三。回想のリリィと僕の両親。

「アキラちゃんも大きくなったことだし、ママも仕事に復帰しようかしら」


 事の発端は母さんの一言だった。多摩の家で僕と暮らしていた母さんが、仕事を再開しようと思い立ったのだ。

 僕が十四歳の時だったと思う。だから今から四年くらい前の話だ。


「母さん、いつまでも僕をちゃん付けで呼ぶのやめてよ。みっともないじゃないか」

「どんなに大きくなったって、親にとってはいつまでも子供なのよ。でも、そうなるとアキラちゃんが一人になっちゃうわよねえ」

「何とかなると思うよ。勉強は情報端末でできるし、必要なものは送ってくれればいいし」


 一人暮らしに憧れていた僕は母さんの提案を聞き、不安よりも期待で胸がいっぱいだった。

 母さんや父さんが大事な仕事をしているという事も理解していたので、母さんの職場復帰には大いに賛成だ。


「そうねえ。パパに相談してみるわ。心配なのは、アキラちゃんを一人にしたら、だらしない生活をするんじゃないかってことなのよね」


 そこを突かれると弱い。だらしない生活を送る自信はたっぷりある。朝から晩までお菓子をかじって動画あさりだ。

 母さんはその夜、端末を通して父さんと話し合い、家事ロボを買うと言う結論を出した。

 僕の暮らしぶりがメチャクチャにならないように。

 購入の手続きや初期設定は父さんがやると言うので、僕と母さんは家で待つだけ。

 ロボットのことは父さんに任せておけば良い。なにせ専門家だから、間違いはないはずだ。

 その間に母さんは職場に復帰する準備を進めて、僕は一人暮らしの楽しみを鼻歌交じりに想像していた。

 単純な機能しか持たない家事ロボがやって来て、家の中の様子を定期的に録画保存し、父さんや母さんにデータ送信する。

 それを見た母さんが、やれ部屋を片付けろとか、お菓子ばっかり食べるなとか、仕事先から小言を言うのだろう。

 せいぜいそんな程度だろうな、と僕はたかをくくっていた。安物ロボットなんか、いくらでも出し抜けるさ。

 一人になった初日はまず真っ先に、名作と名高いマフィア映画のシリーズを全作ぶっ続けで見よう、とか考えていた気がする。

 さて、問題の商品が納入される日、久しぶりに父さんも家に帰ってきた。

 商品が届けば、そのまま母さんを連れて仕事に戻る段取りだ。


「アキラの一人暮らし記念日だ、仕事どころじゃないだろ。父さんからの豪華なプレゼントもあるしな!」


 昔から明るい父さんだったけど、その日はいつにも増してテンションが高く見えた。


「豪華なプレゼントだなんて、パパも大げさねえ。でもアキラちゃん、大事に使うのよ。ふざけて蹴っ飛ばしたりしちゃダメよ」

「ロボット相手にそんなことしないよ。僕の足が痛くなるだけだし」


 そんな話をしていると、配送業者の小型浮遊機、要するに空飛ぶ箱が見え。

 我が家の庭に、降り立たなかった。

 僕達の真上、はるか上空で停滞してる。


「なんだろう。自動操縦なのに降りるのに手間取ってるのかな。そんなに狭い庭じゃないぞ」


 僕がそう思いながら浮遊機を見ていると、荷物格納部分の扉が開き、中から一つの影が落ちてきた。

 地上に近付くにつれ、それが人間の姿をしていることがわかる。

 しかも、何度も伸身宙返りしながら落ちてきてる。ひねりまで入れて。

 テレマークの着地を決め、その人物は勝ち誇ったような笑みで長い髪をかきあげる。

 長袖ロングスカートのメイド服を着た、超がつくほどの美少女がそこにいた。


「はじめまして、旦那様、奥様、そして私がお仕えするご主人、アキラ様。百合亜ver.100グローバルと申します。私のような者をお買い上げいただき、まことにありがとうございます」


 唖然とする僕と母さん。誇らしげに笑う父さん。

 自己紹介に続き、メイド服を着た百合亜と名乗る美少女が口を開いた。


「とまあ、堅苦しい挨拶はこの辺で。あなたがアキラね。旦那様に入力された通り、いえそれ以上にとっても素敵……」


 眩しいものを見るような目つきで僕を眺め、歩み寄って手を握ってくる。体温はあるけど、汗の感触がまったくない。


「あ、ああ、うん、よろしく。え、父さん、これがひょっとして家事ロボットの」

「これ、だなんて言われたら悲しいです。私は、アキラに愛と平和を約束するバトルメイドロイド」


 顔が密着しそうな距離で彼女はそう囁き、強引に僕を家の中に引っ張りこもうとする。


「おい、何するんだ、離せってば。怖いよ、何か目がマジなんだけど」

「ああ、何て立派なお屋敷かしら。ここが、アキラと私の愛の砦になるのね。大丈夫、愛と平和がどんなものかは、私が全部教えてあげます。そう、全部……」

「ちょ、ちょっと、父さん、母さん、助けー」


 ヘルプを叫ぶ僕の口が、彼女の唇に強引にふさがれたとき、母さんがその場に卒倒する音が聞こえた。


「アキラー、せいぜいうまくやれよー。あとでどんな感じだったか父さんに報告してくれー! おい母さん、寝てないで仕事に行くぞ。もう母さんが復帰する段取りを組んじゃってるからな」


 ノビてる母さんとその荷物を自家用浮遊車に詰め込み、父さんは仕事へ戻って行った。


 ロボットに奪われたのは何とかファーストキスだけ。

 その日は一日中、家の中と外を逃げ回り、クタクタになった僕は観念して居間に大の字になった。

 セクハラロボットが膝枕をしてくれる。髪まで優しく撫でてくれる。もうどうにでもしろ。愛と言う名の強制収容か。


「……お前、なんなんだよ一体。僕をどうしたいんだ」

「お前じゃありません。百合亜ver.100グローバルです」

「長いしややこしいよ。しかもそれ、商品名だろ。タグがついたままだぞ……」


 納入したてだからか、商品識別のタグペンダントが彼女の首に下がっていた。百合の花を刻印したエンブレムが見える。


「じゃあ、アキラが名前を付けてください。名付けられれば私は本当に、アキラのためだけのメイドになる実感がわきます」


 メイドかあ。これがメイドなのかなあ。

 違う気もするけど、なんだか疲れてどうでも良くなってきた。


「……百合だから、英語でリリィでいいな、名前」

「はい、ありがとうアキラ。可愛い名前を付けてくれて嬉しいです」


 リリィの膝の上で意識を失いかけた僕の耳に、携帯端末からの音声が届いた。母さんの叫び声だ。


『アキラちゃん! アキラちゃん聞こえる? 大丈夫なの? あのおかしなロボットに変なことされてないでしょうね?』


 無意味な追いかけっこをして死にそうだ。

 そう答えようとしたけど、喉も口もろくに動かない。

 母さんが騒ぐ後ろで、父さんの笑い声が聞こえた。何が起きても笑ってる人だな。


『おいおい、変なロボットはないだろう。家事もこなせて、危急のときにはボディガードにもなる。しかもこれだけ高度なAIなら、本当の人間同士のように友情まで育めるぞ。年頃の女の子がどういうものか、アキラに理解させるのにも最高だ』


 年頃の女の子の基準は、絶対にこんなんじゃない。

 父さんの女性観は相当歪んでいるんじゃないだろうか。


『何を考えてるの! あんないかがわしいロボットにアキラちゃんの世話を任せられるわけがないでしょ! 第一、あんなロボットを買うお金、一体どこにあったのよ!』


 うちはむしろ裕福な部類に入るけど、リリィみたいに高度な造りのロボットをポンと買えるほどではないと思う。


『いやー、秘密にしてたけどなあ、星間自治宝くじが当ってねえ。それをほとんど全額つぎこんだんだ。スペック強化や人格AIの調整も含めてねえ。男のロマンって奴だ、はっはっは』


 それからしばらくの間、端末越しに父さんと母さんは騒いでいたけど、僕は疲労と混乱のピークに達していたので、そのまま気を失ったようだ。

 次の日に目覚めたときの僕は、ちゃんとパジャマに着替え、自分の布団の中にいた。

 眠りが深かったからか、目覚めは驚くほど爽やかだった。

 体は筋肉痛に占拠されてたけど、それがむしろ心地よかった。

 前の日のことは夢か何かだったのかな、そうであって欲しいという期待は一秒で粉砕された。傍らでリリィが僕の寝顔を見つめていたからだ。


「おはようございますアキラ。もうお昼ですよ。よっぽど疲れてたんですね」


 三重まぶたの間から、夜の海を思わせる深い色の瞳が僕に微笑みかける。

 小鳥のような甘く細い声を発する唇は、さくらんぼを思わせる色と肉感を持っていた。


「寝てる間に、何か変なことしなかっただろうな」

「そんな野暮はしません。何より、反応がないと寂しいですから」


 少なくとも、ロボットを楽しませるリアクションをするために僕は生きてるわけじゃない。

 寝ぼけながらそんな事を考えていると、部屋の外から良い香りが漂ってきた。

 焼きたてのパン、そしてコーヒーの香りだ。

 僕の大好きなマーマレードまで。おかしいな。買い置きは切らしていたはずだけど。


「食事の準備は出来ていますよ。お客様もいらしてます。ご親戚の玉田様ですね」

「アルバート叔父さんが? 珍しいな、何の用だろう」


 リリィのことは後で考えよう。父さんと母さんも話し合ってるだろう。

 僕はそう割り切って叔父さんを迎えるため、着替えて顔を洗った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る