第23話

やがて大輔が寝息を立て始めたので、麻由子はそっとベッドから抜け出すと全裸のままでバッグから煙草を取り出した。和弘と違い大輔は喫煙者なので「俺の前では麻由子も全然遠慮せず吸いなよ」と言ってくれるので気が楽だった。照明を落とした薄明かりの中、男に抱かれたままの下着すら身に付けない裸で、ソファーに座り足を組み煙草を吸う。品も何もあったものじゃないが、麻由子は今までの貞淑に生きていた自分より、今のこの自分の方が本当の自分だったのではないかと感じ、解放感に心地好さを覚えた。


旦那の居る身でありながら、それぞれに抱き方も掛ける言葉も違う二人の男の間を渡り合っている自分。但し片方の男は、もう今後会う事は無い。そして今ベッドで寝息を立てている男とも交際する気は無い。別れた寂しさに耐えられそうになくて、その時たまたま手近に居たから誘いに応じただけ。やっぱりもう誰とであれ、不倫そのものが潮時なのだ、今後は一人に戻ろう。


そう思う一方で、前も決心したのに結局その決意は揺らいだ、今回もどうだろうという思いも過る。不倫はこんなに嫌な思いをしたのに、それでも尚すっぱりとやめる事が難しくなる、麻薬なのだとも改めて感じる。


考えるうち、いくらも吸わないうちにすっかり灰になり短くなったマルボロメンソールを灰皿に押し付ける頃、目が覚めた大輔が半身を起こした。


「ごめん、寝てた」


「いいよ、疲れてたんでしょ」


「優しいな、起こしていいのに」


「退室時間までまだあるから」


「時間一杯まで寝ちゃって一回しかまゆとしないなんてもったいないだろ、おいで」


手を伸ばす大輔に、素直に従い麻由子は近づき大輔の手を取った。大輔は麻由子をベッドに引き入れると避妊具を付けた勃起したものを麻由子に挿入する。


「俺やっぱりまゆの顔も好きだわ、入れる瞬間、恥ずかしがるような感じてるような、目を細めて何とも言えない表情するの知ってた?それ見てるだけでイキそうになるくらい、色っぽくて可愛いの」


「ん…そう、なの?」


和弘のものよりフィットする大輔のペニスで突かれながら、快感に溺れる中麻由子はなんとか返答した。が、やがて喘ぐ声すら出せなくなる程、大輔にピストンされ見悶える。二回目のセックスは一回目に比べて格段に長く、大輔は正常位でしばし突いたら麻由子を四つん這いにさせ、バックからも責めた。


「もう無理…」


イキやすい体質の麻由子は、否応なしに立て続けに絶頂させられ泣きそうな声を漏らす。麻由子の膣の奥にある空間にいとも簡単に侵入出来る長さの大輔は、良い声で泣く麻由子のその空間を遠慮なく突き責め上げた。そして最後はまた正常位に戻され、密着して抱き合いキスをしながら大輔は射精した。先にシャワーを使った大輔が出て麻由子も使い、ブラジャーとショーツのみ着けた状態で、洗面所で乱れた髪にブラシを掛けて落ちた化粧を直す。


身支度を済ませた麻由子は鏡の中の自分を見つめた。危ないと思いながらも足をこうして踏み入れる、自分を愚かだと思う。が、これも全て流されやすい自分の意思で選択した結果だから、どうなろうが受け入れるしかない。そんな諦めが覆う麻由子の背後に、ネクタイ姿の大輔が立つ。後ろから腕が伸び麻由子を抱き締め、首筋に軽くキスをして来た。


「やっぱり離せない、もう」


「本気にしないで。お互い家庭もあるんだから」


「逃げられないよ、俺からは」 


鏡越しに麻由子を見つめながら言う大輔は、口元は笑顔だが目は笑っていない。その眼孔に射抜かれたような心持ちがした麻由子は、背筋が凍った。


「…やめてよ」


「本気だもん、俺」


「私は何度も言った、私は交際相手は求めてない」


大輔は麻由子の首筋に再び唇を付けると、今度は軽く噛み付いた。


「まゆは、だろ?俺は違う、まゆをもう離さない」


鏡の中に映るのは、もはや不倫中の男女ではない。背後から首を噛むのは、縞模様の脚で獲物を固定し補食しようとする人の背丈もある大きな蜘蛛で、噛まれているのはその大蜘蛛が好物の、脂が乗って太ったやや歳のいった羊。麻由子は自分が好かれているのではなく、性欲が強いのに夫婦間でセックスレスの大輔にとって、ただの補食対象でしかないと心底悟った。また麻由子も、何度抱かれても大輔に恋愛感情は持てない。自分は森で迷う中優しい言葉の発する方に行ったら網状の巣があり、大蜘蛛に捉えられた補食される側の弱者。


逃げようと足掻けば粘度のある糸もますます自分に絡み付くし、大蜘蛛は力を込めて更に自分を締め付ける。


「好きだよ、まゆ」


そう言われたい相手からは欲しくもない言葉ばかり掛けられ、掛けないで良い相手からは性欲発散の為の方便として掛けられる。麻由子は遡り和弘と付き合った事も含めて全てに初めて大きな後悔の念が沸き起こり、大輔に背後から抱き締められながら泣いた。


誰とも寝なかったら、こんな辛い思いはしなかったのに。


泣く麻由子を見て、想定していなかった反応に大輔が怯み抱き締めていた腕を離す。


「泣く程怖がるなよ、優しいだろ?俺。なあ、そんなに頻繁には会いたがったりしないよ、家庭も壊さないから、数ヶ月に一度で良いから会って」


大輔に明確に返答せず、麻由子は洗面所に備え付けられていたティッシュで涙を拭うと


「…服着るから」


とだけ言い洗面所を出た。


翌日は仕事の休みを娘の羽菜の為に使い、彼女の誕生日の祝いの希望を叶えるべく二人でショッピングモールに出向いた。誕生日の羽菜のリクエストはランチは鎌倉パスタ、食後にはGUで服とアクセサリーを買い書店ではガラスペンも買い、おやつはサンマルクカフェかサーティワンに行くというもの。どれも値段が張る店も商品も無く、羽菜は普段から我が儘をあまり言わないので今日はその全てのリクエストをOKした。「ママありがとう!」と無邪気に腕に絡み付く羽菜を見ていると、麻由子も嬉しくなる。今日くらいは鬱陶しい男どもなど忘れ、自分も羽菜と楽しもう。


そう思った矢先、毎日必ず鳴る和弘からの着信がまた入った。麻由子は取らずにバイブを鳴らすだけ鳴らすと着信履歴を消し、羽菜に「おやつにサーティワン行って、サンマルクカフェのチョコクロワッサンはお土産にテイクアウトする?」と提案した。おやつが片方のみの選択制から両方選択可能となり、羽菜はますます喜んだ。


開店から夕方までショッピングモールで遊び帰宅した羽菜は、疲れで早い時間から眠気が来たらしい。早々に就寝しに自室に向かう羽菜におやすみを言うと、自分も欠伸をした。するとポケットの中の携帯が震える。仕事を終えた和弘がもう一度電話して来たのだろう。


迷ったが、麻由子はなぜかこの着信は無視せず取ってしまった。


「ああ、出てくれた」


ほんの数日聞かないだけだったのに、懐かしいとさえ感じる和弘の声。


「うまく言えないんだ、上手にまゆに伝えられない、いつも」


上擦るような声が一方的に話し出す。


「でもこれだけは言いたくて、勝手でごめん、でもこれからも俺の彼女で居て下さい、お願いだから側に居て」


自分の仕事の功績や趣味を語る時は饒舌なのに、こんな時には途端に語彙力が下がる。それも、失言も、無邪気さも、全て含めて彼自身でありやはり悪気は無いのだと改めて痛感する。彼の言葉は上手くは無いが、必死だから。寄りを戻す返事をすれば、同時にこの、今後も医者でも薬でも現代医療では治す事が出来ない発達に問題のある彼の振る舞いに耐え続けなくてはならない事も確定となる。いちいち傷付いていては身が持たない。


大輔が悪意のある大蜘蛛なら、和弘は無邪気過ぎる振る舞いの中でいつも飼い主を困らせてはつれなくされてシュンとするハスキー犬だ。いつも元気に振る尾を下に垂らしたまま、キュウキュウと鼻を鳴らし飼い主の機嫌を窺う彼を、これ以上もう放置するまい。麻由子は今後も本人が治せない無神経に傷付けられ続ける絶望を受け入れ、和弘に


「分かった」


とだけ返した。

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