第24話

「だめなんだよ、まゆが居ないと」


絞り出すような和弘の声が、麻由子の耳に届く。和弘は麻由子が今まで付き合ってきた誰よりも優しく、気が合い、大好きになった男だ。そして何から何まで完璧な人間など居ない、なんなら旦那など良い部分が皆無の最低男で、麻由子を泣かせる事しかして来なかった。毎日LINEをくれて誕生日を祝ってくれて色んな場所に連れて行ってくれて、何より離れようとする自分を恋しがってくれるなら、それ以上望むのは我が儘になるのかも。


「私もだよ…私も同じ、かずが居ないとだめ」


麻由子はベッドに仰向けに身を投げ出し、素直な気持ちを和弘に伝えた。


「あ、ねえキッキンカーで焼きそば売ってる!」


言うや否や、和弘の運転する車はもうキッチンカーの停まっている駐車場に入っていく。たいして食べたくない麻由子は慌てて「あたしの分要らない!」ともうドアを開けて体を半分出している和弘に言った。


「要らないの?焼きたて美味しそうじゃない?じゃあ俺のだけ買ってくる!」


脱兎のように居なくなった和弘を目で追いながら、麻由子はため息をついた。青海苔が山ほど振り掛かった焼きそばなど、男と会っている最中は一番厄介で食べたくないシロモノ。そうでなくとも和弘が先にそんなものを食べてしまえば、麻由子が空腹になった時は和弘は満腹で食事したい時間が合わなくなる。当然麻由子は食べたくない和弘に「あたしは今お腹空いてるの、食べたくなくても付き合って」と店に入らせるような性格ではないので、麻由子が和弘に合わせて空腹のままで過ごす事になる。


それもこれも和弘の頭の中には全く無く、あれば飛び付き、飛び付けば満足するだけ。麻由子の体感では、きっと小学一年生くらいの息子が居たらこんな感じなのだろうと思う。もう慣れており、麻由子は余程空腹に耐えられなくなったらコンビニに寄って貰い栄養ゼリーでも買って啜れば良いとその日のランチを諦めた。


買って戻って来て上機嫌で割り箸を咥えながらパックを開ける和弘が、それでもやっぱり可愛いと感じてしまう。小学一年生の息子ならちゃんと諭して教育するが、とっくに成人していて自分に責任の無い和弘には諭してやる必要も無いので、何も言わない。


「紅葉はさ、ロープウェイで山頂に行ける側はあまり綺麗じゃないんだ。山道を登る方が綺麗なの」


焼きそばを頬張りながら言う和弘に、頭痛を覚えながら麻由子が聞き返す。


「待って、山道登るってほぼ登山て事?」


「少しね。散策コースがあるからそこを歩くの。お年寄りもリュックで登山出来るくらいの時間と傾斜だよ」


「…」


麻由子はその山に昔まだ健在だった両親と行った事があったが、駐車場まで車で行きロープウェイで山頂に行くコースを使った記憶があり、登山を全くしなかった。てっきり今回和弘に誘われた時もそちらに行くと思い、登山の用意などして来ていない。靴に至ってはヒールこそ無いが、街を歩く時に履くトゥ部分がスクエア型をした登山など向いているはずもないパンプスを履いてきてしまった。さすがに言おう、そう思い麻由子は


「あの、事前に登山するよって伝えておいてくれてたら靴もそれなりのを履いてきたんだけど…。私今日こんな靴だから、ロープウェイのコースにしてくれたら」


と申し出た。が、焼きそばを掃除機のような勢いで平らげコーラを一気する和弘は


「大丈夫だよ、登山と言っても山道は少しであとは階段だから!そっちのが紅葉が綺麗だからお薦めだよ」


と取り合いもしなかった。だったらお前がこの靴で何百段もある階段登れよ、そんな言葉が喉元まで出掛かったが麻由子は飲み込んだ。そして麻由子の心配の通り、山道と石段が山頂まで続くコースを登りきる頃麻由子の爪先は悲鳴を上げる事に。途中痛すぎて歩けなくなり立ち止まると、和弘が


「ごめんね、まゆはロープウェイコースに行くと思ってたんだよな。事前に言えば良かった」


と言いながら腕を取り歩くのを助けようとした。それもそうだが、まず同行者が理由を行ってコースを変えて欲しいと訴えたら、それを聞くべきだと麻由子はツッコミたかった。が、それも彼らの


“自分で決めた物事、始めに決めた物事を急に変えられる事に、臨機応変に対応が出来ない”


という特性ゆえなのだろう。彼らは『○日に△△に行く』と自分の中で決めたら当日に熱が出ても台風が来ても、脳の中で「行くのを諦める」という変更がなかなか出来ない。結果周囲は熱が出ようが行く、台風で交通機関が止まっても駅までは行く、という無駄で無謀な本人の行為を放置するか付き合うしかない。


何を言っても無駄な上、悪気も無いので和弘は麻由子が足の痛みを抱えていても「彼女はきっと、景色を見たら登って良かったと言うはず」という思考の方が先行しているのでニコニコしている。ただ夫の祐志であればこんな事態になったら怒り狂い麻由子を「お前なんて連れて来るんじゃなかった」とか「さっさと歩けよ」などと叱責していただろう。麻由子は最近は和弘の振る舞い全てに“旦那よりはマシ”と思うようにしている。


散々な目に遇わされながら登った山頂から見える紅葉は、確かに綺麗なものだった。


「この景色を麻由子に見せたかったんだよ」


そう笑顔で言う和弘に、呆れながらも麻由子は「ありがとう」と返した。


「ごめん、足痛いよね。帰りは歩かせないから」


一応の気遣いはあるらしく、帰りは麻由子の足に負担が掛からないよう配慮はしており、まだ時間があったので和弘の希望でホテルに入ると、そこで和弘はジャグジーバスに麻由子と入り、麻由子の足をマッサージした。そんな事をするくらいなら最初から負担を掛けるなよ、と思いながらも、麻由子は和弘のしたいようにさせた。


振り回されはするが、それでも麻由子を好きで喜ばせたい、という気持ちは伝わるから。ジャグジーバスに浸かり自分の足をマッサージするのは、身長は自分より高いがまだ思考が大人になりきれない子供。その子供は本当の子供と違い成長する事は無い。だから振り回され続ける。麻由子は付き合う限り、彼の母親で居なければならない。


そう思うと麻由子は可笑しくなった。


彼の女房は、そこが許せず彼を叱責しかしないのだ。母性本能の強い麻由子は、彼のその子供のままの部分を理解し、責めず、付き合い、誉める。だから和弘はあるがままの自分を責めずに受け入れ、どうしても許せない発言に別れを決めてもまた戻り、したい放題させてくれる麻由子を求め続け、胸に抱かれれば安心するのだろう。


麻由子は足を引っ込めると、浴槽の中で立て膝になると数歩歩み寄り和弘を抱き締めた。


「もう足、痛くないから大丈夫。ケアしてくれてありがとうね」


立て膝の麻由子が和弘を抱くと、乳房の間に和弘の顔が挟まる。和弘は嬉しそうに顔を押し付けると


「麻由子と過ごせて、麻由子のおっぱいに挟まれて、今超幸せ」


と言い、麻由子の乳首に吸い付いた。麻由子もまた、振り回されはするが無邪気に自分の胸を吸う和弘を、この上もなく可愛いと感じる。麻由子は「ね、立って」と促すと、仁王立ちした和弘の天井を向くくらいの角度に勃起したペニスを口に含んだ。

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