第18話
逆に、妻という立場で子供まで作ったのにその相手から自分を見て貰えない方が残酷かも知れない。かえすがえすも、昭一にはバレるような浮気はしないで欲しかった。脇の甘い浮気が出来るのは、バレた所で宏子は自分に惚れきっており、責める事も無ければ親や息子を置いて出ていくような事もしないと分かっているからだろう。そこまで彼女を軽んじないで欲しかった。ただもう、何を思った所でどうにもならない。
二度と宏子を泊まらせるつもりはないし、そもそもプライドが高い彼女は格下と見なしていた自分から反旗を翻された事が許せず、自分から接触は絶対にして来ないはず。もっと冷静になれていたら違う言葉も掛けてやれていたかも知れないが、もう彼女と話す機会も無いから伝える術もない。
換気扇の下、煙草を吸いつつぼんやりあれこれ考え続けていたらLINEの通知音が鳴った。相手は和弘。“かず”という送り主の名前表示を見るだけで、麻由子の胸は高鳴った。
「今日も従姉妹さん滞在中だよね?お世話お疲れ様です、返信は無理にはしなくていいよ、俺からはいつも通りLINE入れるけど」
「それが、体調崩して今日朝イチで帰ったの。旦那さんに付き添われて病院行ったから心配は無いけど。年齢的に更年期の始まりのせいもあるみたい」
「そうだったんだ、大変だったね。でも大事無くて良かった。なら通話出来る?」
「出来るよ、今部屋に行くね」
麻由子は煙草を消すと携帯を持って自室に向かった。祐志が倒れて出勤しなくなってから、日がな一日祐志と同じ部屋に居る事や顔を合わせる事が嫌で、麻由子は普段宏子の滞在中使わせている部屋を自分の部屋として使っていた。祐志は階段を上がれないので一階リビングの隣を和室を、羽菜は二階の六畳のフローリングの部屋を、麻由子は五畳のフローリングの部屋を今はそれぞれ使用している。
麻由子は自室に入ると音声通話のボタンを押した。
「休憩中?お疲れ様」
麻由子が言うと、優しいトーンの和弘の声が返る。
「まゆもお疲れ、あのさ、誕生日なんだけどプレゼントはまゆが欲しいものを当日一緒に買いに行ってもいいかな。本当は俺が当日までに選んでおくべきなんだろうけど、俺センス無いからまゆが欲しいものを買うよ、だから何がいいか考えておいて」
「私、欲しいもの無いかも。私が一番嬉しいのはかずに会える事だから。他にもたくさん幸せにして貰って満たされてるから、当日も一緒に居てくれるだけで充分」
「嬉しい事言うね、でも俺があげたいんだよ。何か形に残るもの。服でも靴でもアクセサリーでも、何でもねだって」
「じゃあ、一万くらいの価格帯の指輪が欲しい。私、旦那と結婚した時作った結婚指輪が嫌で着けてないから。かずから貰った指輪着けてたい。重いかな」
「重い?全然、むしろ俺があげた指輪着けてくれるの嬉しいよ。じゃあ指輪見に行こう、でもいくら安月給でももう少し高いのねだっていいからね?(笑)誕生日に贈るものだし」
「気遣ったわけじゃないよ、石や飾りが付いてないシンプルなのが欲しいから、そうなると大体値段は一万くらいのものが多いの」
「なら、指輪の他にピアスでも買いなよ。まゆ好きだろ?」
「いいのがあったら。ねぇかず、誕生日の事色々考えてくれてありがとうね」
「彼女の誕生日だもん、当たり前じゃん。あと買う店のチョイスは任せてしまっていいかな。それこそ俺、女性のアクセサリー買う店とか全然知らないから」
「了解」
「じゃあ俺そろそろ戻るね、大好きだよ」
「私も大好き」
彼女という言い方と大好きだよの言葉に照れながら、麻由子も同じ返しをし通話を切った。
「アゲーテ?アガテか?」
駅ビルの案内看板を見ながら言う和弘に、麻由子が読み方を教える。
「agete(アガット)ってブランド、ちょっと変わったデザインが多くて好きなの」
「初めて聞いた、俺なんて詳しいの釣具くらいだからさ」
言いながらエスカレーターに乗る和弘に、麻由子が提案した。
「ランチもこのビルの中で食べる?レストラン街もあるから」
「自分の誕生日なんだからイタリアンとかフレンチ行きなよ。レストラン街に入ってる店はチェーンばかりだろ?」
「元から高いコースとかより、馴染みのある気軽に入れる店のが好きだから」
「ならせめて、ランチはアスター行かない?昔施設長の奢りで入った事あったけど綺麗な店だった」
「いいね、中華も好きだから嬉しい」
話すうちageteの店舗のある階に着き、麻由子はショーケースを覗いた。石の付かないシンプルなデザインのものは少ない分、逆に目立ちすぐに候補が見つかった。麻由子がこれがいい、と指差す。
「電話でも言ったけど、やっぱり誕生日に一万の指輪は安くない?本当にデザインが気に入ったのならいいけど。もう少し高いのも見てみたら?」
そう言う和弘に薦められ改めてショーケースの中を見渡す、それ以上高いと自分が恐縮してしまうし、それ以上安いと和弘の面目を立たなくさせてしまう。丁度良い価格は三万前後だろうと思った麻由子は
「じゃあ、さっきのデザインに似たこれがいい。こっちの方が表面の加工が素敵で使いやすそうだから」
と、K10ゴールドのシンプルなリングを指した。包装された箱の入った紙袋を持ち上げながら、麻由子は和弘に改めてお礼を言った。
「旦那なんか何もくれなかったし、私も好きじゃない人から貰いたくも無かったから祝われなくても今まで平気だった。でもこんなに嬉しいものなんだね、本当にありがとう」
「来年も祝わせてね」
「キリが無くなるからプレゼントは今年だけでいいからね?来年からも一緒にご飯と、ちょっと良いホテルに行くのだけは続けたいけど」
「まゆは欲が無いな、じゃあとりあえずそういう事にしとく」
二人は上階へ移動し銀座アスターに入店しランチを取り、車に戻ると麻由子の希望した普段は遠くて夜の逢瀬では行けないホテルに向かった。
「かずは誕生日に何が欲しい?と言っても、私もブランドのキーケースとか形に残るものあげたいけど、かずは持てないよね」
「俺もまゆから貰った形に残るプレゼント持っておきたい。俺にうってつけのがあるよ、釣具のルアー」
「釣具ね、なら増えてても不自然じゃないかも」
「使っちゃったら魚に持って行かれたり根掛かりで切れたりして失くす事あるから、まゆから貰ったルアーは使わないでお守りに釣り道具入れに仕舞っておくんだ」
「じゃあルアーあげるよ」
「やった!自分の誕生日も楽しみ」
話すうち、車がホテルに到着した。そこはフリータイムが18000円とやや高めな値段だけあって、設備が豪華だった。大型ジャグジーバスにミストサウナ、窓の外にはテラスとテーブルセット、部屋の中には手入れされた熱帯魚の泳ぐ大型水槽などがある。感激した麻由子が携帯で水槽の写真などを撮っていたら、和弘が紙袋から指輪の入った箱を出し麻由子を呼んだ。
「着けてあげるよ」
麻由子が和弘の前に来ると、和弘は箱を開け指輪を取り出し麻由子の左手を取った。
「左手?」
「まずかったら後で右に着け替えてね、でも俺からは左に着けさせて」
結婚式の指輪の交換のように、和弘は麻由子の左手薬指に指輪を嵌めた。
「誕生日おめでとう、これからもよろしく」
和弘の手で着けられた指輪は、自分が苦労して来た末に手に入れた幸せが具現化された、戦利品にも思えた。麻由子は幸せを噛み締めながら
「こちらこそ、よろしくお願いします」
と頭を下げた。
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