入る程の年金額は祐志の障害状態では出ず、誰かが必ず面倒を見なくてはならないが誰も居ないから。捨てきれず情を持ってしまう、そこが麻由子が他の男からも執着される所以でもあった。ただもう、一人の男としては顔を近づけられただけで吐き気を催す程嫌悪が沸く。麻由子にとっては祐志はイッチーと似たり寄ったりの存在だった。

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