第29話

去り際、義父の部屋になっている和室の窓からパジャマの下もオムツも脱ぎ、下半身を丸出しにして窓に張り付き自分を見る義父の姿が目に入る。挨拶した所で、もう自分の事も誰か分からないはず。


宏子はこれからもこの家に義父と二人きりにさせられ続け、義父が死んだら一人になるのだろうか。ダイキが結婚したがったら反対し別れさせるか同居を強要し、昭一が老齢で性欲が衰え愛人を飼いきれなくなり家に戻る日を、夢に見ながら。


歩きながら麻由子は、何の保証も無い不倫相手でしかない自分は、何を和弘に望むだろうとも考えた。今は現状維持を互いに望んでいる。でも将来は…。


外的要因で別れが来るなら、それはどちらかの『死』であって欲しいと麻由子は望んだ。あちらの女房にバレる形は絶対避けたい、それは慰謝料や裁判などのトラブルより何より、勝手ではあるが悲しませたくないから。和弘の職場と麻由子の自宅の距離が遠くなったせいで会う日が月二回程度に限られる為、バレる確率は低い。そのペースは今後も変えずに行きたいし、出先で風景写真は撮るが顔まで入れたツーショットなども証拠になるから一切撮らない。そして終わりはセックスがしにくくなる60代頃、どちらかが


「癒えない病に罹ったから、このまま入院になり手術になり、思うように会えなくなる。だからこのメッセージを最後に関係を終わらせたい。自分の人生であなたは最後に愛した人です。今まで幸せでした、ありがとう、このまま死ぬ事があっても臨終まであなたを愛し続けます」


とメッセージを送り終わらせたい。二人を別つのが他者でもどちらかの飽きでもなく、そのメッセージの先にあるであろう死ならば納得して終わりに出来る。例え本当に病気にならなくても良い、そろそろ入院手術が現実味を帯びる60歳を過ぎ、かつ潮時だと感じたらどちらかが送ればいい。これが麻由子が望む、誰も泣かせず自分も振られたり無理に別れされられる悲しみが無い、理想の終わりだった。


始まりがあれば必ず終わりもある、その終わりを避ける事が出来ず必ず痛みも負わねばならないなら、こんな最後が良い。


元々今日は、仕事で宏子の住む町に来たついでに荷物を届けに来ただけ。宏子の家に寄った後は、麻由子は仕事の一環で支社に寄り、用を済ませ直帰すべく帰りの電車に乗り込んだ。昼日中の郊外に向かう下りの電車は空いていて、自分以外には車両には初老の男性が一人居るだけ。前に立っている乗客も居ないので、麻由子は足を組み斜めに座り背中にある窓の方に体を傾け、景色を見ながら過ごした。


車窓を眺めながら、先日の大輔との逢瀬を思い出す。思い出しながら、全く自分もあっちの男こっちの男と思いを馳せる相手がいて困ったものだ、宏子に罵倒されても文句を言える立場じゃない、とも。


「嫁さんとなんていつ別れてもいいんだ、あいつにも男居るだろうし」


「男って、ただの推測でしょ?」


「居ようが居まいが、俺ももうどうでもいい」


大輔はそう言いながら、半身を起こすと麻由子の上に乗った。


「なあ、再婚しようよ」


「しない、私は自分が自由にやる代わりに、娘の人生を自分の都合で変える事は絶対しないって決めてるから。私も自由にするけど、娘の自由も侵害しないの。私の再婚であの子に血の繋がらない父親と暮らす苦労なんて、負わせたくない」


「じゃあ、娘ちゃんが成人したら?」


乳房に吸い付きながら大輔が言う。


「したって、生活を変えるつもりは無い」


「つれないな、そんなのかなり先なんだから『その時はしようね』くらい言ってよ」


「かなり先って、あと7年くらいのものだよ?」


「あれ、そんな大きいっけ。なら7年後は俺の奥さんになって」


「ならない」


大輔が二度目の挿入をする。


「じゃあ今は彼女って立場で我慢するよ」


「彼女でもない、ただたまに寝る相手で、それもあなたが転勤したら解消」


「解消出来ないくらい、俺はまゆにハマッて抜け出せないの。この中の感触…本当に今までの誰より最高で、まゆを離せない。それに可愛いし好みなんだよ、まゆ大好き」


大輔は麻由子を抱きながら、あらゆる言葉で誉めた。誉める言葉などたいしてくれない和弘に比べれば、大輔の方が女慣れしているからか女が喜ぶ言葉をよく麻由子に寄越す。けれど、麻由子は大輔にやはり友人以上の気持ちは持てなかった。大輔は和弘より少しだけ背が高く細身で色白、目が大きく髪がストレートでセンターパートをしており和弘とは全く違うタイプだった。見た目は悪くなくセックスの相性も良いのに、これこそが麻由子自身の“好み”による所なのだろう。麻由子は和弘のツーブロックでツンツンと立つ硬い髪質も、細い目も、笑うとただでさえ細い目が無くなる所も、引き締まった体も野球で焼けた黒い肌も全てが好みだった。


目を開けると最寄駅の一つ手前、そろそろ降りる用意をしないと、そう思い麻由子はバッグに携帯を仕舞おうとしたが、通知が来て震えたのでもう一度ディスプレイを見た。


「明後日の夜、会えない?」


和弘からではなく大輔から。頻繁に会いたい程気持ちも無いし面倒なので、麻由子は適当に理由を付け断る事に。


「その日私帰り遅い」


「じゃあ来週の火曜の昼間は?」


「仕事」


「じゃあいつなら空いてる?」


「前にも言ったけど、仕事以外の用事もあるから合わせるの難しいよ」


「合わせてよ」


「無理言わないで、私は仕事以外にも子供居るから子供に関する用事も入るし、旦那の世話もあるんだから」


「月一、二回くらいどうにかなるだろ」


やりとりは麻由子が駅に着いてバスに乗っても続いた。


「私にも生活があるんだよ?考慮して」


「ガタガタ言わずに時間作れよ、明後日の夜は何時になっても待つから」


大輔の口調が強まった。


「出られません」


「家の周りの電柱に、お前が不倫してる事実書いた貼り紙されたくなきゃ来いよ」


「脅迫?スクショ取っておくよ」


「俺は別れる事になろうがどうでも良いし、どうせ地元離れる身だから痛くもない。お前は違うよな?子供の学校生活にも影響する」


「されたら私も同じ事を、あなたの勤め先にやるけど?女房はどうでも良くても、仕事は失いたくないはず」


麻由子はイッチーにも大輔にも脅しの言葉を掛けられた事に、呆れて頭を抱えた。どいつもこいつも言いなりにさせる為なら厭わず脅すが、脅しておきながら『自分を好いて欲しい』などとほざく。誰がお前らなどに好意まで持つか、と麻由子は頭で毒づくと、以降は大輔に返信はしなかった。


そして自宅に着くなり今度は当のイッチーからもDMが。大輔はまだしも、こいつは勝手に好意を持ち無理やり手を出しているから一番たちが悪い。肉付きが良い、という次元をはるかに越えた怪物のように太りケアを一切しない醜い巨体に襲われた時の事を思い出すと、未だに吐き気が甦る。


「昨日の投稿、肩を出したニットなんか着た写真をあげたりして、男を誘っているのか?」


「削除しろ、俺が許可しない写真は載せるな。肌を出した写真は出すな、華やかなアクセサリーを着けた写真も不可だ」


麻由子は文面を読み


「何様?あなたは私の何なの?どの目線から指図してるの?二度と私に接触するな」


と打ち返した。イッチーは虚勢を張り威張り腐る性格だが、強く言われたら縮む性格でもある。


「接触するな、は無いだろ?俺はお前が変な男に狙われないようにと思って、気を回してやってるんだ」


と返る文面に、麻由子は


「騎士にでもなったつもりなの?性格も悪い見た目も醜い、白豚みたいな騎士なんか要るかよ」


と、つい声に出してしまった。

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