第3話

祐志とは友達が数人集まる飲み会でたまたま出会い、麻由子もゲームや漫画が好きだったので意気投合し話をした。「マユちゃんみたいなギャル系の子がマイナーなゲーム知ってるなんて、嬉しいな」と、祐志は麻由子をたいそう気に入った。麻由子は不細工で服のセンスも最悪なオタク丸出しの祐志を恋愛対象には見て居なかったが、早くに父を亡くし苦労の多かった母を早く安心させたいと思い、安定した職業の祐志と付き合いすんなり結婚もした。不細工だから浮気はしないだろうと選んだ祐志は、結果として浮気はしないがギャンブルをするクズだったし性格も破綻していた。が、母はその事実を知る事なく「真面目な青年が旦那様になってくれて良かった」と言い喜び、麻由子と祐志の結婚が半年経つ頃病で亡くなった。


父母の眠る墓に線香を手向けた麻由子は「色々大変だけど、なんとかやってるよ」と報告した。その麻由子の髪を、夏が終わり秋を告げる少し冷たくなった風が揺らした。同時に麻由子はその風が胸の中にも吹いた気がして、胸元を押さえた。


なんとも言えぬ気持ちのまま両親の眠る寺を後にし車に乗り、羽菜の下校時間までまだ少し余裕があるので一人でカフェに入りアイスコーヒーを頼んだ。


片足を切断した上軽い麻痺のある祐志は、もう羽菜を孕ませた時のように麻由子を押さえ付け行為に及べない。麻由子のリードがあれば出来ない事は無いが、愛情も無い祐志とはしたくない。ただ麻由子はまだ四十歳になったばかりで、先の人生はまだ長い。なのに一定年齢を過ぎたら将軍の褥を強制的に辞退させられる大奥の制度のように『お褥すべり』を言い渡されてしまったのだ。


この先も婚姻関係のある祐志と夫婦の営みは持ちたくなく、かといって他の誰かと持てば不貞行為となる。一生男性と交われぬ身になってしまった事は、欲求云々からではなくもう自分は女では無くなってしまったような気がして酷く悲しかった。かといって不倫相手など見つける勇気も無い、今の世にはマッチングアプリなどあり若者は活用しているが、どこの誰かも分からない人間と会うなど怖いし、第一多少身綺麗にするようになったとはいえ体はたるんだ中年そのもの。自分に自信も無いのでレディースコミックのような火遊びなどは絵空事、自分には関係の無い事だった。


アイスコーヒーに浮かんだ氷が溶けていく様が、まだ老婆になるまで時間があるのに女という舞台から四十歳で無理やり引きずり降ろされてしまう自分に重なる。誰からも女性とは見て貰えず女の部分が溶けていき、あっという間に腰の曲がったおばあさんになり死んで焼かれて消えてしまうだけ。


気晴らしのお茶をする為にカフェに入ったのに、歪な形でコーヒーに溶かされていく氷を見ているうちに余計に気分が沈んだ。麻由子は払拭するようにストローに口を付け、残っているコーヒーを吸い込んだ。その瞬間


「江藤さん」


と背後から声を掛けられびっくりし噎せかけた。紙ナプキンで口元を押さえながら振り向くと、そこには夫祐志の通所施設探しの際に相談に乗ってくれた、支援相談員の男性スタッフが居た。


「あ、お久しぶりです」


「俺この時間まで昼食べてなくて、とりあえずサンドイッチとコーヒー買おうと思って入ったんです。ここのコーヒー美味しいですよね」


トレイにサンドイッチ二種類とカフェオレを乗せた町の障害者支援センター相談員の森和弘(かずひろ)は、麻由子に「席ご一緒してもいいですか」の断りもなく麻由子の真向かいに座り「あれからご主人どうですか、紹介した新しい通所施設には通えていますか?」などと会話を始める。和弘は新しく出来た通所施設への入所時から江藤家の担当相談員となり三ヶ月、施設の紹介や入所手続きの他にも色々と関わってくれていたが、こうして相談窓口や見学した施設以外で二人で話すのはこれが初めてだった。


麻由子は男女二人が同じ席となると人目が一瞬怖かったが、森は仕事着として施設名の入ったポロシャツを着ているし身分を書いたネックストラップも付けている。その上敬語で話し掛けているので、はたから見ても相談員と利用者家族と思われるだろう、という安心が起きそのまま受け答えた。


「お世話になりました、本人も嫌がらず利用しています」


「入浴介助は大変ですから、通所施設で週三回入れるのは大きいですよね。でもあそこは基本老人介護メインの施設で、障害者メインじゃないんですよね。良かったら今度、B型事業所を見学しませんか?」


「B型事業所?」


「障害者の方達がリハビリを兼ねて就労している施設です。製品のシール貼りやハンガー部品の組み立てなんかを通じて社会に役立てる自信が持てるし、少ないながらも賃金も出ます」


「それはいいですね、同じ麻痺や切断の障害の方にも会えたら、本人も励みになるかも」


「いらっしゃいますよ、ご都合が良ければ今月中にでも見学入れますか?」


会話しながら、和弘はよほど空腹だったのかサンドイッチ一種類を二口ずつで平らげカフェオレで流し込んだ。麻由子はあまりにも早く食べる和弘を見ながら可笑しくなり、少し笑ってしまった。


「森さん、食べるの早い」


「ああ、腹減ってたのもあるし元々食べるの早いんです。これが手料理なら、もう少しゆっくり味わうんですけどね」


「先日、結婚されてお子さんも居るって言ってましたよね」


「女房居ますけど、料理全くしないんです。だから朝とか休日の飯は俺が作って、平日の昼とか夕食はハンバーガーとかコンビニ弁当とかばっかり」


「…奥さん、お子さんにも作らないの?」


「一切作りません、その上俺にあれやれこれやれ言って、やっても文句しか言いません。料理以外の家事もほぼ俺、子供の行事も俺しか出ません」


「うちは私がワンオペで仕事も家事も育児も一切やって来ました。だから旦那が倒れても、頼ってなかったから支障無いんですけどね。あと、私もどんなにちゃんとやっても文句しか言われなかったのも同じ」


麻由子が笑うと、和弘はただでさえ細く切れ長の目を更に細めた。


「本当、俺と同じだ」


その目に麻由子は、心臓がほんの少し高鳴る。まっすぐ男性に見つめられる事すら、年単位で無かった事だった。ただ今はむしろあまり見ないで欲しくもある。確実に年下の和弘の目に、自分のすっかり老けて目尻にシワも出来始めて化粧乗りも悪くなった顔はあまり映したくない。麻由子は視線を避けるように顔を少し下にやり、まだ少し残っているアイスコーヒーのグラスを持つと中身を吸った。


「改めて、江藤さん偉いと思います。娘さんも障害負った旦那さんも一人で抱えて、親の支援も無しでやってて」


「そう言って頂く事多いんですけど、段々慣れました。それに紹介して頂いた通所施設が利用出来て更に楽になっています、感謝しています」


「B型事業所の利用も出来るようになったら、日中介護をする日がもう一日減りますよ。見学日時、良さそうな日があったらこちらから連絡しますね」


「分かりました、ありがとう御座います。お手数お掛けします」


「いえ、いつもは昼は一人で食うんですけど、江藤さんに付き合って貰えて寂しくなかったです、こちらこそありがとう御座いました」


麻由子がバックを持ち席を立つと、和弘もトレイを持ち席を立った。二人は駐車場で改めて軽く会話すると各々の車に乗り込んだ。

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