五。昼下がりのリリィ。

 回想終わり、僕の目の前には相変わらず戦っている二人。

 リリィとアルバート叔父さんのバトルは、かれこれ二十分くらい続いている。

 僕は昼食のサンドイッチをあらかた食べ終わって、水筒のフタで飲むミルクティーの湯気に幸福を感じていた。

 この四年間、週末はずっとこんな馬鹿馬鹿しいことの繰り返しだった。

 さすがのリリィもマンネリを感じたのか、最近の勝負では開始前にお芝居をしている。

 僕が悪い叔父さんにさらわれて、リリィが助けに駆けつけるというシナリオ。先ほどの茶番のことだ。


「そうするとやる気が三百倍くらいに膨れ上がるんです。相手が悪なら弱いものイジメも正当化されますし」


 リリィはそんなことを言っていた。ロボットにも善悪の概念はあるらしいけど、なにか間違ってる気もする。

 どちらかといえば、淫魔の砦に拉致されている僕を、正義のヒゲ叔父さんが助けに来てくれているという図式なのだが。

 正義が勝つとは限らないのが世の常で、僕はいつかロボット魔王に貞操を捧げる羽目になるのか。


「ぬうう、相変わらずちょこまかと!」


 叔父さんのパンチが、文字通り空を切っている。

 僕にはパンチが見えているわけじゃない。手が高速で動いていて見えないからパンチだろうと思うだけだ。


「無駄無駄無駄。あなたのパンチは一秒間にたったの八十五発。私の動体視力はマシンガンの発射をコマ送りに出来るほどですからね」 


 それが本当かどうかは確認していないけれど、リリィの長所が動きの精密さと動体視力にあるのは確かだ。

 それと、身体に傷を負っても痛くも痒くもないと言う、ロボットならではの耐久力。

 しかし単純なスピードやパワーなら、おそらく叔父さんのほうが上だろう。

 僕はリリィの動きをなんとか視認できるけど、叔父さんが何をやっているのかは、見てもさっぱりわからない。

 リリィが叔父さんの攻撃をクリーンヒットされない理由は、攻撃の予備動作を優れた視力でとらえられるから。

 そしてそれを無駄のない動きで避けることができるからなんだろうな。

 叔父さんをコケにするのに飽きた頃、リリィのカウンター攻撃が叔父さんの急所に決まって終わり、と言うのがいつものパターンだ。

 

 鈍い音が鳴って、叔父さんの体が前かがみに崩れた。

 リリィが片足を動かしたのが見えたので、おそらく前蹴りが決まったんだろう。

 もちろんこれが常人の蹴りなら、叔父さんはビクともしない。なにせ「地上最強の生物」という異名を持つ叔父さんだ。

 でも、リリィの攻撃は関節の隙間、筋肉の薄く弱いところを、針に糸を通す正確さで狙ってくる。まさに達人の域。 

 加えてリリィの骨格はチタン系の合金なので、見た目以上に攻撃の一発一発が重くて痛いことだろうなあ。

 打撃に必要なのは、パワーではなく角度と重心だ! とか、そういう話かもしれない。

 前蹴りは勝利に繋がる布石。とどめはおそらく、がら空きになった顔面や頭部へのパンチだろう。

 特に、こめかみへパンチを打ちおろした瞬間に、顎をアッパーで跳ね上げるという鬼のようなコンビネーションがリリィのお気に入りだ。

 チタンの金槌で頭蓋骨ピンボール状態にされるんだから、いかに叔父さんが化け物でもたまらない。


「タイガーファングって名前にしたんです。かっこいいでしょう? 古い格闘技のデータベースで、似たような技を見つけたんですよ」


 前にその技で戦いを締めくくった時、リリィがそう言っていた。僕には端末遊びを制限するくせに、自分はこっそり見てたのか。

 リリィ必殺のタイガーファングが、叔父さんの頭部を噛み砕こうとしたその瞬間。

 鉄球と巨大な氷が猛スピードで衝突したような音が鳴り響き、周囲の空気が振動した。

 叔父さんからすばやく離れ、驚いた顔で自分の右手を見るリリィ。

 人工皮革の樹脂がはじけ飛び、むき出しになった金属の手首が変な方向に曲がっていた。

 リリィがバックステップで間合いを取るなんて、はじめて見る。

 いつもは相手の攻撃を、コンニャクみたいな動きで挑発するように見切ってるのに。


「相打ちでもこちらが不利とは……。戦法を変える必要があるか」


 うめくような声で叔父さんが言った。叔父さんの右腕は、肘の辺りまでスーツに血が滲み、よく見ると骨が飛び出していた。


「やるじゃないですか。骨格まで損傷したことなんて、生まれてはじめてですよ。ずいぶんと耐久力が上がったようですね」


 リリィが折れた右手首を顔の前に掲げ、ぷらぷらと細かく振る。気持ち悪いからやめろ。


「ふ、蹴りが来るとわかっていれば我慢もできる。機械には我慢と言う感覚がないだろうがな」


 お互いの右手がグチャグチャになっている。叔父さんは相打ちだと言った。

 そうか、叔父さんは打ちおろされるリリィの右拳に、自分の右アッパーを合わせたんだ。

 リリィの前蹴りでダメージを食らったように見せかけ、速いアッパーを出すために体勢を前屈させた。

 フィニッシュ攻撃へ移行したリリィには、叔父さんの高速アッパーを避けきるだけの余裕がなかったんだな。


「で、どうします? 私は続けても構いませんけど、そちらは早めに治療したほうがいいのではないですか」


 リリィが挑発したような口調で叔父さんに言った。あくまでも、自分優位でないと気がすまないらしい。

 でも、実際これは……。

 叔父さんがどれだけ規格外生命体だとしても、大怪我の範疇だ。

 母さんに連絡を取って治してもらう必要があるんじゃないだろうか。


「釈然としないが、今回も私の負けでいいだろう。腕のことなら心配いらんよ」


 平然とそう言ってのけた叔父さんは、無事だった左手の手刀で――自分の傷ついた右腕を切り落とした。

 ズタズタになったスーツの袖を絡ませた叔父さんの右腕が、ごろんと地に落ちて赤黒い血液の水溜りを作る。

 そして、肘から下を喪失したはずの叔父さんに、新しい手が生えてきた。

 いや、手じゃなかった。

 あれは食卓でもよく見る、ぬめった肌と白い肉を持った、塩茹ですると美味しいヤツ。

 タコの足、いわゆる触手が叔父さんの右腕に生えていた。

 中途半端に三本に分かれている。

 収縮する吸盤の動きが生々しい。


「むむ? 何か変なものが生えてしまったな。再生能力はいまいち使いこなすのが難しい。姉さんも一体、どんな動物の因子を私に組み込んでいるのやら……」


 いや、どう考えてもタコだろう! 

 この叔父さんはどこからどこまでが人間なんだ?

 遺伝子からすでに違う生き物になってるんじゃないか?


「あら、手が四本になりましたね。それなら私に勝てるかもしれませんよ?」


 何故か楽しそうな顔で、叔父さんの腕から伸びる三本の触手を眺めるリリィ。

 夕食のおかずにでもする気か。いくら美味しそうでも、僕は肉親の腕を食いたくはないぞ。

 目の前にいるのが僕の叔父さんなのかどうか、自信がなくなってきたけど。


「いや、再生をすると猛烈に腹が減り、貧血気味になるのでね、今日は失礼させてもらおう。アキラくん、邪魔をしたな」


 叔父さんが葉巻をくわえ、悠然と歩き去る。別れの挨拶に振った手がウネウネしている。僕も貧血になりそうだ。


「そう言わずに、第二ラウンドと行きましょうよ! そんな、そんな素敵な触手をちらつかせて、このまま帰るなんて許しません!」


 陽気な宣戦布告とともに、リリィの飛び蹴りが叔父さんに襲い掛かる。

 リリィにしては不用意な攻撃で、叔父さんは難なく避けることができた。


「私は疲れたと言っているだろう。勝負の続きならまた来週、体を治して付き合ってやる。君も折れた骨格を修理したまえ」


 単にじゃれ付いているだけのようなリリィの攻撃を、叔父さんは苦い顔で払いのけている。

 幻惑的に動く触手を見て、あれで遊びたいとでも思ったのだろうか。猫でもリリィより落ち着きがあるだろうに。


「ふふふ。逃がしませんよ……」


 リリィの目つきが危ない。でも叔父さんは逃げる気満々だ。叔父さんが本気で逃げればリリィは追いつけないだろう。

 なにせ叔父さんは水の上でも走れる。リリィは強度を優先させた結果、重さで水に沈む仕様になってるからな。川を渡れば一瞬だ。


「……な、なんだ? 腕がっ」


 後ずさりながらリリィから離れようとしている叔父さんに、驚きの色が浮かんだ。

 そして、叔父さんの右腕から生えている三本の触手が、ビチビチと暴れ回りながらリリィの肢体に伸びて行った。

 叔父さん、帰るんじゃなかったのかな。相手をしてもリリィが楽しいだけだろうに。


「くっ、帰る振りをして、手負いの私に対してそんな切り札を使うなんて、紳士然としている割に策士ですね、真空のアルバート!」


 のたうつ触手に囲まれて、芝居モードに突入するリリィ。何かおかしい。


「な、なんのことだ。何故私の手が勝手に動くのだ」


 触手の一本がリリィの足首に絡みついて、螺旋階段のように太ももまで這い登る。

 もう一本の触手は、故障していないリリィの左手首を捕らえている。 

 そして、最後の一本がリリィの胸元に進入し、ノースリーブのミニスカエプロンドレスを、力任せに引き裂いた。


「い、いやああっ! アキラ、見ないでっ!」


 見ねーよ。

 今さら見ても、別に面白くないし。

 何より、いっつも自分から見せて来るんだろうが。頼みもしないのに。


「叔父さーん……叔父さんって、そう言う趣味の人だったんだ」


 僕は湿った目つきで叔父さんを見る。気取った割りにちょっと抜けてる、憎めない叔父さんだと思っていたのに。


「ち、違うぞアキラくん、誤解だ! 英国紳士たる私がこんな、こんな」

「や、やあっ……。そんな太いの、らめえっ。ウニュウニュしてるう……!」


 ええい雑音がうるさい、このポンコツ。

 馬鹿馬鹿しいのでチラッとしか見ずに確認する。

 叔父さんの触手はリリィの体にすっかりまとわりつき、破れた服の隙間と言う隙間に侵入していた。


「こ、こんな、日の高いうちから外でなんて……。アキラにしか見せたことないのにっ!」


 僕はいつも、見たくて見てるわけじゃないのにっ。

 でも、叔父さんを信頼している僕としては、叔父さんがこんなアホな攻撃をリリィに仕掛けるとは思いたくない。

 叔父さんの右腕が暴走しているのかな。

 こんな方向性で力が勝手に暴走する右腕。

 怖いんだか怖くないんだか。

 その可能性も低いと結論付けた僕は、やはりリリィを疑うことにした。

 叔父さんの触手を見てから、言動がなにやらおかしかったからな。

 案の定、僕は違和感にすぐ気付いた。山の中でのんびり暮らしているからか、リリィほどじゃないにしろ目は良いのだ。


「叔父さん、腕にリリィの髪の毛が刺さってる」

「なに、どういうことだ?」


 おそらく、リリィが叔父さんにじゃれ付いていたときに刺したんだろう。

 つくづく器用な奴だ。手品師にでもなれば良い。

 叔父さんが目を凝らして、勝手に動く自分の腕を見た。

 その付け根にリリィの頭から伸びた髪が数本、刺さっていた。


「リリィは、髪から微電流を流して他の機械を操ったりできるんです。まさか生き物まで自在に操れるとは思わなかった」


 よく考えたら、動物も植物も電気信号で活動してるんだよな。

 放心したように、触手を操っているであろう髪の毛と、自作自演で喘いでいるリリィを見比べる叔父さん。

 それも無理はない。この機能を使っていれば、はなから叔父さんとリリィは勝負になっていないのだ。


「ハアハア……。こ、こんなのはじめて。アキラもこっちに来て、一緒に楽しみましょうよ……」


 こっちもこっちで放心していた。もちろん相手にしない。頭が悪くなる。


「最初から、手を抜かれていたと言うことか。この四年間ずっと」


 力なく言った叔父さんは、手刀でタコ腕を切り落とし、とぼとぼと帰路についた。

 それでも動き続ける触手と、一人で楽しんでいるリリィを置いて僕は叔父さんの後を追った。追いつくだろうか。

 奥多摩で自殺でもされたらかなわない。まさか青木ヶ原の樹海に向かわないだろうな。

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