第26話

上京するから会いたい、と言われて三回目。気は進まないがインスタグラムでの交流は続いており、ただ食事したりイッチーが行きたがる関東圏の店に案内したりくらいならそこまで重荷では無いのでしていたが、最近はそのイッチーからの麻由子を“女として見る目”が強まるようになり、麻由子は今日を最後にもう会うのは断ろうと思っていた。カフェに入ればテーブルに置いた手を「変わったデザインの指輪だね」と触り、街を隣り合って歩けば「何言ってんだよ、本当に面白いな、まゆは」と言いながら肩を抱かれる。


その度に麻由子は鳥肌が立った。生物学的には同性だとしても、同意なく自分に触れる者は性別に関係なく嫌悪感が湧く。この日はイッチーから「歌声聴いてみたい、カラオケ行こうよ」と誘われたが、麻由子は監視カメラがあるとはいえ個室に二人になるのが嫌で、一瞬返答が遅れた。が、イッチーは「俺は本来付いてるモノが無いんだから安心だろ?」などと言い麻由子の背を押し店に入ろうとする。麻由子は麻由子ではっきりと


「そんな問題じゃない、あなたに性的な目で見られたり触られるのが嫌なんだ」


とは言いにくく、強引なイッチーによりカラオケボックスの個室に入らされてしまった。これが男性なら逆にもっと強く断れたが、イッチーの場合はLGBT差別の名の元に麻由子の拒否を「偏見だ!」と騒ぎかねない。店先で暴れられたら困るという思いでつい言う事を聞いてしまったが、それが間違いだったと後から嫌と言う程思い知らされる事に。


二曲麻由子に歌わせる最中、イッチーはジョッキのサワーを煽り上機嫌になった。そして「まゆの声は綺麗!歌上手い!それにまゆは本当に可愛いな」と言うや否や、麻由子を押さえ付けキスをした。10kgくらいしか体重差の無い細身の大輔にすら力で勝てない麻由子は、90kgある巨漢のイッチーを押し退けられるはずもなく、口内には舌を入れられ無遠慮にねぶられもう片方の手で服の上から胸を触られた。口臭と唾液が否応なしに口内に入り、胸を触っていた手が降りスカートを捲られる。麻由子は力の限り首を振りイッチーのキスから逃れると


「人呼ぶから!」


と叫んだ。イッチーは笑いながら手を退けると


「酔った勢いのオイタくらい許してよ、まゆが可愛いのがいけないんだ」


と悪びれもせず言う。


「ふざけないで、次にやったら本当に警察呼ぶからね」


「呼べよ、チンポも付いてない俺をレイプ犯に出来るならな。警察は麻由子の言い分なんか聞き入れない。俺は女だから」


「それまで計算した上で、私にあんな振る舞いしたの?都合良く男だから、女だからって使い分けるとこも最低ね」


その麻由子の言葉を聞いたイッチーが、顔色を変え麻由子を押さえ付ける。


「お前も結局偏見か、俺らに」


「偏見?自分で自分に都合良くどちらにもなる癖に」


「なぁまゆ、俺はまゆが好きなんだ。だからこんな事したんだよ、許してよ。二度としないから友達関係は解消しないで」


「ふざけないで」


「俺が精神が不安定なのは知ってるよな?俺から逃げたら遺書にお前の名前書いて死ぬぞ、いいのか。残された俺の親族から訴えられるぞ人殺し」


「脅しまで?本当に最低」


「なんならこの店出たら、お前の前で死んでやるからな」


「勝手にして」


いい加減付き合いきれなくなった麻由子はテーブルに一万円札を叩き付け席を立った。そして店を出る最中、イッチーからされたキスを思い出すと吐き気を催し店のトイレに駆け込み吐いた。そのせいで会計するイッチーと店の出入口でまた鉢合ってしまった。


「なあ機嫌直してよ、金返すし奢るから飯でも行こう」


「あんた、まだ私と行動する気?」


「まゆが好きなんだ、それにぶっちゃけ男は今までも居ただろ?処女じゃあるまいし、あんな事くらいで騒ぐなよ」


麻由子は我慢出来なくなり、腕を引っ張るイッチーを力の限り押した。が、熊のような体はビクともせず。仕方なく麻由子は近くを通った中年サラリーマンに「助けて下さい」と声を掛けた。その瞬間イッチーが手を離し「ただの痴話喧嘩ですから」と笑ったが、サラリーマンが「お姉ちゃんら、どうしたの」と自分も女のカテゴリーに入れられた瞬間、イッチーが激昂した。


「ジジイぶっ殺すぞ!俺は男だ!」


と殴りかかろうとするイッチーにヒッと声を上げて怯むサラリーマン、その光景を見ながら、サラリーマンには悪いが麻由子はイッチーがそちらに気を取られている隙に走ってタクシーに乗った。


どんな人間にもモテ期はある、とは良く言われるが、あるとするなら麻由子はむしろ若い時ではなく今なのだと思う。が、一番タチの悪い者から目を付けられてしまった事に絶望した。どう見ようが男に見えない見てくれだが、気性の荒さは男。そして何よりも偏見差別をするな、という言い分を笠に着た身勝手な振る舞い。イッチーという人間が、麻由子には化け物にも見えた。


正直、女であれば生きていたら強引な振る舞いをされる事は嫌でもある。夜の街で飲んだ帰りすれ違いざまに卑猥な言葉を投げ掛けられたり、痴漢や露出魔にも遭う。が、麻由子はそれらをして来たどの男の振る舞いよりも、今日イッチーにされたキスの方がおぞましく感じた。


自分と同じ性である“女”、しかも言っては何だがイッチーも自称するくらい彼は醜い。太っている上目鼻立ちが悪いだけでなく、単に自己管理が全て出来ておらず汚かった。眉毛は生えっぱなし、無駄毛や鼻毛の手入れもしておらず、皮脂がテラテラと光り口臭のケアも一切していない。そんな半ば化け物のようなナリをした女であって女でない者からされる強引なキスは、麻由子の全身に鳥肌を立たせて拒絶反応を起こさせた。


帰りの電車を待つ駅のホームで、イッチーのアカウントをブロックしようと携帯を取り出すとそれより早く着信が入る。


「…今さら、何?」


「まゆお願いだから!アカウントは繋がらせて!ゲームを通じて楽しく話してた頃、俺はまゆに救われてたんだ!繋がりを断たれたら本当に不安定になって死んでしまう!」


「なら、どうしてあんな真似したの」


「だってまゆは、LGBTに偏見無いだろう?だから多少強引でも我慢して受け入れてくれると思ったんだ。だっていつも悩みの相談とかしたら、優しく乗ってくれてたろ?だから抱きたいと迫ったら、黙ってやりたいようにさせてくれるだろうって」


「偏見とか何だとかじゃない、あなたのその勝手な考えが許せない、本当に二度と関わりたくない」


「だったら何で、いつも香水付けたり女らしい服装して、俺に会いに来てたんだよ。多少手を出されても仕方ないだろう?お前が色気を振り撒くからだ!」


「香水も服装も自分の為でしかない、それを、俺の為って解釈するの?」


「お前は男を狂わせるんだよ、お前が見せる笑顔も、優しい性格も、ピアスを触る癖も、香水も服も、全部」


イッチーは一旦言葉を切ると、憎しみを込めたような声で


「お前は毒だ、男にとって」


そう麻由子に吐き捨てた。


言われた瞬間、自分を背後から抱き「逃がさない」と言った大輔の姿が過る。全く自覚はしていなかったが、麻由子は初めてこの時、身勝手に自分を追う奴等が自分の従順さや優しさを求めているだけでなく、自分が無意識にしていた振る舞いにより引き寄せられていた事を知った。好きで付き合っている和弘には意図して自分をそう見せたくて振る舞う事もあったが、彼はいまいち反応が分からなかった。性的興奮は煽れても、自分を好きになる気持ちがそれで強まったかは、彼からは見えなかった。


だが、その振る舞いは和弘以外の人間にも無意識のうちに多少しており、そのせいで自分が二人の人間を自分に惹き付けてしまっていたのだと、ようやく自覚した。

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