第15話

「まゆ?」



後ろ姿に覚えがあるのでそう声を掛けてみたが、実際の所宏子は人違いだったかも知れないと思い一瞬躊躇した。が、自分の声に振り返った人物は確かに麻由子だった。



宏子はいつも自分が麻由子の家の最寄り駅まで行くのが面倒で、「行きも帰りも◯◯駅で一緒にご飯食べよう!」と誘い乗り換え駅まで麻由子を来させて、この時だけは旦那から使用を許されている株主優待券を一枚麻由子に使ってやる。麻由子は毎度優待券が使えるチェーンにしか自分を誘わない事も最寄り駅まで来るのが面倒で自分をこの駅に呼びつける事も分かっているようだが、何も言わないので宏子も大いに甘えた。



その宏子は今までは髪はひっつめバレッタで留めるだけでアクセサリーも付けず化粧すら眉毛を描いて口紅くらいしかしていなかったが、明らかに身なりが華やかになっている。昔からナチュラルな装いの宏子と違い、元々18、9歳の頃から麻由子は髪を染めピアスを開けておりどちらかというと派手めな方ではあった。それが祐志と結婚してから身なりにあまり気を使わなくなっていったのに今は…「びっくりした、まゆ、なんか綺麗になったね!」宏子が言うと麻由子は「え、やったぁ嬉しい」と素直に返し喜んだ。



その彼女は髪はレイヤーカットされ灰色がかったブラウンに染めており、ピアスはロブに2つの他に軟骨にも開いていてメイクもしっかりとアイラインまで引いている。服装は彼女が昔好きだったいわゆるストリート系に戻っており、40過ぎのくせに大きなフープピアスにオーバーサイズのトレーナーにダメージジーンズを組み合わせて着ていた。麻由子は全く美人では無いが自分に似合う装いが分かっていて、宏子が好きな花柄のスカートにブーツという女性らしい服は合わないが、外国の女性ラッパーのような派手さがある服や化粧は悔しいがよく似合っている。



(なによこいつ、長い間ダサかった癖に)



宏子は腹で思いながらもにこやかに麻由子と話しながら、値段が安く誰もが知っている中華料理のチェーン店に彼女を連れた。注文を終え水を一口飲んだ宏子は、麻由子に更に探りを入れる事にした。



「でもさ、まゆ本当に綺麗になった。というか昔のファッションに戻ったって感じ?心境の変化でもあったの?」



「あったよ、娘が中学生になって手が離れた事が大きいかな。やっと少し大きくなって、私も気持ちに余裕が出来て自分に構えるようになってきた」



「でも旦那さんは障害者でしょ?介護大変じゃない?なのにお洒落していいの?」



宏子の言い方に麻由子はカチンと来たようで



「まるで介護をする人間は、お洒落してはいけないって言い方ね?」



と、笑いながら言ってきた。



「ち、違うよ。まゆみたいなピアスとかネイルは介護する人のイメージじゃなかったから」



「ピアスが大きくたってうちの人は暴れるタイプの障害は無いから問題無いし、ネイルも爪を長くしているわけじゃないから問題無いよ。化粧してたって介護に影響は無い。私も初めの頃は介護の名の元に全ての自由を奪われなくてはならないかと思ってたけど、今はそんな事は無いと思ってる。私はやる事やった上で、自分の人生も自由にさせて貰う」



「ふぅん、なんかかっこいいじゃん」



宏子は、麻由子のこの高学歴の旦那もお世継ぎである男児もPTAでの地位も何も無い癖にたまに見せる余裕と自信のようなものが、いつも気に入らなかった。そうは言っても私が羨ましいはずなのだから、たまには素直に羨ましがればいいのに。宏子はそう思うと自分の近況を話す事にした。



「うちはさぁ、相変わらずダイキが彼女の家ばっかり入り浸って帰らないよー」



そこまで言うと、宏子は自分らと同年代くらいの主婦らしい女二人が隣に座っているのを目の端で確認すると



「もう何の為に日本大学入れたか分かんないわぁ、同級生は皆今から司法試験の勉強とか親の政治家人生継ぐ為に学んだりしてるのに。あの子はまだまだ危機感無いのよぉ」



と、少し大きな声で言った。麻由子は別段興味が無さそうだが、かと言って宏子に不快感を与える程無関心にはならない程度に相槌を打った。



「まだ若いからいいんじゃない?良い大学入れたんだから、それだけで大きいよ」



「いやいや、旦那と同じく早稲田大学目指させたのに自分から尻込みして受けなかったし全く仕方ないわぁ。でも昭ちゃんは可愛くて仕方ないのかダイキに甘いのよね、まぁ可愛いのは私の事もみたいで、未だにひろはチャーミングだな、とか言うの。それも外で!いい歳してるのに恥ずかしくって」



「仲良いね、うちなんか一度も言われた事無いなー」



「まゆの家にお泊まりするのもね、良かったらもう一日二日伸ばしてもいいって言ってくれてる♪」



「そ、そう。でも来週は私仕事休めないから」



「あーまゆは仕事行ってきていいよ、私はまゆの家の漫画借りて読んだり昼寝して過ごしてるから。ご飯は仕事ある日は無理せず簡単なものでいいからね」



「はは…」



会話しながら食事を終え、帰りは麻由子の運転で麻由子の家へ向かう。麻由子は毎度宏子が泊まる時は一室専用にしてくれており、今回も清潔なシーツのベッドの下には飽きないように漫画数冊、棚には宏子専用のバスタオルなども用意してくれていた。その部屋にキャリーバッグを置くと、宏子はリビングのソファーにどかりと座り「あ、これお土産ーお世話になりますー」と一箱900円で買った洋菓子の詰め合わせをテーブルに置いた。麻由子は帰宅してから座る事なく冷たい紅茶を淹れ、デパ地下でよく見かけるガトーフェスタハラダのラスクと共に出すと「ひろがくれたお菓子も一緒に食べようか」と言い箱を持ち一旦台所に引っ込み、皿に盛ってテーブルに置いた。



「昭一さんも元気?」



「元気元気、最近はうちも子供が手離れたからよく一緒に外食デートしたりしてるの。ダイキが小さい頃は私が昭ちゃんとくっ付いて歩いてると『僕だけのママだ!パパは離れろ!』とか言って怒ってさ、パパも『ママはパパのものだ!』とか言い返して喧嘩よ!騒々しかった!今はやっと二人の時間持ててるって感じ」



本当の事を言えば昭一との外食は先日四ヶ月ぶりに、急に「焼き鳥が食いたい」と言って一人で出掛けようとする昭一に無理やり自分も付いて行き一回しただけ。幼い頃ダイキがそう言って怒ったのは事実だが、実際には昭一はダイキの言葉に『いらねぇからくれてやるよ、お前に』と返し先に歩いて行ってしまいダイキと喧嘩にはならなかった。だがそれくらい盛っても罰は当たるまいと思い、願望も込めて宏子は語った。麻由子は静かに聞いていたが



「うちは旦那と外食したいとも思わないよ」



と返る。



「まゆー女は旦那に愛されてこそ、だよ!?まだ諦めちゃダメ!旦那さんの為にたまには玄関に花飾ったり料理もこだわった調味料使ったり、些細な部分から旦那の心掴まなくちゃ!」



「え、別に愛されなくていいよ(笑)あとそんなんするの面倒だし」



「女に生まれて、唯一無二の男性である旦那から惜しみ無い愛を注がれてこそ、幸せじゃん!?」



驚いた宏子が語気を強めるも麻由子にはあまり響いてないようで、麻由子は



「うちは元から優しくない人だったから、私もそこまで尽くす気無いかなぁ。介護で充分尽くしてるからいいや。あ、夕食の支度するからちょっと声遠くなる」



と言うと台所に立った。


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