第二章 9

 雨季の祭りは、砂漠では重要な位置づけをされている。

 碧水族が中心になって行うこの祭りは、ヴュステ中のありとあらゆる村や街から人々が首都に集まってきて、神殿に籠もって祭祀を執り行う。

 碧水族の長と王妃は特別な青い衣を纏い、王妃が決められた祭具を持って舞を舞って、水の神に一年の水の恵みを乞うのだ。

 厳かな雰囲気のなか祝詞が唱えられ、水の神に奉納が終わると儀式は終わる。

 そしてみなで紙吹雪を浴びて竜の形を模した餅を食べながら神殿を後にするのだ。

 ティーアもその餅を巫女たちと共に食べた。

「なぜお餅なのですか」

「起源はわかっていませんが、豊穣を意味するからだといわれています」

 そういえば、王妃お付きの娘のなかに碧水族の者もいる。青みがかった肌を持つ水色の瞳を持つリエラという娘で、無口だが瞳にいつも瑞々しい光を讃えているのが気に入って側仕えにした。ティーアは祭祀の舞いの練習をいつも彼女と共にしていたものだ。

 雨季が終わると、いよいよ夏本番、花浅葱の月である。

 今月は王妃付きの侍女たちに踊りを教えようと思い立ち、ティーアは動きやすい恰好に着替えて広間に向かっていた。

 刺繍や縫い物は寒い時期に暖炉の前で、紅茶の淹れ方は春の日に庭で、掃除の方法は風のある日に、踊りは夏のさわやかな日に、花の活け方はその季節の花と共に。もっとも、砂漠では咲く花は限られているから、活ける花とてあるようでないようなものだ。

 ある暑い日、あまりの暑さにたまりかねて、国王は言った。

「たまらん暑さだ。こういう日は泳ぐに限る」

 そして中庭の池で泳ぐことを提案したのである。

「みなで泳ごう。王妃も来い」

 そして開口一番、着衣のまま池に飛び込んだのである。

「まあ陛下」

 それを見て、王妃付きの侍女たちも次々に池に飛び込んだ。兵士たちもそれに続いた。

「どうしたティーア。泳ぎが得意なのではなかったか」

 おいで、と言われ、ティーアは水に入った。水は冷たいが、この暑さでは気にならない。 潜ると、故郷でのことを思い出した。

「誰が一番長く潜っていられるか競争しよう」

 国王が言いだして、潜水となった。猫の目族の娘が一番に顔を出して、次に兵士の誰かが顔を出し、続々とみなが顔を出すなか、妃ひとりが出てこなかった。国王は大声で笑った。

「妃が一番だ」

 しばらくして、ティーアが出てきた。

「これはしたり。ティーア、見事だ。どれだけ潜っていたか、俺でもわからないぞ」

「アルトゥムではよくこうして泳いだものです」

「民もこんな日は街の側溝で泳いでいることだろう。側溝は池になっていて、底に灌木が沈んだりしていて水が冷たいんだ」

「砂漠の真ん中にあるのに水が豊かなのでございますね」

「元々は大きなオアシスだったのを、俺の先祖が首都にしたんだ。これだけ水量が豊富なら、首都に足りる街が築けるだろうと見込んだそうだ」

「賢いお方であられたのですね」

「まったくだ」

 俺とは大違いさ、とヴァリデスは笑って言った。その言葉とは裏腹に、民の彼への評判はすこぶるよい。若いのによくやっているし、難しい裁きもそつなくこなしている。今のところ塩の値段も安定しているし、不満はない。

 あとは跡継ぎがいれば万々歳だろうが、彼はまだ二十歳だ。それは望みすぎというものだろう。

 ヴュステの専売は塩だが、暑いので果物もよく採れる。オレンジを代表格にザクロ、スイカ、アボカド、パイナップルなどが挙げられる。

 日差しの強いこの国では元々野菜栽培に適しておらず、ナツメヤシの木陰を利用して玉ねぎ、ネギ、ニンニク、胡瓜、瓜、テンサイ、カブ、チコリーやレタスが栽培されている。 飲料は冷暗所に素焼きの瓶に保存され、移動の際は革袋に移して携帯した。瓶や革袋は少しずつ水分が滲み出てくる性質があり、滲み出た水分は乾燥した気候によって蒸発し、その気化熱で容器と中身を冷却した。

 季節は過ぎ、秋になった。

 フレイアはこの頃からある作業にとりかかっていた。ヴァリデスにものを尋ね、それを聞いてから、一心にそれに取り掛かっていたのである。

 あのお方のあの仏頂面が、どのようなお顔になるかしら? くすくすと笑いながら、フレイアは手を動かし続けている。

 ヴュステの秋は、彩が豊かだ。

 首都は、四つの色に分かれている。

 白い地区と、水色の地区と、緑の地区。

 それぞれ、砂の色と水の色と植物の色を模した色となっているのである。そして宮殿の青の色と、首都は四つの色で構成されているのだ。

 ティーアは初めてこの国に来た時に、その美しさに目を奪われたものだ。アルトゥムは四季折々様々な色があるが、ヴュステは四つの色しかない。それでも、ヴュステのほうがより美しいと思う。

 人心が美しいからであろうか、ふとそんなことを思う。

 最後の月、紺碧の月となった。

 その日は、一層寒さの厳しい日であった。

 どこを探してもいないので、人に聞いて回っていたら宰相の執務室にいるというので、フレイアはゲオルグを訪ねていった。

「貴女でしたか。どうしました」

 彼は書類を見ている真っ最中であった。

「お仕事中なのに申し訳ありません」

 フレイアは笑顔でなかに入った。

「でもどうしても今日中にこれをお渡ししたくて」

「なんです」

 はいこれ、と渡されたそれは、幅広の絹の帯革であった。よく見ると、刺繍が施されていた。

「――」

 呆気にとられて見ていると、

「そのお顔は、やっばりお忘れですね。今日、命名日でしょう」

 とフレイアは長身の彼を見上げて笑顔で言った。

 言われてみて思い返せば、そういえばそうだったとようやく気がつく。命名日など、毎日の内の一日に過ぎない。忘れていた。

「いつもよくしてくださるから、お礼に」

「――あなたが縫ったのですか」

 ええ、フレイアは笑顔になった。

「よかったらお使いになってください」

 ゲオルグはそのなめらかな表面に指をすべらせた。植物の刺繍がされている。

「肌身離さず使います」

「よかった」

 じゃあ、とフレイアは仕事の邪魔をしたことを詫びて執務室を出て行った。ゲオルグはその背中をしばらく呆然と見つめていた。



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