第12話

【今日もご飯作れるから作っておくね】


【毎回は悪いからいいよ、気を遣わせてごめんね】


【私が作りたくて作ってるだけだよ、気にしないで】


【正直言うとね、物凄く楽しみ。本当にありがとう、まゆの作ってくれた夕食が待ってると思ったら後半の仕事凄く頑張れる】


LINEでの会話を終えた麻由子は、炊飯器に米を入れた。おにぎりを美味しく作るコツは二合に対して大匙1の塩と少しのサラダ油と酢を加える事。炊いている間に鮭をグリルで焼いてほぐしておき、コンロでは筍とフキの水煮を煮る。家庭の味に飢えている和弘は、特別だったり変わったものよりごく普通に食卓に出る料理の方が喜ぶはず。麻由子の思考は当たり、和弘は普通の弁当を「こういう味が食べたかったんだ」と大喜びした。


「鮭、瓶詰めフレークじゃなく焼いた身が入ってる」ホテルの部屋で麻由子から渡されたエコバッグを開け、おにぎりを齧った和弘が嬉しそうに言う。


「ねえ、どれも本当に美味しい。これは…海老?どうやって作ってるの?」


「それは海老餃子の中身みたいなものかな、茶巾にラップで絞って蒸してある」


「料亭で出てくるみたいな料理!」


「大袈裟だよ(笑 それに空腹だから美味しく感じるんだよ。私は料理は嫌いじゃないけど、特に上手いわけじゃないしね」


「料理上手いよ、俺作るの焼きそばとかチャーハンとかだけだもん。こんな繊細なの作れない。めっちゃ旨い、幸せ」


和弘は自分が料理を作る側なので、料理の大変さを分かってくれる。4~5品のおかずと二種類のおにぎりがどれくらい手間と時間が掛かるかを理解してくれる上に味を誉めてくれるので、麻由子の努力も報われた。祐志には結婚後から倒れる寸前までずっと弁当を持たせていたが、感謝された事は一度も無い。持たせた弁当を「今日は弁当じゃなくラーメン食いたくなってラーメン屋行ったから」などと言い一口も食べずに持ち帰る事もしょっちゅう。


冷蔵庫に入れて食べられる状態で持ち帰るわけでなく、真夏の車内に置きっぱなしにし到底食べられるシロモノでは無くなった弁当を捨てる時、麻由子の脳裏には朝眠い目をこすりながら調理した時の光景が甦る。「前日でいいから、要らない時は弁当要らないって言って。そしたら作らずに済むから。あとせめて食べなかったなら会社の冷蔵庫に入れておいて。持ち帰って食べられるように」そう頼むと、がしゃん!と何かが当たる音がした。音は祐志の投げた車の鍵が麻由子が立っている場所の壁に当たった音だった。振り向くと祐志が鬼のような顔で睨んでいた。


「いちいちうるせえんだよ」


祐志はそう言うと風呂に消えた。


そんな男の1000万に届きそうな額まで膨れた借金の大半を家計に入るはずの金で返させてやり、自己責任で障害者になった今も面倒を見ている自分を、麻由子は和弘が言うように女神だと思っている。介護はもちろん下の世話まで当たり前にあり、間に合わず漏らす排せつ物の処理や掃除も、麻由子は黙って手袋を付けてやっていた。


以前なら尽くしても少しでも気に入らない事があれば車の鍵を投げ付けてきた祐志は麻由子に媚びる事を覚え、掃除する麻由子をニヤニヤと笑い見つめながら、失語症の回らぬ舌で「ごえんなさい」と言う。麻由子は「いいんだよ」と笑顔を向けた後言葉にはせず胸の中で


(私、あなた以外の男に抱かれて良い思いしてるから。包茎で小さくて汚いあなたのと違って良いもの持ってる優しい男に。だから介護出来てるの、その恩恵が無かったらクソなんか漏らされたら殴り殺してるかもね)


と付け加えた。


和弘が麻由子に自分が居なかったら生きられなかったと感謝してくれたように、麻由子も和弘が居てくれるからこの最悪な暮らしを続けて行けるのだと、感謝している。和弘が本当にそう思っているか否かなど、さほど重要ではない。でも少なくとも麻由子はそうだった。今は和弘に生かして貰っている。


「凄い、満開!」


約束通り花見に誘ってくれた和弘に連れられ彼の気に入りのスポットに着いた麻由子は、感嘆の声を上げた。


「俺の秘密の花見場所、桜の季節は毎年釣りのついでに缶コーヒー買ってここで一人で花見するの。今年からはまゆにも見せたかったから、叶って俺も嬉しい」


和弘は言いながら、車の後部座席から何かを取り出すと麻由子に手渡した。


「バレンタイン貰ったのに、ホワイトデー前後には会えなくて渡せなかったから。遅れてごめんね」


「会えなかったのは仕事のせいだもん、全然いいよ。でも凄く嬉しい!ありがとう」


持ってみるとかなり重さがある、この重さは液体の入ったガラスボトルなどを思わせるが、麻由子はお酒をあまり飲まない事を和弘も知っているのでワインなどの類いでは無いはず。中身は何だろうと思っていると和弘から教えてくれた。


「まゆ、香水が好きだからきっと香りに纏わるものも好きかなと思って。中身はアロマディフューザーだよ」


「嬉しい!必ず玄関にはディフューザー置いてるから。でもいつも同じブランドの使ってるから変えたかったの。大事に飾るね、中のオイルが無くなってもインテリアとして飾る」


「あとは香りが好みだと良いんだけど」


和弘は言いながら、麻由子の首筋に顔を近付けた。


「俺、自分も香水使わないし、まして女性の香水とかアロマ用品なんて全く知識無いから、麻由子が付けてるこの香水の香り必死に覚えて売場で似た香り探したの。でもああいう場所ってやっぱり女性が多いじゃん?だから男が可愛いボトル嗅いでは戻してたから、不審がられたと思う」


「不審がられはしないよ」


麻由子は笑った後、嬉しくなり貰った袋を軽く抱き締めた。


「プレゼントは貰う物自体も嬉しいんだけど、一番嬉しいのは相手が自分の為に時間を割いて物を選んでくれている、その時間こそなの。その手間と時間も含め貰っているから、より大切にしたいと思うよ」


麻由子が言うと、和弘が麻由子をプレゼントの袋ごと抱き締めた。


「そういう優しい考えが持てるところが、俺がまゆを一番好きな部分」


言い終えた和弘の唇が麻由子の唇に重なる、満開の桜の中二人はキスをした。その後はレジャーシートを敷き座りながら行き掛けに買った桜餡の団子や海苔巻きなど食べたり、お茶を飲みながら雑談したりして過ごす。相性はセックスも勿論だが、それ以外の部分も合っていると麻由子は思っている。和弘とは、まず何時間一緒に居ても疲れない。LINEでも何を話題に話しても楽しい、趣味も考え方も合う。イライラする事が全く無い。ただ、それなりの期間付き合う中で分かってきた事もある。


彼は割りと思った事がすぐ口から出るタイプらしい。それにより麻由子は嫌な思いをした事は無いが、和弘自身も「俺は割りと考えずにもの言ったりするんだよ、直さないといけないんだけど」と言った事があったので自覚しているようだ。他にも衝動的な行動も多い。出掛けている最中目的の施設の手前で気になるスポットの看板を見かけたりすると「あ、ねえここ寄って行こう!」と言い麻由子の返答を待たずに勝手に入ってみたり。人によっては怒るかもしれない行為ではあったが、麻由子は人に合わせるというのが得意で苦ではないので支障にはならなかったが。むしろ4歳年下の和弘の子供のような部分を愛しく感じ、する事がなんでも可愛く思えて許せてしまえた。


「また一つ思い出が出来た」


花見を終え車に戻った和弘が、満足そうに言った。

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