四。引き続き回想のリリィVSアルバート叔父さん。

 叔父さんは、居間の座布団にあぐらをかいて僕の目覚めを待っていたようだ。

 リリィが出したのだろうか、湯のみ茶碗でコーヒーを飲んでいる。


「やあアキラくん、久しぶりだね。大きくなったな。もう十四歳だったか」


 思い返せば、四年前からこの叔父さんはこんなことを言っているのか。

 でも、このときは本当に会うのが久しぶりだった。


「こんにちは、アルバート叔父さん。本当にお久しぶりですね。お休みが取れたんですか?」

「ああ、姉さんも復帰したお陰でね。もっとも、あさってにはまた研究所に戻らねばならんが」


 やれやれといった表情で首を振る叔父さん。いつも身だしなみがピシっとしているので疲れを感じさせないけど、やっぱり大変な仕事なんだろう。

 

 叔父さんの仕事は、父さんや母さんの仕事にも関連している。

 僕が生まれてからというもの、母さんは僕に掛かりきりだったので、叔父さんにそのしわ寄せが回っていたらしい。

 だから親戚同士で近くに住んでいるとはいえ、めったに会うことがなかったのだ。

 ちなみにその仕事と言うのは、破壊された地球環境の回復や調査。

 父さんは機械の力で、母さんはバイオの力で、死の星となった地球を一生懸命、青緑の宝石に蘇らせる仕事をしているのだ。

 叔父さんは母さんと同じ部署でそれらの土地の調査をしているんだけど、その調査方法がすごい。

 サンプルとなる土地に一人だけ取り残されて、過酷なサバイバル生活を行なうのだ。

 食料となる動植物は存在しているか、水や酸素は十分か、土壌や水質は汚染されてないか、変な菌とか虫が大量発生してないか、などなど。


「アルバートが生きていけないような土地は、どんな人間でも生きていけないわ。哺乳類全般でも無理かしらね」


 とは母さんの言。

 父さんも探査機を大量に飛ばしてるけど、機械がもたらすデータや映像だけではわからない何かがある……と母さんは思っているようで、現場主義、実戦主義を貫いている。

 僕には難しいことはわからない。科学者夫婦の子供ではあるけど、僕は科学者志望じゃないのでそっち方面は明るくないのだ。

 土地の調査以上に、人間はどこまで強くなれるのかと言う、生命力への挑戦みたいなテーマを感じるけど。

 そのために実の弟の体を、もともとの素材がどこにあるのかと言うくらい、切ったり繋げたり薬を飲ませたり加熱したり加圧したり。


「まあ、やりすぎて死んでも、生き返らせるからいいのよ」


 母さんはいつだかそう言っていた。僕は冗談だと思って笑ってたけど、今考えるとそら寒いものがある。

 叔父さんは、自殺を考えたことがある、のではなく、本当に自殺したのかもしれない。

 そして母さんが怪しい手術で蘇生させて……。

 考えたら怖くなってきたのでこの辺でやめよう。


 百年以上前、人類は地球の居心地が悪くなるや否や、そろいもそろって宇宙に飛び出した。

 地球を直すより、他の星に移ったほうが安上がりだ、というのが理由らしい。

 居心地が悪くなった理由は、戦争とか環境汚染とか隕石とか色々。

 他の星に降りた人類は、宇宙港を建設し、シェルターで覆われた街を作った。それらは外星系植民地とか外星自治区とか呼ばれた。

 でもやっぱり地球に帰りたい。放射能やおかしな細菌や地殻変動と不都合な電磁波を、科学の力で克服して地球に住みたい。

 そう思った人たちが知恵とお金を出し合い、母星復興財団という組織を作った。

 母さんも父さんもアルバート叔父さんも、その財団に所属している研究員だ。

 他にも色んな人がいて、莫大な技術と資材、人員を地球復興に投入している。

 その甲斐あってか、太平洋の周辺地域にはなんとか緑が戻りつつある。

 海洋生物も増えて、僕たちがごはんのおかずに鮭を食べるくらいには困らない。

 住んでいる人間の数が少ないからね。

 それ以外の地域はほとんどが砂漠や岩山、凍土、クレーター、そして強酸性の海原だけど。

 環太平洋フィルターの外海は、常人ならコップ一杯飲んだだけで死ぬほどすごい水らしい。

 叔父さんは自分が死ぬまでに、イングランドやスコットランドの地に緑を戻したいそうだ。

 そこで、復興後初となる、ロンドンのジンやスコッチウイスキーを造りたいと言っていた。

 でも、地球に人間が戻って、昔と同じことを繰り返したら。

 やっぱり自然がたくさん破壊されるんだろうな。ご飯がまずくなるんだろうな。


 叔父さんは湯飲みの底に残ったコーヒーを飲み干し、ここに来た要件を僕に告げた。


「久しぶりの再会なので、私としてもアキラくんと他愛のない世間話を楽しみたいんだが。ここに来たのは姉さんから連絡を受けてのことでね」

「はあ、母さんが」

「うむ、ひどく動転していた。おかしなロボットにアキラくんがダメにされる、などとね。先ほどコーヒーを淹れてくれた彼女のことだろうか?」


 気が付くと、開いた障子の脇にリリィがちょこんと立っていた。

 昨日以来ずっと続けていた、リリィの持ち味である朗らかな笑顔は微塵も見えない。

 まさにロボットのような無表情で、叔父さんを観察しているかのようだ。

 叔父さんはその様子を怪訝そうな顔で眺めている。

 僕の見解が正しければ、リリィと叔父さんはガンを飛ばし合っている。

 初対面で、片方は英国紳士を気取る、キザだけれど人のいい叔父さん。

 もう片方は人間に奉仕するメイドロボット。

 なのに、なんだか険悪な雰囲気だぞ。


「そのロボットに、アキラくんがひどい目に遇わされていると言うのなら、スクラップにしても構わないので家から叩き出せ。姉さんにはそう言われている」

「え、その、スクラップは、ちょっと待ったほうが。高かったらしいし、父さんも可哀そうだし」


 いきなり物騒な話になり、ついていけない僕はしどろもどろになった。

 確かに変なロボットだけど、役に立たないと決まったわけではない。

 行動に問題があるならAIの設定を調整しなおすとか、いくらでも道はあるんじゃないかと思ったのだ。

 氷のような存在感を保っていたリリィが、スクラップという言葉に反応したのか、キッと叔父さんをにらみつけて言った。


「玉田アルバート三郎がどれほどのものかは知りませんが、たかだか強化人間ごときに鉄屑にされる私ではありません」


 その一言が叔父さんの逆鱗に触れた。英国紳士を自称する叔父さんは自分のフルネームを嫌っている。


「エレガントではない」


 嫌う理由はただそれだけで、呼ばれると血液が一気に頭に昇るのだ。


「……私をフルネームで呼ぶな。音声発信の機能を丸ごと潰してくれるぞ、ポンコツめ」

「あら、私に喧嘩を売るのは結構ですけど、潰れるのはあなたの玉ですよ。アルバート玉三郎様。あなたの戦闘能力はデータベースで確認済みです」


 叔父さんの筋肉が盛り上がり、スーツの上着が音を立てて裂けた。

 口元からは肉食獣を思わせる尖った犬歯がのぞき、顔色は不動明王のように真っ赤になった。

 本気で怒った叔父さんをはじめて見た僕は腰を抜かし、声を出すことも出来ない。

 カチカチと音を立てる自分の歯がうるさかった。


「表に出ろ、解体する前に君の名前を確認しておこうか。ナントカ百式だか、Z(ゼータ)だったかな」

「リリィです。アキラが昨日の夜に与えてくれた、私の素敵な名前。あなたにとってはこれから毎晩、悪夢とともに思い出す名前になるでしょう」

「リリィ嬢、一日だけでも、主人との得がたい絆を紡げて本望だろう。アキラくんは気にせず朝食を済ませたまえ。彼女が作る最期の朝食だ、せいぜい味わって食べるが良い」


 背中から溢れんばかりの殺気を発散させて、叔父さんは玄関へ向かった。

 リリィもそれに続いて歩き出し―――いや走り出し、叔父さんの背中にミサイルのようなドロップキックを不意打ちで食らわせた。


「ちにゃ!」 


 不意を突かれた叔父さんが、形容しがたい悲鳴を上げて玄関の外へ豪快に吹っ飛ぶ。


「きっ、貴様、卑怯だたわばっ!」 


 体勢を立て直しながらリリィを責める叔父さんのみぞおちに、リリィの無慈悲な爪先蹴りが埋め込まれる。

 叔父さんの体は高さ二メートルほどの放物線を描いて地面に落ちた。

 今度は言葉も発しなかった。

 かろうじてピクピク動いてはいる。


「ふん、口ほどにもありませんね。あまりにあっけなくて玉を潰すのを忘れてました」


 そう言って、絶句しっぱなしの僕に微笑みかけるリリィ。

 コメントのしようがない。むしろ逃げ出したい。動けないけど。

 硬直した僕を解き放ってくれたのは、父さんからの通信だった。

 我に返って携帯端末からの声に応答する。


『おおーアキラー、アルバートくんがそっちに行ってないかー?』

「う、うん、来た」

『そうかー、メイドロボをぶっ壊しに来たんだろ? どっちが勝つのか父さんも興味あるから、お互い本気でやれと伝えてくれるかー』

「アルバート叔父さん、ほ、本気で怒ってた」

『ん~? 過去形だな。もう終わったのか? モニターしておいて欲しかったなー。どっちが勝ったんだ?』

「リリィ、いやあの、ロボットの方が」

『やっぱりかあ! 父さんの調整と改造は完璧だなー。リリィって名前にしたのか。お、玄関から外に出てやらかしたんだな、衛星が画像を拾ってたわ』


 父さんは僕と通信しながら、リリィがいかにして叔父さんを倒したのかを衛星からの画像で確認しているのだろう。ゲラゲラと大声で笑っていた。


「アキラ、朝食にしましょう。このマーマレードは、私が煮たんですよ、愛情を込めて……」


 氷の無表情を溶かし、太陽の微笑みに変わるリリィ。

 どっちの顔も美しくて、怖かった。 


 虫の息だった叔父さんは、リリィに背負われてベイサイドまで送り届けられた。

「途中、何度も多摩川に捨ててこようかと思いました。アキラの頼みだからやったんですよ。ご褒美のキスはまだですか?」


 父さん、どうにかしてくれよこのメイド。

 むしろ父さんがどうにかしたせいで、こんな風になったんだろうけど。


「油断するからあんなふざけたロボットに負けるのよ! 姉さんがしてやった改造をなんだと思ってるの! 勝つまでやりなさいよ勝つまで!」


 傷が癒えてから、叔父さんはそんな事を母さんに言われたらしい。やっぱりその時も自殺を考えたのだろうか。

 かくして、リリィを追い出す、あるいは懲らしめて僕の私生活が淫らにならないようにするという項目が、アルバート叔父さんの日課に加わったのだ。

 自分の仕事もあるのに、毎週金曜日か土曜日にうちに来て、リリィにコテンパンにされて貴重な休みを浪費している。

 もちろんそのお互いの背後には、ロボットVSバイオという、父さんと母さん二人の科学者魂がドスンと乗っかっている。


「あんなに卑劣な手段で敗れた屈辱は、たとえ姉さんの命令がなくとも晴らさねばならんからね。英国は騎士の国でもあるのだよ。リチャード獅子心王という中世の英雄を知っているかな」


 いつしかアルバート叔父さん本人まで、そんな事を言い出すようになった。

 僕に気を遣わせないために言ってるのかと思いきや、どうやら本気らしい。

 でも、もう片方の当事者であるリリィはどうだろう。

 一方的に挑戦されるだけで、リリィの側にはおじさんと戦う理由なんてないはずだ。

 父さんがリリィに戦えと命令しているなら、リリィはそれに逆らえない。

 何より彼女自身の自己保存原則もある。

 それでも、僕には納得できないことがあった。

 リリィは望んでないのにこんな戦いを強いられているんじゃないかと。

 ロボット相手だと言うのに心配になった僕は、一度思い切って聞いてみた。


「心配いりませんよ、アキラ。旦那様の指示もありますけど、私は私の意志であの人を返り討ちにしてます」

「どうしてだよ、叔父さんは普段はすごく良い人なんだ。リリィも僕のメイドなら、叔父さんと仲良くしてよ」


 僕がそう言うと、リリィは急に悲しそうな目つきで僕を見た。まるで泣きそうな顔だ。


「それは、主人としての、メイドに対する命令ですか?」

「命令なんて、そんな大げさなものじゃないけど、仲良くしてくれた方が嬉しいじゃないか。第一、喧嘩する意味がないよ」

「私、あの人が嫌いなんです。はじめて見たときから」


 何を言い出すんだこいつ。

 でもたしかに初対決の日から、二人は意味もなく険悪だった。

 叔父さんは母さんに言われた印象を持って、リリィを見に来たから嫌うのはわかる。

 最初からリリィを胡散臭いと思っていたんだろう。

 でもリリィにとっては、叔父さんは単なる「主人の親戚」でしかないのに。


「だってアキラ、あの人と話している時、楽しそうでした。礼儀正しく振舞ってるのに、緊張してなくて。尊敬や憧れのまなざしで見ていて……」

「そりゃ、親戚の叔父さんだし、特にあの日は久しぶりだったから当然だろ。叔父さんは昔から優しくてかっこよくて」

「イヤ! アキラの口からそんな言葉、聞きたくないんです! 旦那様と奥様がいない今、アキラにとっては私がすべて、私にとってはアキラがすべて。そうでなきゃイヤなんです!」


 こいつ、ぶっ壊れてるんじゃないだろうか。

 そうじゃなくても、ぶっ壊した方がいいような気がする。

 相手がロボットなのでこんなまとめ方も心苦しいけど、リリィは嫉妬の情念で叔父さんを痛めつけてるのだ。


「ふふふ、あの金玉三郎が弱虫の能無しだってことを、アキラの前で繰り返し見せつけてあげます。そうすればアキラは金玉に愛想を尽かして、私への思いを熱く燃え上がらせるでしょ」


 危険な笑みを浮かべてリリィはそうつぶやく。

 断言するけど、そんな事はまったくありえない。第一、そう言う次元の話じゃない。

 なにより、いつの間にかアルバート叔父さんが金玉扱いされている。そこが一番悲しかった。僕の叔父だぞ……。

 父さんにあるのは、大金をかけた美少女ロボットに抱く男のロマン。そしてロボット学者としての好奇心。

 母さんの心には、僕の教育方針と、バイオ学者としてのプライド。

 叔父さんには、卑劣な手段で負けたぬぐいがたい屈辱と、母さんへの服従。

 そしてリリィには自己保存の原則に加え、僕が好意を持つものへの無差別嫉妬。

 四者四様の思惑が、まさしくがっぷり四つに噛みあって、果てることのない戦いの歴史は幕を開けたのだ。

 そして、これから長く紡がれていくのである。

 すべての元凶はリリィを購入、改造、調整した父さんだけどね、どう考えても。

 どういう思惑があってリリィをあんな風にしたのか。父さんに聞いたところ、次のような答えが返ってきた。


「人格AIは既存のプログラムをごちゃ混ぜにして適当に作ったんだー。アキラと仲良くする、アキラを守る、私の命令に従う、それくらいで十分だろうと思ってなー。自律学習機能があるからからなんとかなるだろー」


 学習AIの情報獲得傾向も、結局は機械を操る人間次第だということを知らない父さんではないはずである。

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