第34話

所詮は潤うのも、水を与えられた直後だけ。情事の翌日着替えの際に胸元に付けられたキスマークを見ると、前日を思い出し体が再び火照る。けれどそのキスマークも日にちが経てば薄くなり一週間もすれば消え、会えない日々が二週間、三週間と経過すれば麻由子はまた枯れる。その間にも、求めていない相手からのDMは止まない。


「最初ばかり良い顔しやがって、後から嫌がるとかふざけるなよ、こんな事ならお前なんか抱くんじゃなかった」


大輔からの恨み言が書かれた文面を読んだらもう一通にも目を通す。


「またプロレス観戦で東京方面に行くから、食事しよう。もう無理やり触ったりキスはしないから。まゆは優しいから聞いてくれるだろ?楽しみにしています」


大輔からのDMにも苛立たされるが、イッチーからのDMは更に上を行く。どのツラを下げて楽しみなどと抜かしているのか、読みながら白豚のような皮膚の感触や口臭を思い出すと、麻由子は身震いした。


「抱こうにも、ペニスが無いのにどうしてレイプしようとしたの?」


そう返信したら、イッチーは恐らく怒り狂うはず。その部分の尊厳だけは破壊せずにおいてやっているのは、麻由子の最後の恩情だった。注射も手術もしていない太った中年女そのものだが、自分が男と変わらぬ容貌をしており誰をも欺けていると信じて疑わないイッチーは、自分に男の要素が無いと改めて指摘される事を一番嫌い恐れるはず。しかも自分が熱を上げている女から言われたら、怒りに任せて家の近所まで来かねない。


「私は、男からなら多少強引にレイプまがいの抱かれ方をされても嫌じゃない、むしろ興奮するくらい。でも自分勝手で口臭も汗の匂いもキツくて不細工なペニスも無いブタ女に、いたずらに体をいじり倒される事には鳥肌が立つし反吐が出る、本気で気持ち悪いわ」


とも送ってやりたい。それくらいイッチーからの所業は麻由子にトラウマを植え付けたが、結局言えばただでさえ威張る癖して豆腐より弱いメンタルのイッチーを自殺に追い込むだけで、自分に利は無いので言わずに無視する事に。無視をしていても勝手にDMは入るが


「フォロワーの○○が、最近離婚されそうらしいよ」


など振ってくる噂話は実にくだらなく、本当の男なら興味も湧かない分野ばかり。どちらかというと宏子や友達と言えども形ばかりのママ友連中が大好きな低レベルな人の詮索がメインの内容で、麻由子は思わず笑ってしまう。俺は男だ!と胸を張るわりに、誰よりも話す内容は頭の足りない女そのものだから。こんなアンバランスな精神だからこそ辛いのだろう、とも同情が沸くが、だからといってLGBTを優遇せよ、女は言う事を聞き自分を受け入れろ、という発想までは許せない。


何よりまず、麻由子には身だしなみもまともに出来ないヤツが誰かに愛されたいと求める事が、身勝手の極みだと感じている。これはオタクと呼ばれる青年らが、美少女に愛されたいと願う身勝手さにも通じると思っていた。無駄毛や匂い、ケアでどうとでもなる部分すらそのままで誰かに受け入れて貰おうという、イッチーは頭がおかしい。


大輔は必ず香水を使う男で、メルセデス・ベンツのオードトワレを愛用している。香りに気を使うくらいなので無駄毛や匂いなどもあるはずがなく、彼はいつも身綺麗にしている。子供がおらず高給で共働きなので、使える金もそこそこあるから私服も仕事用もハイブランドで揃えていた。


和弘は仕事の性質上香水もアクセサリーも禁止されているが、夏場の仕事終わりにさえシャワーを浴びる前でも、彼から匂いを感じる事はなく麻由子はすぐに口で奉仕するのも平気だった。和弘の方が「待って、シャワー浴びないと悪いから」と慌てるが、麻由子は和弘の体臭を認識した事が無い。当たり前だが服も髪も、過剰な香りは付けないが大輔同様いつも清潔にしている。そして麻由子の好みは洒落気が多い大輔よりむしろ和弘で、ハイブランドはキーケースや小物のみ、普段着はブランドじゃなくともセンスが良く何でも似合っていて麻由子は彼の装いも大好きだった。


そして麻由子自身も、特に女は男以上にケアが必要なので怠らず、日頃から眉毛を始め全身の毛を整えるか除毛しており、和弘と付き合う少し前から陰毛も綺麗に剃っている。髪も肌も湯上がりは必ずクリームで栄養を与え、香水は気に入りの5種類を気分で使い分けていた。陰毛の無いツルツルとした感触は和弘より大輔の方が好み、抱く度に喜ぶ。


そして香水は和弘が喜んだ。特に麻由子自身が一番好きなIGNIS io(イグニスイオ)シアーグリーンの香りは、和弘も好きだと言い会う度に麻由子の首筋に顔を埋める。


誰であれ最低限のケアくらいするものを、ギラギラした皮脂も鼻毛も口臭もほったらかしで90kgを突破するまで太り、その上一切改造していない女の体でノンケの麻由子に対し「自分を愛してくれ」とは、どういう思考回路をしているのかと理解に苦しむ。LGBTはナルシストも多く下手をすればそこらの女より美意識が高い者ばかりかと思っていたが、イッチーのような者も居るのだと逆に思い知らされた。


不倫にも様々な形があるが、男は体の構造上完全に性欲のみの不倫が可能だと思う。精液が溜まり、定期的に吐き出さないとならない体だから。逆に女は性欲のみで不倫をする女は少ないように思う。溜まるものが無い女は、寂しさから不倫に走る自分のような者が圧倒的なはず。その寂しさから男を求め射止められた女は、ますます自分に夢中になって欲しくて自分を磨く。元からの容姿はたいした事が無くても、髪も肌も綺麗に保ち服やアクセサリーで自分を飾り、言葉や気遣いを駆使し男を掴み続ける。


まさかその自分が“男の為にしていた”行為に、男以外まで寄ってきてしまうとは麻由子も想定外だったが。


本命の和弘には会えず、大輔からは罵倒され、問題外のイッチーからは図々しさの極みのような申し出をされ、麻由子はイライラが最高潮に達しスマホをベッドに投げて階下の台所に降り、換気扇を回すと煙草に火を点けた。どんなにやめたくとも、こいつらが自分の禁煙を阻む。それにも苛立ちを覚えながら、麻由子は大きく煙を吐き出した。


一服し部屋に戻るとLINEの通知が入っており、今度は和弘から。愛しい男すらも、今日は麻由子を苛立たせた。


「俺は今日は有給取って、朝から子供の学校行事に出ていたよ。すっかりママさんから顔を覚えられてるから、PTA会長とかの話が来そうでちょっと怖い」


「フルタイムで仕事してるのに、かずしか学校に関わらないって凄いね。私は逆に一度も旦那が行事に出た事無い」


「奥さんも仕事してるからね」


私だってフルタイムで仕事している中、一度も旦那の協力などなく娘の学校に関わっていた。女房を労うような言い回しに更にイラッとなった麻由子は


「奥さんは、かずに思われて幸せね。私にはそんな風に思ってくれる人は居ないから」


と送る。籍を入れてるわけじゃなく保証も無い自分に「まゆの事を一番に思ってるよ」くらいの言葉が欲しい。そう思い送った文には


「まゆには娘さんがいるじゃん」


などと返る。


「奥さんには、仕事してるから俺が子供の学校の用は全てやるよ♡で、私には『お前には娘が居るだろ』なんだ(笑)」


この無神経野郎、麻由子は和弘の事すらどうでも良くなると思うまま文字を打ち送信した。


「違う、そういう意味じゃない。娘さんも俺も居るって意味。だって、まゆだって私にはそんな風に思ってくれる人居ないって言うから…」


そう入った後すぐ


「俺は?とも思ったんだ」


とも。確かに麻由子の言い方も、和弘はまるで必要じゃないという言い方をしている。にも関わらず苛立っていた麻由子は、そんな事より女房へのハートマークは訂正しないのかよ、と思い、そのうち何もかもどうでも良くなり返信も返さずスルーした。すると「ごめん、また悩ませちゃった」と来たので


「なにも悩んでない」とだけは返す。


別れても構わないから、悩んでないよ。麻由子はそう思うと、その日は誰にも返信せずに就寝した。

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