第6話
あくまで関係性は、障害者福祉を通じた支援相談員と支援を受ける障害者の家族。そしてひょんな事から互いにゲーム好きと判明しモンハンを遊ぶようになったゲーム仲間でもある。
そう自分に言い聞かせる反面、麻由子は和弘とのそんな交流が一ヶ月にもなるとある意味開き直るようになってもいた。公共施設や相談窓口では敬語でもそこを離れたら呼び方はお互いに愛称で呼び、LINEでは毎日やりとりをし、敬語も使わずたまにはゲームのオンラインで協力プレイで遊ぶ。和弘とは最初の関係から変わり、どこから見てももう親しい友人という域になっているし麻由子自身もはっきり自覚があった。
二人の間には別に男女のあれこれなんて何も無い、ただの友達なんだから世間から非難される謂れも無いし堂々としてて良いよね。
そう考えながらまゆ、かず、と呼び合いLINEで他愛ない会話をする毎日は、麻由子に明らかに良い効果をもたらしていた。かつてはクズで今は自分に頼らないと生きて行けない夫を抱え娘も抱え、多忙な毎日ではあるが時折は時間を作り女友達と食事や買い物に出掛ける毎日の中に、新たな楽しみが出来た事で生活に更なる張り合いが持てた。ただの友達だとしても中年で魅力も乏しい自分なんかと交流してくれる和弘の存在が本当に有難い。またそれを、多少和弘の方も思ってくれているらしい事が麻由子にも分かるのでそれも嬉しい。「おはよう!」だとか「今日仕事終わりに入ったラーメン屋めっちゃ旨かった、知ってる?○○スーパーの隣の空き店舗だったとこに新しく出来たの」だとかが来て、こちらからも「おはよう」や「なんか行列出来てるのは知ってたけど、ラーメン屋さんだったんだ」など返す。こんなやりとりが麻由子の毎日に力をくれていた。
「俺の仕事は一見、障害者である利用者に振り回されてるように見えるでしょ。まあ事実制御の効かない利用者に椅子ぶん投げられたりODしちゃう利用者の救命したり、毎日戦場なんだけど。でもね、本当の地獄は利用者相手じゃなく、職員相手の方なんだ」
ある日和弘が言うので麻由子が
「管理職で上と下に挟まれる、それが制御の効かない利用者さん達の相手よりはるかにキツイって事?意外だった」
と返すと、通話中の和弘の声のトーンが落ちる。
「ここだけの話ね、俺らみたいなセンター責任者じゃなくパートでグループホームとかの介護職の、しかも夜勤に就く人らはさ…もちろん仕事出来て真面目な人も居るよ、でも1/3くらいは昼の勤務でどの職種でも上手くやれなかった人らで、その人らが最後に来る場所、みたいな側面があるんだ。だから話が通じない人もいれば、果ては利用者か職員か分からないくらいのも居て、好き勝手な事俺らに言って来るし時には利用者より手が掛かる」
「ただでさえ全面的に支援が必要な重い障害者の人達のケアとか施設の運営自体を考えなきゃならないのに、その上に働く側の職員さんの好き勝手まで聞かなきゃならないの…。私は自分が障害者の面倒を見ているから、支援だけでもどれ程大変か、少しは分かるつもり。でもかずの仕事はそれだけじゃない、ちょっと心配だよ。大丈夫?」
麻由子の問いに、和弘しばし黙った後
「女房なんて俺がしてる仕事なんかハナから理解しようともしない、心配された事なんか一度も無いよ。職場じゃ下からはあれはやりたくないこうはして欲しい、上からは穏便にやれ、利用者からはワガママ放題言われておまけに利用者の家族からもめちゃくちゃな要望される。やりたくて就いた仕事だから仕事自体は好きなんだ。でも今の現状にはちょっと参っててね。あと数ヶ月で異動だけど持たないかもと思うくらい、精神的にきつい。ごめんね愚痴ったりして」
弱々しい声でそう返る。
「いいよ、いくらでも愚痴なんか言いなよ。あと何もしてあげられなくてごめん」
麻由子が言うと、和弘が笑った。
「毎日他愛ない会話してくれてさ、ゲーム付き合ってくれてさ、今日はこうして愚痴聞いてくれて、心配してくれて、まゆにどれだけ助けられてるか分からないよ、有り難うね。一番救われてるのは、まゆ自身が障害者と暮らしていて俺の仕事の大変さをリアルに分かってくれる所なんだ。まゆは他人事じゃなく、自分の体験から俺の苦労を理解して労ってくれてる」
和弘の言葉に、麻由子は思わず涙がにじんだ。元来の和弘はポジティブで明るい、その彼が弱音を吐く姿は知り合ってから今まで見た事が無く、また辛そうな様子に胸が締め付けられる。
「私に出来る事なんて無いかも知れないけど、あるなら何でもするよ。力になるからどんな事でも言って」
少し間が空き、和弘が言った。
「会社帰りにまだ家に帰りたくなくて車ん中でまゆに通話してたんだけど、今さ、少しだけでいいから顔見られないかな。無理ならいいんだけど」
「いいよ、出られる。どこに居る?」
「まゆの家から少し先に行った、角の自販機んとこ」
「出ていく、待ってて」
通話を切り時計を見ると、時刻は10時。普段も足りないものを買いにコンビニに行くくらいならこの時間にしたりもするので、出ても家族にはそう怪しまれないはず。娘は夜間なので怖がってついては来ないし夫は無理にはついて来られない体、待っていてと言うだけで済んだ。夜道を歩いて行くと少し先に見慣れたヴェゼルが路上に停まっている。和弘は麻由子の姿を捉えるとエンジンを掛けた。
「乗って」
和弘に促され助手席に乗ると
「車、そこの公民館の駐車場入れるよ。ここだと外灯に照らされてただ話してるだけでも目立っちゃうから」
彼はそう言って近くにある公民館の光の届かない駐車場の端に車を移動させた。車を停めるとドリンクホルダーに刺さっていた缶コーヒーを麻由子に手渡した。
「わざわざ呼び出したりしてごめんね、さっきの自販機で買っておいた」
「有り難う、頂きます」
「通話でも元気貰ってたんだけど、顔見て直接声聞いたら、凄い元気出た」
「私なんて、何も…」
「まゆが一番、俺を助けてくれてるよ」
和弘はそう言いながら、ハンドルに伏せった。
「もう、本当に今が福祉やってて一番キツイ。今日は散々夜勤明けの職員のおばちゃんから文句言われて、そのせいで自傷癖のある人の救済に行くのが遅れたんだ。最大限急いで後輩と向かったんだけど…間に合わなかった。行ったら部屋中血が飛び散っててね。遺体運んだ後の部屋の始末も俺らがするんだ。血液ってごく僅かでも特有の匂いがするけど、頸動脈切りつけて飛び散った大量の血液の匂いはやっぱり凄いんだ。それに、特殊清掃呼ばないとなかなか落とし切れない。でも予算が無いから呼ぶ事も出来ない。一緒に掃除しながら後輩が泣き出しちゃって、もう辞めたいって。今までは辞めるな、一緒に頑張ろうって言ってきたけど今日は言えなかったんだ」
ハンドルに伏せたままの和弘が、一旦言葉を切る。そして大きく息を吐くと
「言えないよ、俺もさすがに今日はあいつと同じ気持ちだったから」
と呟いた。
「あの職員のおばはんが、緊急出動だから離してくれって何度言っても聞かなくて、そのせいで初動が遅れた。俺がもっと強く振り切って飛び出せていたら、救えていたかも知れないんだ…悔しいし腹立たしいし、もう、感情ぐちゃぐちゃ」
そう泣き笑いするような声で言う和弘に、麻由子は泣きながら
「かずのせいじゃない」
と返した。
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