第30話

「会えなくなったら死ぬからな、お前のせいで死ぬんだぞ」


麻由子はうんざりしながら大輔からのDMの文面を読むと


「勝手にして」


と返す。


「勝手にしろって事は、俺に死ねと言ったんだよな?俺にそんなに死んで欲しかったのかよ、俺を自殺に向かわせて満足か」


「死ぬって言ったのは自分でしょ?」


「お前がそれを助長させたんだ、俺が死ぬのはお前のせいだ」


呆れた麻由子が返信をやめても、大輔の吠えるDMはやまない。


「謝れよ、俺に死ねと言った事を。謝って元の鞘になれ。じゃなかったら遺書にお前に死ねと言われたから死んだと書いて死んでやる」


「俺が死んだら満足か、俺が居なくなったら良いと思ってるんだろ」


一見狂っているようで、大輔は至って冷静にこの文を打っている。マイルドサイコパスは人を自分の手元に引き留めたい時、優しさを見せたり情に訴えたりはしない。相手の些細な落ち度や失言を見つけてそれを逆手に取り、相手がしつこさに参り降参するまで繰り返し責め抜く。この場合は自分の発言をまるで麻由子が言ったようにすり替え、それを繰り返し責め麻由子が「もう分かった、私が悪かったから!」と泣くまで大輔は繰り返す。そして大輔はその作業に全く疲労しない。自分が操りたい人間を操るべく必要な“作業”をしているだけだから、疲れる事が無かった。


そして彼の脳には初めから「好きだから側に居て欲しい」という言葉に頼る気も、プレゼントなどに頼る気も無い。女の引き留め方もどこまでも自己中心的であり、その行動が相手が苦しみ余計に自分を嫌う悪循環になるとしても気にしない。優しさで機嫌を取って自分の元に戻らせるのも、責め抜いて最終的に疲弊しきって自分の元に戻らせるのも、彼の中では同じ事だった。


「俺が死ねば満足なんだろ?なあ。俺と付き合わないなら死ぬからな、お前のせいで」


飽きもせず繰り返す大輔のDMの通知が入る傍ら、検索でサイコパスの行動を調べ麻由子は大輔がまさにそのものであると実感し、思わず天井を仰いだ。とんでもない男に好かれてしまったのだと、今頃気付いてももう遅い。


サイコパスには他人の痛みに対する共感が全く無く、自己中心的な行動をして相手を苦しめても快楽こそ感じさえすれ、罪悪感など微塵も感じないのが特徴なのです


そんな説明文を読み、今まさに自分がされているDMでの繰り返す責めがそれに該当すると実感する。よもや快楽まで感じているとは。麻由子は絶望的な気持ちになりながらも、大輔のDMの返事はせずにいた。但し実際に行動する事など絶対にしない、死ぬ事はおろか貼り紙をして回るなどの嫌がらせすらも、自分の社会的地位の方を重んじるから実行はしない。あくまでしつこい脅しで麻由子本人を疲弊させる事しか。麻由子は途中からDMを無視すると、LINEに切り替え未読だったいくつかのメッセージを開けた。


一つは和弘から。


「明後日は7時で仕事終わりそう、夜久しぶりに会わない?」


一つは地元の友人の恵美から。


「うちの子もやっと小学6年になって、夜に2時間くらいなら一人で留守番出来るようになったよー。ランチは行ってたけど夕食は何年も行ってないから、今度行かない?」


との事。和弘に先に返信をする。


「今日は隣町のグループホームの入居者の皆が作った、蜂蜜入りのお菓子の製造の様子を視察して来たよ。試食も美味しかった」


「私買いに行った事ある、美味しいよね」


「蜂蜜より、まゆの蜜の方が俺は美味しいけどね」


「もう(笑」


「まゆに蜂蜜かけて食べたら、更に美味しくなるかな」


「美味しくないよ(笑」 


「いや、美味しいはず。いつかほんとに蜂蜜持参していい?」


そんなやりとりの後会うアポイントを取り、恵美とも夕食を一緒に食べる約束をした。


子供が小学生のうちは、麻由子もそうだったが母親は夜に子供を留守番させ自分が遊びに出るなど叶わず、そもそも18時を過ぎて外に居る事が残業か外食以外には無く稀でもある。6年生になったり中学に入る頃やっと母親達は自由が戻り、友達と夕食するくらいの行動が許された。恵美の場合は友達と夕食を解禁する前に…


「えぇ!?元彼の晋ちゃん!?」


麻由子は出来る限り小声にしたが、それでも驚きで上擦った声を出してしまった。串揚げを齧りながら恵美は


「実は晋ちゃんとは二年前にホームセンターで買い物中に偶然会って、LINE交換してから付き合ってたの。20歳の頃別れてから連絡し合って無かったんだけど、なんていうか…焼け木杭に火ってやつ?」


と告白した。


「夜に会う時は旦那が早く帰る日で、子供見ててくれる時にね。会うペースは週二回くらい」


聞きながら麻由子は、月に良くて二回の自分と和弘より会える頻度が多くて羨ましいと感じた。


「で、なんでまた今になって晋ちゃんとの交際打ち明けたの?」


「まゆは、不倫してる私を蔑んだりしないかなって。中には知ったら絶交したり言いふらしたりする人も居るけど、まゆとは付き合い長いけどどんな秘密も他人に漏らすような性格してないって、知ってるから」


恵美はサワーを一口飲むと、ばつが悪そうな顔をした。


「それでも、不倫が許せないと思ったら全然はっきり伝えてね。そう言われたり距離置かれても当たり前の事って、自分でも分かってるからさ」


そして恵美の視線が下がり、悲しげな表情になる。


「不倫は、誰にも相談が出来ないんだよ。職場の同僚にも姉妹にも、友達にも。だから悩んでも愚痴れないし解決法が欲しくても聞けない。そんなの分かった上で付き合ってるんだけどね」


その気持ちは、和弘と付き合っている麻由子が一番良く分かる。


「友達の中でも、優しいし人を馬鹿にしないまゆなら言ってもいいかなって。勝手な思いで選んだりしてごめん」


謝る恵美に、麻由子はノンアルコールビールをぐいと煽ると


「今まで二年、何かあっても誰にも言えずに苦しかったね。私は恵美を絶対に責めたりしないよ。結婚してたって誰かを好きになるなんてある事だから」


麻由子は自分に重ねて言った。


「そう、苦しかった。まゆは…結婚してから誰かを好きになった事はある?」


答えにくく、また先に正直に言った恵美には嘘偽りは言えない質問が来た。麻由子は隣の卓に他の客が来たのでその場では


「好きになった経験はあるよ、この話は…詳しくは店変えてゆっくり話す?」


と恵美に河岸変えを提案した。串揚げ屋で他の話題と共に盛り合わせや釜飯を堪能した後は、二軒目に麻由子は以前から行ってみたかったシーシャBARを提案してみた。シーシャとは水煙草の事で、水蒸気と共に燃やした煙草の葉の煙を吸う嗜好品。準備に手間が掛かる為、個人で自宅で楽しむより専用器があり吸うレクチャーをして貰えるシーシャBARが最近人気らしい、と麻由子は知り、以前から一度行きたいと思っていた。


大人しか出入りの出来ない店で、シーシャを燻らせながら先ほどの話題の続きを話すのはうってつけ、と恵美も賛成し、検索し食事した店から車で更に10分程行った場所にあるシーシャBARに行く事に。初めて行く店で少し緊張したが、扉を開けるとストリート系のファッションに腕にタトゥーを入れた若い店長の居る店で、気負う程高い値段でも無さそうなので麻由子は少し安心した。格式があるBARではなく、店内はかなり暗く音響の良いオーディオからは重低音が効いたハウスが流されており、DJの居るクラブの方が雰囲気が近い。店長の案内で二人はソファーセットに座った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る