第13話

「次は5月頃、バラ園に行かない?ガキの頃親に連れられて見に行った場所、調べたらまだやってるみたいなんだ。あの頃は退屈なだけだったけど、まゆともう一度見たらきっと感動すると思う」


「私バラ園て行った事無いから、是非見に行きたい」


「じゃ、決まり。さてと、じゃあ飯でも食って帰…ああちょっと、触っちゃだめ」


和弘はふいに麻由子に股間を触られ、笑った。


「元気になってる」


「ていうかレジャーシート敷いてのんびりしてる時も勃ってたよ。まゆに見られたら『自分と会いたがるのはやっぱり体が目的なのか』と思われたくないから前傾姿勢で隠してたけど」


「そんな事思わないよ、むしろ嬉しい」


「嫌だろ、会ってる間中隣で勃起してたら。でもごめん、他人が居る場所ならまだ制御出来るんだけど、まゆと二人きりになると無理なの。勃っちゃう」


「ね、まだ時間あるから今からホテル行こう」


「いいの?俺は嬉しいけど」


「今日は私から誘わせて」


「俺に気使ってない?」


「ないよ、私がしたいの、はい発進して!早くいっぱいしよ!」


「了解!」


二人は花見を終えた後は、帰り道の途中にあるラブホテルに入った。


ベッドシーツは海


そのベッドシーツの海の中に横たわる麻由子の上で、魚である和弘が自由に泳ぐ


魚は水があったら生きて行ける、とは故事成語の一つ。欠くべからざる存在を喩えたもので、これを


<水魚の交わり>


と言う。


魚(和弘)の方が本当にそう思ってくれているかは分からないが、海(麻由子)は自分の中で魚が元気に泳いでくれる事がもはや生き甲斐となっていた。だが自分は法律上は何の契約もしておらず、飽きたら「別れよう」の一言で関係を終わらせられる、ただの不倫相手。いつ魚がパシャリと跳ね、自分という海から飛び出してしまうか分からない。なのに手の無い麻由子は魚の尾を無理に掴んで戻す事も出来ない。だから跳ねて出て行かれないよう、精一杯魚が居心地が良い環境を作り尽くすしか手立てが無かった。


逆に麻由子は、尽くしはするが必要以上の事はしなかった。和弘が望んだりして欲しそうならいくらでも何でもしてやったが、過剰なお節介は決して焼かない。そしてもう一つ、麻由子は和弘を“知り過ぎない”ようにもしていた。和弘の異動先の新しい障害者支援センターのホームページを覗く事も無ければ、和弘に細かく「住んでる家って三丁目辺りって言ってたけど、具体的にどこ?」「お子さんの名前何て言うの?うちの子と学区は違うよね?」などと聞いたりもしない。


和弘は何を聞かれても隠す必要なんか無いから答えるよ、と言っているが、それには「いいの、知る必要の無いものはわざわざ調べたり聞いたりはしない。これは私の主義みたいなものかな。私はかずが優しくていい男って知ってる、あとアレのサイズが口でしてあげる時、たまに口の端が裂けそうになるくらい立派でセックスが上手い事もね(笑)それだけ知っていたら充分なんだ」と笑って返した。またどんなに付き合う期間が長くなっても、麻由子は交際の進行ペースを和弘に委ね続けた。自分から会いたいと言わず、LINEは用も無いのに「会ってない週末は何してたの?」など送らない。またLINEの未読が何時間続いても気にしないし指摘もしない。


あくまで付き合いは和弘が会える時に会うだけ、LINEが出来る時にするだけ。


男が女房に嫌気がさす時、少なからず「口煩さ」が影響している。そこから逃れたくて他の女に走るのに、走った先の女まで煩かったりしつこかったら女房が二人に増殖しただけのようになり、リスクを冒した意味も無くなる。麻由子はあくまで自分は出過ぎず、かと言って控えめ過ぎず適度な距離や主張で、和弘にとっての心地好い宿り木になろうと徹した。5月は和弘の提案通りにバラ園に行き、また平日夜は三時間程度の短い逢瀬を楽しんだり和弘との交際が順調に続く中、麻由子の携帯に従姉妹の宏子(ひろこ)から連絡が入った。


宏子は8歳年上で麻由子とは割かし仲が良いが、麻由子の方は少し彼女に困ってもいた。彼女は両親が健在で自分の実家がまだあるのに、その実家に里帰りするついでに必ず数日は麻由子の家にも泊まりたがり、来ては好きに過ごす。宏子の中では麻由子は、旦那は障害者になり家に好きに滞在しても何も言われないという算段があるらしく、他にも麻由子が年下な事、料理や家事が出来て人をもてなせる事、自分が甘えると外食代や入館料など諸々費用を出してくれる所なども、アテにしている要因となっていた。


逆に麻由子は宏子からの滞在のおねだりの連絡が来るとうんざりしてしまう。だが男にも甲斐甲斐しい麻由子の性分は女にも発揮されてしまうので、宏子は麻由子が自分の滞在を歓迎し心待ちにしているとさえ思っており、この日も「28日から一週間よろしくー」などと勝手に期間を指定した。よろしく、と言われても麻由子にも仕事の都合もあるし、何よりその月は麻由子の誕生日がある。和弘はその日一日休みを取ってくれており朝から一緒に居ようと約束しており、宏子にぶち壊されたくはない。


そしてこの所、宏子が滞在したがる期間が長くなっているのも麻由子が苛立つ要因になっていた。家に来たらソファーに座りっぱなし、一人増えた食事を三食作り洗濯をし、合間に旦那の介護や娘の世話に麻由子が四苦八苦していても、宏子は「私には構わなくていいよー」と言い携帯をいじるだけ。だからといって構わないわけにもいかず、お茶を出し菓子を出し昼を作る麻由子が疲れ果てて外食に連れ出せばお金は払わない。麻由子にとっては年何回か自宅にやって来る疫病神のようなものだが、麻由子がそれを容認しているのにはただ断りにくいから、という他にも理由があった。


彼女は世間でいう、サレ妻だった。


麻由子の家では何ひとつしないが、宏子は自分の旦那と息子と住んでいる家では麻由子も顔負けな完璧な妻だった。家は隅々まで綺麗にしており食事は無添加調味料とオーガニック素材を選び手作りし、結婚当初から旦那の指示で完全同居をしている。昔は嫁いびり、今では認知症、放っておくと真夏なのに暖房を付けてみたり下着の中に排せつ物を漏らしている義理の父を、施設にも入れずに甲斐甲斐しく面倒見ている。そしてここまで尽くす彼女が、子供がなかなか出来ずに円形脱毛症になる程悩みながら不妊治療している最中


旦那は浮気をしていた。


その全てを見てきた麻由子はつい不憫な気持ちが沸き彼女に強く言えず、ある意味聞き分けの良い羽菜の下にもう一人我が儘な娘が増えたような気持ちで世話をしていた。彼女は決して男に振り向かれないような女ではなく、麻由子より8歳上には見えないくらいに若く可愛らしい。その上完璧に尽くし浮気は発覚しても不問、両親も生ませた子も世話は丸投げしているにも関わらず、彼女の旦那は彼女を愛さない。


滞在中財布を出したがらないのも、払いたくないより払える程持たされていないからだろう、とも麻由子は察しがついていた。旦那は一流企業勤めだが、家計は全て旦那が管理しているらしい。外食や交通費もチリが積もればそれなりになるが、持たされていない宏子に請求するのが不憫になり出来ずにいる。


「滞在するのは嬉しいけど、期間は変えさせて。私はその期間都合付かないから前倒しするか後にして欲しいんだけど」


麻由子が言うと、宏子は


「分かったぁ、本当は28日からの方が昭ちゃん(昭一、しょういち)が休みで一人でゆっくりしたいからまゆの家に行きなよって薦めてくれて丁度良かったんだけどぉ」


と不満げに返してきた。浮気相手と過ごしたいから嫁を厄介払いするのはいいが、だったら滞在するのに最低限必要な金くらい持たせろ。それにお前の為になぜこちらが不都合をこうむらないとならないんだ。麻由子は図々しい宏子に輪をかけ、もっと図々しい旦那の昭一に苛立った。


「とにかく、期間は変えてね。それなら大丈夫」


麻由子は米神を押さえながら言うと電話を切った。

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