第16話
宏子は夕食の支度に立った麻由子を追いかけてカウンターの椅子に座ると、尚も麻由子に
「まゆ、旦那から愛されなくて寂しくないの?」
と聞いた。冷蔵庫を覗いていた麻由子は小松菜の束を取り出しながら
「全然寂しく無いかな、娘も女友達も居るし趣味もあるから」
そう微笑むとまな板を出し小松菜の調理を始めた。腑に落ちない宏子にその夜振る舞われた夕食は小松菜と鶏の山葵醤油和え、蛤の吸い物、海鮮ちらし寿司、茶碗蒸しなど。食べたらすぐシャインマスカットがデザートに出され、宏子がバラエティー番組を羽菜と共に見ながら食べていたら麻由子に「お風呂いつでも沸かすからね」と言われ、風呂から上がれば冷えたビールと簡単なツマミが出された。いまいち自分を称賛しない麻由子の言動はいつも気に入らないが、待遇は悪くないので今後もこの家に泊まってやるのは続けるつもりだ。
ビールを飲みながら膝に置いた携帯のディスプレイを確認するも、昭一からもダイキからもLINEは来ていない。
昭一も今頃、女にビールを注がれているのだろうか。
ダイキは彼女とふしだらな事をしているのだろうか。
それを想像すると宏子は叫び出したい程の怒りに駆られる。なので麻由子の出したビールを更に飲み忘れようと努めた。と、そこに食器洗いと旦那の入浴介助を終え自分も入浴を済ませた麻由子が、缶入りハイボールを持って来て座る。するとそのタイミングでテレビに不倫報道のあったタレントが映った。自分でもはっきり分かるくらい、宏子は不快感で顔が歪むのを感じた。なぜ皆、こうも人のものだと言うのに平気で寝る事が出来るのだろう。不倫をするヤツは本当に全員死ねばいいのに。宏子は「不倫するやつ最低、気分悪いからチャンネル変えていい?」と麻由子に言った。麻由子は缶のプルタブを開けながら「いいよ」と返す。宏子はもう一度自分に言い聞かせるように
「私は昭ちゃんだけが大好き、高給で私に経済的な不自由はさせないしダイキのパパだし」
そう麻由子に訴えた。麻由子は若干聞き飽きた様子だったが「そう言えるのは幸せな事だよ」と言ってきた。
その後も宏子はいかに昭一が良い旦那か、自分達家族が幸せか、PTAで頼りにされていたかを一方的に話していたが、やがて酒の進みが早かったせいか眠気に襲われその場に寝転んだ。数十秒ぼんやりしているだけで強烈な眠気が襲う。次に宏子が目を覚ましたのは午前一時、眠り込んで20分程してからだった。半身を起こすと体には薄い夏掛けが掛けられており、一緒に飲んでいた麻由子はリビングに居らず台所から声が聞こえた。
「うん…大丈夫だよ、28日は予定通りでOK」
「あはは、本当優しいよねそういう所」
「うん、楽しみにしてる」
麻由子の声が聞こえ、最後に
「かずも頑張ってね」
と聞こえた。かず、だけでは男の名前とは限らない。だが声のトーンや『本当優しいよねそういう所』という台詞から総合すると、通話相手は男の可能性が高い。宏子は一度半身を起こしたがもう一度そっと横たわると麻由子の様子を窺った。麻由子は通話を切った後も台所から出て来ない。カチッというライターの音がしたので、そのまま換気扇の下で喫煙しているらしい。
(あの女、浮気してるの…?私の前では平然としてやがった癖に。でもまだ確証は無いから、明日カマかけてやる)
宏子はそう思うと奥歯をぎり、と噛み締めた。
翌日から、宏子は事ある毎に今まで以上に不貞に対する蔑みを麻由子に聞かせた。そして
「ねえ、LINE漫画で今私が一番お薦めの漫画、面白いから読んで?」
と言い、実際に読んでもいる不倫の復讐劇、サレタガワのブルーという作品を麻由子に目の前で読ませてみたりもした。麻由子は目の前で無料分を読めというと大人しく読んでいたが、やがて「この、奥さんの浮気相手が馬鹿そうであんまり魅力的じゃないね」と感想を述べた。宏子はニタァと笑うと
「ここからね、シタ側のクソどもには鉄槌が下るの!それがもう爽快なんだあ!ねえその先も読んでよ」
「分かった、読むけど今はテレビ見ながらゆっくり飲みたいから後でね」
「なんで今読めないのよ、もしかしてまゆもシタ側だからぁ?」
「は?違うけど」
冷静に言う麻由子に、宏子は口の端を歪ませた。
「だったら今読んでみてー本当にスカッとするから、ね?ね?」
「あのさ、ちゃんと読んで感想言うから今無理強いはしないで?私も昼間あれこれ動いて、今は疲れてゆっくりしたい時間なんだからさ」
「だって面白いんだもん、浮気した側のクソどもが地獄に堕ちていく所は爽快だよ♪」
「分かった後で読む」
「ねえ、私の前で読めないのって、やっぱり後ろめたいからじゃないよねぇ?まゆも同じ事してるから?」
宏子の言葉に、麻由子が小さく笑う。
「してない。でも仮にしてたとしても、私は後ろめたいとは全く思わないかも」
「はぁ?」
普段は自分が麻由子に侮蔑や皮肉をぶつける側だが、麻由子から逆に返る自分を小馬鹿にしたような笑みに、宏子は怒りが沸き飲んでいたグラスを握り締めた。
「子供に顔向け出来ないような最低な事しておいて、後ろめたくないって何よ!!」
「落ち着いて、まるで私がクロのような言い方ね。私はしていないけど、仮にって言ったでしょう?それがもし家族の世話も放棄してのめり込んだり伴侶にすぐバレるような浮気なら最低だけど、自分の役目を果たした上で誰にも迷惑掛けないなら、顔向け出来ないなんて無いんじゃない?」
「あんた実際クロじゃん、昨日男と電話してたわよね」
「夜の電話なら、相手は友達よ」
「嘘つき!」
宏子は飲んでいたグラスを麻由子に投げたが、ものを投げられるのは旦那で慣れている麻由子はいとも簡単に避けた。グラスは床に落ち割れ、中の氷と梅酒がフローリングにぶちまけられた。麻由子はため息をつくと台所からキッチンペーパーを持って来て床を拭いた。
「一度心療内科行ったら?昭一さん、まだやめてないのね?」
「何がよ」
「浮気、そんな精神状態なのは昭一さんのせいでしょ?でもそのままにしてたら良くない、医者や薬に頼った方がいい」
「違う!昭ちゃんは私を一番に思ってる!私はあの人の本妻なんだから!昭ちゃんはちょっと気が多くてたまに他に行きたくなるだけ!男なんてみんなそう、浮気しない男は居ないから、妻の私は大きく構えて待っていたら昭ちゃんは私の所に帰ってくる、昭ちゃんはお前が一番だよって言ってくれた、他なんかお遊びだよって、だから」
壊れた機械のように息もせず喋る宏子を、麻由子が遮った。
「そこまでにして。私ははっきり言ってあなた達夫婦の事なんてどうでもいいの、でも泊めている最中こうやって決め付けであれこれ言われたりグラス割って暴れられるのはたまったもんじゃない、だから明日朝の電車で帰って、もう泊まりに来ないで」
「…」
髪を振り乱し肩で息をする宏子は、麻由子に事実上の絶縁を言い渡された。
「何よ、あたしが羨ましいくせに」
なおも口を閉じない宏子に、麻由子は呆れながら返す。
「悪いけど、羨ましく思った事は一度も無い。私は昭一さんに魅力を感じないし生んだ子が娘で良かったし、PTA活動なんてやりたくもない。それらを宏子が誇りに思う事は否定しないよ、私にはどれも必要無いってだけ」
宏子は麻由子の言葉を聞くうち、泣き出した。
「強がり言うな!あんたなんかあたしより格下のくせに、旦那なんか三流大学しか出てないし男児も生めなかったくせに、あたしが、羨ましいのに」
「わかったよ、そうだね。とにかくもう自分の部屋に行って」
宏子は麻由子に引きずられるように部屋に戻された。
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