第27話

「とにかく、もう関わらないで」


「分かった、もう会わないよ。ただ約束して、インスタグラムは繋がらせて。もうコメントのやりとりも一緒にインライするのも求めないから」


「本当に嫌」


「俺はお前の家を知ってる、断ったら何でもやれるんだぞ?子供も旦那も居る家に押し掛けられたり近所に向かって騒がれたら嫌だろう?だから黙って聞けよ」


麻由子は唇を噛んだ。イッチーは麻由子に近づいた初めの頃、自分を女性と偽っていた。「私は」という呼称を使いわざと適当にコスメブランドやアパレルブランドの名称を自分から出し、友人になるまで巧みに自分を擬態させた。そして世間話の中


「まゆって○○がある県に住んでるの?」


「その県だけど、○○に行くには車で二時間くらい掛かるよ。離れてる」


「私昔△△行った事ある!あれが近い?」


「ああ近いね、電車で一駅」


など度々誘導し、Googleアースを使い限りなく麻由子の自宅の近くまで特定していた。まさかイッチーが後になり本当はトランスジェンダーだったと告白する事も世間話の中で家の付近まで特定して来る事も、麻由子は自分の落ち度ながら予測が出来なかった。汚いのは見なりだけじゃなく、そのやり口も。だがそれが分かったところでもう遅い。麻由子は


「あなたの住所は分からなくても、あなたが一緒に住んでる従兄弟がやってるバーのライターを以前持っていて、くれたよね?あれで特定は出来るから、何かして来たらこっちも従兄弟に全て話すけど」


そう返した。イッチーは従兄弟に頭が上がらないと以前言っていたので効果は多少あるらしい。


「まゆもやるじゃん、俺を脅すなんて。なあ、本当にもう二度と会わなくていいから、インスタだけはブロックせず繋がらせて。ただまゆの日常の投稿を見せて貰えるだけで構わないから」


麻由子はもう話したくもないので「勝手にして」と言うと通話を切った。


帰宅し、まずマウスウォッシュでよくうがいしてからシャワーを浴びる。浴室の備え付けの鏡に全身を映してみても、そこにあるのは見紛う事なく年相応にたるんだ中年の体。色気など微塵も無かった。ただこの体が雄を惹き付ける魅力を発するとするなら、やはり身振りや会話の仕方、情の掛け方などの要因があるのだろう。それに今は祐志にガタガタ文句を言われず自分がしたい装いも出来る。自分がしたい外見が、そのまま男性の目を惹くものになったのもあるかも知れない。


鏡に映る自分に向けて、そっと手を伸ばしてみる。目を合わせ、鏡の向こうに居るのが自分ではなく和弘だとしたら…。いつも私は、彼にどう接していただろう。彼が楽しい話を聞かせれば屈託なく笑い、彼が自分のものを咥えさせる時は上目遣いで彼を見て、愛しくなれば手を伸ばし頬を触った。常に優しい言葉や好きという言葉と共に。


自分を可愛いと感じて欲しい


そんな気持ちからした全てが、和弘に対してはいまいち通じているかも分からないのに、他の男どもには通じていたらしい。


麻由子の色気を開花させたのは和弘に他ならない。彼に麻由子が恋し、また麻由子も和弘から気に入られその体を愛でられた事で、何の魅力も無い中年女だった麻由子は女としてもう一度、咲いた。


一年前までは、こんなに男どもに翻弄されるとは思わなかったが…


仕草に加えて優しい、面倒見が良い、従順、そして感じやすい体。これらが男を喜ばせるとは分かったが、実はまだ麻由子には麻由子自身も今は思い出せない男を魅了する要素がある、ただそれに気付くのはこの時ではなく少し後。麻由子は考えるだけ考え、そして結局だからと言って何も現状は変わらないとため息を付き、シャワーを止めると浴室を出た。


「頼むよただ会うだけでも会って。何もしないから。まゆに会わないとおかしくなりそうだ」


大輔が寄越すDMの文面をなぞる。季節は秋が終わり冬の入り口に近付いていたが、大輔はまだ諦めず麻由子を誘っていた。麻由子はそれより前に来た文章と自分が送った文章をもう一度読み返す。


「安心しろよ、俺転勤になるから。来年からは埼玉に引っ越す。こっちにはそうそう帰れない」


「それって、転勤と同時に関係を切るのに同意するって事?」


「あーいや、違うけど(笑)つまりしょっちゅうは誘わなくなるよ、みたいな事。帰省の時はどうしても声掛けると思う。うち嫁さんは帰省には付いて来ないって言ってるし、子供居るわけじゃないから親も俺一人帰ればいいって言ってるから、帰省時会いやすいんだ」


「埼玉で会える女性探してよ」


「今だって、まゆがあまりに俺を受け入れてくれないから探そうとしたんだ。でもダメだった、こう言っちゃなんだけど俺、マチアプでもナンパでも女作るのは比較的難しくないんだ。でも無理だった」


「なんでいきなり成功しなくなったの」


「違う、そもそも探す気にならないんだ。まゆを思い出すと無理になる。あんな体抱いた事ないもん。だからどこに引っ越そうが探せないと思う。まゆしかダメなんだ、俺」


「そんなに良い具合とは、私も本当に知らなかったわ」


「それだけじゃない、まゆは俺が寝てても起こさないし他にも小さなとこで気遣いしてくれるし、やっぱり優しいんだよ。だからまゆに抱き締められたくなるんだ」


どう返して良いか分からずしばし返信せずに居ると、また大輔からメッセージが入る。


「セックスが無くてもいいよ、帰省した時はスタバでコーヒーだけ一緒に飲んで話してくれるだけでも。俺、そのくらいまゆを好きになっちゃったんだよ」


こちらは好きじゃないとはいえ、そして抱く為の嘘かも知れないとはいえ、体の繋がりが無くても会いたいという台詞は和弘の時もそうだが多少は嬉しい。そして先ほどの


「頼むよただ会うだけでも会って。何もしないから。まゆに会わないとおかしくなりそうだ」


に繋がる。麻由子はふいに、和弘の吐いた思い出したくもない言葉を思い出した。和弘はあれから一切言わないが、女房と夫婦生活を今でも持っているのだろう。けれど自分は旦那の祐志とは二度とセックスはしたくない。だが和弘も自分以外を抱くのなら、自分だけ貞淑に女房も抱く和弘を待つだけなんて癪だし辛い。和弘よりストレートに自分を求める大輔に、また自分を与えたらどんな反応をするだろう。


麻由子はつい、そんな考えが沸いた。


「まゆ…ずっと欲しかった」


首筋に痕が付かない程度の軽いキスを繰り返しながら、大輔が麻由子のブラジャーを外す。全裸にされた麻由子は大輔に身を委ねた。悔しいが大輔は、セックスが上手い。体を重ねた回数の多い和弘より麻由子のどこを刺激すれば確実に絶頂するかを把握し、前戯だけでも二回はオーガズムに導く。


「その声…その声だけでもたまんない」


大輔が言う麻由子のセックス中に出す声は、最初は呻き声とも喘ぎ声とも付かない小さな声のみ。そしてイキそうになるに従い、高く良く通り少し鼻に掛かった、何とも甘い響きの喘ぎに変わる。セクシー女優が出す声程大袈裟ではなく、かといって感じ過ぎてたまらないという風情はしっかりと窺える声。


麻由子はこの声を、誰と寝る時にも意図して出していた。


別に今に始まった事ではなく、若い頃から。麻由子はイッチーが褒めたように歌唱力がずば抜けてあり、歌声のみならず普段から話す声も若い時からよく誉められた。そして麻由子は話す声は他の女性よりほんの少し低い。それをセックス中は意識的に高く出し、強弱も男の前戯やピストンの強さに合わせて自在に変えた。


結果として男の耳には、よく濡れる事、クリトリスが少し大きめな事、生来のイキやすさに加えて自分の愛撫やピストンで確実に感じて絶頂しているのが明確に伝わった。逆に体調や気分で感じにくい時も、その声を操り男に必ず自分は感じたと伝えられた。台詞もふいに「気持ちいい」や「そこ」と短い言葉を、相手の耳元に囁く。


感じやすい体な上に声を巧みに使う麻由子に、和弘も大輔も、また祐志もそれより前に付き合った男もどっぷりと嵌まって来たのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る