七。夕方のリリィ。
家に向かって歩いていると、リリィが迎えに来た。
服はズタズタに破れたまま。
スーツ姿の中年男性もそうだが、服が破れて半裸になった美女と言うのも、森林と危険な方向で適合しそうなので嫌だ。
「せめて着替えて来てよ。この状態を誰かに見られたら、状況証拠だけでも有罪だよ」
あたり一帯には、誰も住んでないけどね。
「こういうプレイです、ってちゃんと口裏を合わせますよ。それ以前に、衛星からの画像が残ってますけれど」
そういうプレイでもなんでもない。主人を守るならせめて真実を話せ。
犯罪歴はつかなくても僕の名誉が傷つく。
「ところで、タコ……じゃなかった。叔父さんの切れた腕、どうした?」
人間の腕とタコの腕が転がってるなんて、近くに住むものとして非常に気味が悪い。
「林の中に捨てました。熊の餌にでもなるんじゃないかと思って」
まだ春には早いから、熊も穴の中でお休み中だろうと思う。
毎週、リリィと叔父さんが天地を振動させているので、それどころじゃないのかな。
しかしこいつも適当な奴だ。
もっとも、リリィの管理者である父さんが適当な人だから仕方がない。
「リリィ、一つ聞きたいんだけどさ。髪の毛の電流で相手を操る機能、どうして今まで、叔父さんとの勝負では使わなかったの?」
「あの機能を人間相手に使うのは、条件が限られているんです。家に強盗が入ったとか、そういった緊急避難のような場面でないと、私の持ち主である旦那様が星間法で裁かれます」
「……さっきは、全然そんな条件に引っかからないと思うんだけど」
叔父さんは強盗じゃないし、何しろ帰ろうとしていた。
どう見てもリリィのほうが危険要因だ。
「ええ、だからタコの細胞部分にだけ、髪を刺しました。人間じゃないから大丈夫です」
人間から生えているなら、タコの細胞でも人間の一部だろっ。
そう反論しようとした僕だが、人間とは何かという重大なテーマが頭をよぎったのでやめた。
どうせ、理屈ではリリィに勝てっこないし。
うーん、タコの手は人間じゃないのだろうか……。
僕たちはそろって家に帰った。
「おやつは戸棚に入ってますけど、食べ過ぎちゃダメですよ。アキラのスマートな体が、脂肪でだらしなくなっちゃったら……ふふふ、それはそれで可愛いかもですね」
どうでもいいことを言いながら、リリィは折れた腕を直すために、蔵の中にあるメンテナンスルームへ入って行った。
骨格が曲がった程度なら、自分で応急修理ができるらしい。
めったにないことなので見物しようかな。
いや待て。このときばかりは、僕は完璧に解放されるんじゃないか。
見ようと思っていた動画が沢山あるんだ。
リリィが端末遊びに時間制限をつけたせいで、中身を見ずにタイトルだけをチェックしておいた膨大なリストが。
僕は部屋に戻るなり、情報端末のスイッチを入れた。
リリィの自己修復はどれくらいかかるのだろう。
せめて一時間以上はかかってくれないと意味がない。
毎日、一時間までなら当たり前に許されている権利だからな。
しかし、どっちが主人でどっちが仕えてるんだか。情けなくて涙が出そうだ。
映画、コメディお芝居、アニメーション、スポーツの超絶プレイ、歴史ドキュメンタリー、世界奇人変人。どれも面白そうだ。
とりあえず僕は、野球グラウンドで踊っている着ぐるみのコアラを見て、その意味不明さとキモ可愛さに抱腹絶倒した。
叔父さんが話していた、アルゼンチンのサッカー選手も調べることができた。叔父さんも結構なマニアだな。
問題のシュートは、どう見たってハンドだった。
何が神の手だ、お前の手じゃないか。適当なことを言いやがって。
しかし、楽しい時間は長く続かないし、うまい話には落とし穴があるものだ。
多摩丘陵を舞台に人間とタヌキが対決するという、これまたシュールでユニークなアニメーション映画を見ていた途中。
アニメーションでも実写でも、あるいはコンピューターグラフィックであっても、僕は映画と言うものが大好きなのだ。
誰かの言葉を借りれば、人の子が生み出した文化の極みだ。
作品世界に没入しかけたころ突然、画面いっぱいに下着姿のリリィが映し出された。
『もう、アキラってば。昔のお馬鹿な動画ばかり見てないで、もっと現実を、私を見てください』
そんな台詞とともに、リリィが純白レースのランジェリー姿で掃除や洗濯にいそしむという、安物ポルノとホームビデオ風映像が交じった小劇場が流れる。
動画のチャンネルをいくら変えても、このくだらない映像から逃げることができない。
通信連絡の機能と勉強に使う情報だけは問題なしだったけど。
『アキラも子供だと思ってたのに、どんどん大きくなっていっちゃうんですね……』
映像の中のリリィが、洗濯物に混じった僕の下着を手にとり、ため息をつく。
僕の成長を同居人が実感してくれるのはありがたいことかもしれないけど、そのために僕のパンツをかぶるな。
頭に僕のパンツを装着したまま、下着姿のリリィがめまぐるしい動きで家事をこなし、棒読み口調で主婦みたいな愚痴を吐き続ける。
途中、早送りにしたんじゃないか、と思うほどのスピードでリリィは歩き回ってるが、映像の編集じゃなくて実際にすばやく動いているんだろう。
時計を見ると、僕が動画を見はじめてから、約一時間が経っていた。
一時間以上遊んだら、この映像トラップが自動的に発動するように仕掛けやがったな、リリィの奴……。
それにしても、こんな映像をいつの間に撮っておいたんだか。
この器用さや周到さを、人間関係のケアに少しでも役立てて欲しい。特にアルバート叔父さんに対して。
僕は端末の電源を落とし、冷え切った心と体を温めるためにお風呂に入ることにした。お湯は自分で張ろう。
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