4. おだやかな日々

〇セシールと王子さまはマルシェに行って花の種を買い、ベランダで育てることにした。ふたりの生活は穏やかで、楽しい。

時は初夏になり、セシールのベランダでは、きれいな花が咲き始めている。


ドアがあく音。

「ただいま」

とセシールがはいってくる。

「(元気に)お帰りなさい。早かったね」

と王子さまが迎えに出てくる。

「今日はコンピュータシステムが故障して、バイトは午前でおしまい。ラッキー」

「セシールちゃんが早く帰ってきて、ぼくも、ラッキー」


「わぁ。すごくいい匂い。お花の匂いだわ。(拍手をしながら)王子さまは本当に花を育てるのが上手ね。お部屋にもベランダにもお花がいっぱいで、アパートに帰ってくるのが楽しみよ。ドアをあけると、花のあまい匂いがするもの。わたし、とても幸せよ。ありがとう」

「ぼくも、幸せです。花さんたちがいろんな話を聞かせてくれるんだよ。それから、チョウチョや小鳥さんもやってきて、毎日が楽しい」


「わたしもすごく楽しい。(声が低くなり)本当はね、おととし、パパが死んじゃってひとりになって、ずーっと寂しかった。寂しすぎて、部屋にいられないことがあったよ」

「そうだったんだ。だから・・・・・、(話題を変えるように)パパは病気だったの?」

「ううん、事故。パパはおじさんと同じパイロットで、セスナに手紙をのせて運ぶのがお仕事だったけれど、おじさんと同じに、地中海の上のどこかで、いなくなっちゃった。だから、死んだかどうかわからないけど、海の上だもの、もう生きてきているわけがないわよね」

「(涙声で)そうだったんだ」

「そう。もともとこのアパートはおじさんのもので、それをパパがもらい、今度は、わたしがもらったのよ。そうでなければ、こんなセーヌ河のそばのアパートになんか、住めないもの。わたし、バイト暮らしの貧乏学生だから」

「セシールちゃんのパパが生きているといいな。おじさんも生きているといいな。ぼく、探しに行きたい」

「そうね。おじさんは無理だけど、パパはどこかの島に流れついて、島の人たちと腰ミノをつけてふらふら踊ってたりして。お金がたまったら、一緒に探しに行こうか」

「ぼく、行く」



〇電話が鳴る音。

「アロー」

とセシールが答える。

ちょっと待ってと王子さまに合図をして、セシールはキッチンに行く。

「ノー、ノー」という声が聞こえる。

セシールが浮かない表情で戻ってくる。


「クロードだった」

戻ってきたセシールがぽつりと言う。

「セシールちゃん、うれしくないの?」


「今夜、友達のクラブにね、彼がこっそり、特別出演するんだって。見にこないかって」

「行くの?」

「行くわけない。もう会わないって決めたんだから」

「いいの?」

「これまでもね、同じことをもう何度も繰り返しているのよ。仲直りしても、会うとすぐに喧嘩して、また悩む日が続くっていうの、ここで断ち切りたい」

「いいの?」

「わたしね、王子さまと暮らして、とても楽しいの。心がおだやかで、ちょっと不思議な毎日で、いらいらすることが全然ないんだもの。わたしはこういう平和な暮らしがいいの。ずうっと、このままがいい。さて、ランチは、何を作ろうか。食べたいものある?」

「ラタトゥイユ」

「ラタトゥイユ、よく知っているわね」

「ぼく、調べたんだよ。セシールちゃんがダイエット中だから、野菜がたっふの料理がいいと思って。作れる?」

「野菜を切って、オリーブとニンニクで炒めて、煮込めばいいんだもの。ドンマイ」

「料理、とくいなの?」

「まあね。わりとうまいかな。見かけは悪いけど。でも、クロードのほうがうまいよ。凝ったものを作るの。シェフになりたいと言っていたくらいだから。ああ、そんな話はもういいわ。じゃ、おいしいラタトゥイユを作るね」

「メルシー。うれしいなぁ」

ふたりは楽しいそうに笑う。


〇夜になると、セシールがそわそわしている。王子さまには、その気持ちをわかる。


「セシールちゃん、ぼく、クラブといところに行ってみたい」

「行きたいの?」

「うん。ぼく、行きたい。そういうクラブに、一度も行ったことがないから」

「そうかぁ。星にはクラブなんて、ないものね。じゃ、ちょっとだけ行こうか。わたし、カツラをかぶって、マスクをつけていけば、わからないよね」


〇クラブ

ふたりが入っていくと、人がたくさんいて、コンサートが始まっている。クロードがステージに出てきて、「ラ・メール」を歌う。


「ラ・メール」の曲が流れる。


「なぜ、ラ・メールなの。ロックの人なのに」

とセシールがぶすっと呟く。


途中で、「わたし、この曲、一番好きなんだ」とセシールがしくしく泣き出す。

「もう出ていい?」

「うん。ぼくもクラブってどんなところかわかったから、これでいいよ。出よう」


ふたりは店を出て、夜の石畳を黙って歩く。

大きな足音と小さな王子さまの足音。


後ろから誰かが走ってくる気配がする。

振り返ると、クロードの姿が見える。

「クロード」

とセシールが驚く。


「ちょっと待っていて」

セシールは王子を待たせてクロードに近づいて行き、何か話している様子。


「なんだかふたりで言い合いをしているようだけど、セシールちゃん、だいじょうぶかなぁ」

心配そうな王子さま。

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