八。僕とリリィ。

「いやん、アキラのえっち。まだ私が入ってるのに」


 この展開は予想できたはずだが、さすがに油断した。

 そう言えば叔父さんも、油断とか心の隙とか言ってたっけ。あまり覚えていない。


「パターンだけど一応、聞いといてやるよ。なんでお前がここにいるの」

「地べたで蛸足と遊んだから、気分的にお風呂かなって思ったんです。アキラを先回りしたわけじゃありませんよ?」


 お前の洗浄なんか庭の水撒きスプリンクラーで充分だ。

 僕はもう疲れたよ。なんだかとっても眠いんだ。

 色々とどうでもよくなってきた。


「リリィ、端末遊びがくだらないのは認めるよ。だからってあんな手の込んだ嫌がらせを」

「あ、最後まで見てくれました? それなら、私のメッセージを受け取ってくれたってことですね。だからってお風呂場まで……いえ、私、アキラならいいんです。いつだって、どこだって」

「知らないよ。あんなくだらないものを最後まで見るわけないだろ。うう、映画が途中だったのに……」


 続きが気になるなあ。

 明日見よう。今日は枕を濡らそう。

 明日になれば人間が奪った多摩の自然を、タヌキたちが知恵と勇気とメタモルフォーズで取り戻してくれるに違いない。

 なんだか、父さんと母さんの仕事に通じる気がした。

 映画は凄いな。三百年も前の作品なのに、未来への警鐘と示唆に満ちている。


「映画を見てたんですね。続きが気になります? 端末のロックを解除してもいいですけど」

「ほんと? お願いだよ。僕が映画を好きなのは知ってるだろ」


 贅沢を言えば、ピザとコーラを何も考えず口に運びながら見たいところだけど。


「仕方ないですねえ、今日だけですよ。あんまりそういう日が続くと、奥様もさすがに許してくれませんから」 


 ああ、今日はじめてリリィが天使に見える! 

 なんだか僕、アメとムチで飼い慣らされちゃう素養があるんじゃないだろうか。

 リリィはエロエロ以外の部分では僕に結構厳しい。

 笑いながらも甘やかしてはくれない、いいお姉さんなんだよな。

 品行が乱れてなくても、生活習慣が自堕落になったら、やっぱり母さんが激怒してリリィをスクラップにしようと本気を出すだろう。

 そうなったとき、真っ先に余計な苦労を背負い込むのはアルバート叔父さんだろうな。

 体に爆弾でも埋め込まれて、リリィごと自爆するようにけしかけられるんじゃないだろうか。

 それに父さんと母さんの仲がまずいものになるかもしれない。

 最悪、離婚なんてことも。僕が原因でそんなことになるのは嫌だ。

 母さんに対して、ちゃんと問題なくやってると安心させなければ、僕もリリィも困ったことになる。

 だから僕は、リリィのお色気官能戦術に降伏するわけにはいかないのだ。


「でも映画を見続けるには条件があります。このまま一緒にお風呂に入って、体を洗いっこすること」


 僕はロボットにまで気を遣っていると言うのに、こいつは自分の欲望しか頭にないのか!


「大丈夫ですよ、痛くしませんから。むしろ天国に連れて行ってあげます」


 そんなところで天使役を勤めなくていい。

 僕はちょっと考えた末、リリィを洗い場に座らせて背中だけ流してやることにした。

 リリィが僕の体を触り始めると、どこまで暴走するかわからない。

 でも映画の続きは見たいからお風呂は一緒に入る。妥協点はここだと思った。


「アキラは私の体を舐めるように見ているのに、私からはアキラが見えないなんて……。それもそれで快感」

「誰が舐めるか。むしろ吐いて捨てるよ」


 そうは言ったものの、リリィの肌、人工皮革樹脂はすごく手触りがいい。

 ものすごいモチ肌の人間と誰もが錯覚するだろう。

 この中が頑丈なチタンの金属骨格だってのが嘘みたいだ。

 衝撃、熱、酸やアルカリにもめっぽう強く、切り傷も自動修復される優れものの柔肌だ。

 見た目も、そんじょそこらの人間よりよっぽど人間らしくて、なおかつ綺麗だ。

 これで性格がまともならなあ。


「……アキラ、十八歳になったんだから、私の想いに応えてくれてもいいじゃないですか。私はそのために作られたシリーズなんですよ?」


 おとなしく僕に背中を流されるまま、リリィがポツリと呟いた。

 想いと言うのは、説明するのも白々しいけど、要するに僕とリリィの関係が一線を越えること。

 大人が性欲をもてあましたときにする、あんなことやこんなこと、これ以上は表現できないことを指す。


「毎日のように言ってるじゃないか。僕にその気はないよ。リリィは家事をしてくれるだけでいい。それで充分、感謝してるよ」

「奥様のことを心配なさるのはわかりますけど、私はロボットなんですから、深く考えなくてもいいと思うんですけどねえ。なるようになりますよ」

「リリィはもう少し考えろ。超高度人格AIの能力をそこで発揮してくれ」

「あら、私はロボットで、道具ですから、私といちゃいちゃしても、アキラは淫らなことをしていることにはなりませんよ? 自慰行為の延長ですから、我慢しろと言うのは厳しすぎます。仮に、私に人格を認めてくれているのなら、それは自由恋愛です。個人の愛情に、いくらご両親とはいえ介入するのは、道徳的にどうかと思いますよ」


 ええい、屁理屈ばかりごちゃごちゃと。

 こんな減らず口ばかり生み出すAIにどれほどのお金が投資されたか、想像もしたくない。

 だけど、無理もないかなあ。これはリリィのアイデンティティに関わる問題だから。

 リリィの躯体型式である『汎用人型労働機械シリーズ・百合亜』

 これはそもそも、成人の利用者を対象とした性感サービスと日常雑務を兼ね備えた商品なのだ。

 簡単に言うと、すごく便利な愛玩人形。オランダの奥さんを翻訳してダッチワイフってやつ。

 だからすごく美人に作られてるし、基礎AIもエロいんだよね。

 父さんの改造が影響し、機械としての高度な処理能力と、人間のような情緒を持ったリリィの脳。

 その脳はいくら高性能になっても、自分が性の商品である根本目的をずっと忘れていなかった。

 人間にも自分の宿命やアイデンティティに執着する場合がある。

 それと同じように、リリィも自分の生まれ持った特性を積極的に肯定し、貫こうとしている。

 去年まではせいぜい、キスとか添い寝止まりだったのに、最近になってやけに肉感アタックが激しくなったリリィ。

 僕が商品対象の十八歳と言う年齢に達したからだろうか。

 リリィは美人だから、ロボットだと言うことを忘れて見入っちゃうことはある。

 なにより献身的に僕に尽くしてくれているのも事実だ。

 それでも僕は、なんとか理性を保っている。


「お前と僕がどうにかなっちゃうなんて、ありえないだろ」


 その理由、何度言ったかな。リリィはわかってくれないんだよな。


「第一、僕たちは女の子同士じゃないか。ロボットを使ってエロいことをするのは、そりゃそういう趣味の人もいると思うけど、僕は女の子相手にあれこれしたいと思わないよ」


 百合の花。

 それを女性同士による愛の象徴としていた時代や文化がある。

 父さんは、何が楽しくてこんなものを僕にあてがったんだ。嫁に行って欲しくないのか?


「あら、私は確かに女性向け性感ロボットとしての使命を持っていますけれど。それ以上にアキラを愛する気持ちで一杯ですよ? 愛の前では人とロボットの区別も、性別も関係ありません」

「僕は、普通に男の人と恋愛して、普通に結婚したいと思ってるんだよ。今のところ、そんな相手はいないけど……」


 白馬の王子様なんて信じてるわけじゃない。

 普段のしゃべり方も女の子らしくないので、初対面の人と映像通信すると、たいがい男の子だと思われる。

 それでも、かっこいい男の人に大事にされたいなあ、なんて事を思うくらいには、乙女な僕なんだ。


「ふふふ、そんなことになったら、相手の男は知らない間に原因不明の死を迎えます。難事件を増やして世間を暗くしないためにも、アキラは私と結ばれるべきですよ」


 まったく、リリィが言うと冗談か本気かわからないから怖い。

 アルバート叔父さんとか、親戚じゃなくてもっと若ければ、かなりイイ線なんだけどね。

 格好つけてる割にちょっとマヌケなところがチャーミングだ。

 もしも叔父さんがリリィに勝ったら、会う機会が減っちゃうのかなあ。

 リリィはそんな僕の気持ちに気づいてるから、叔父さんに当たりがきついのかもしれない。

 いろいろ話して、いろいろ考えながらお風呂に入ったせいか、僕は少しのぼせてしまった。それでも、久しぶりの長湯は気持ち良かった。

 リリィが僕の長湯を大目に見てくれたのも、ロボットなりの愛情と言うことなんだろうか……。

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