第一章 14
すべてを聞いて、国王は沈痛な面持ちで寝室から出てきた。
「陛下」
数週間ぶりに彼が寝所から出てきたので、ゲオルグが顔を上げてそれを迎えた。
「そのお顔は、妃殿下がお目覚めですか」
「困ったことになった」
「は……」
「緊急会議を開く。長たちを集めろ」
そして集まった側近たちが王から話を聞いてみれば、それは驚くべき内容であった。
「……なんと」
「それは本当でございますか」
「もし真実であれば大変なことでございますぞ」
「事実だ。他ならぬ妃本人から聞いたのだ」
「ならばかの国からの強引な縁談話も納得がいこうというもの」
「なるほど……」
「そういう魂胆があったか」
「これはいかに」
「ううむ」
「由々しき問題ですぞ」
一同は難しい顔を並べて黙りこくった。問題は山積み、しかし解決策は今のところ、ないときている。頭が痛い案件であった。
「すぐに答えがでる争点ではない。みな心して考えておいてほしい」
国王はそう言い置いて解散を命じた。
中止していた謁見を再開しなければならなかった。裁判が山のように連なって彼を待ち構えていた。
年の瀬が近づき、年が明けて最初の月、白縹の月になっても、裁きは終わらなかった。 王妃の枕はまだ上がらず、彼女の助言を頼りにしていた国王は妃の復帰を心待ちにした。「王妃様……しっかりなさってください」
ある日フレイアが寝室を訪ねてティーアに言った。
「陛下は裁判の席で四苦八苦なされています。王妃様がいらっしゃらなくて、助言を求めるお相手がおられなくて困っておいでなのです」
「フレイアさん……」
ティーアは起き上がって力なく言った。
「そんなことは言わないでください。彼はあなたのものです。わたくしはもうすぐこの国を追放されます。あなたはこの国の王妃になるのです」
「なにを仰います。いいですか、陛下はあなたさまがさらわれて、国王である立場を捨ててゲオルグ様ただお一人を連れてあなたさまを探しに出られたのです。そしてあなたさまが戻られてからは、公務は寝室で執る、と仰って、あなたさまの枕頭から一歩も離れずにいらしたのです。お食事も、着替えも、すべてあなたさまのお側でされたのですよ」
「え……」
「そんなお方が、今更私などをどうしてお選びになるでしょう」
「――」
殿が?
信じられない気持ちがティーアを貫いた。
それを裏づけるかのように、夫は毎日公務の合間をぬうように寝所を訪れては自分の具合を聞きにやって来た。
「気分はどうだ?」
「少しは食べたか」
「今日は顔色がいいな」
「これを飲むといい。気持ちが晴れると聞いた」
そして毎晩寝る前に彼女にこう聞くのだ、
「俺に、なにかできることはあるか」
ティーアがなにもございませんとこたえると、そうか、とこたえ、そして彼女の横で眠る。とても、他の女の元へ行く気配などは見せる素振りはない。
そんな毎日だった。
あの日彼に打ち明けたことについて、ヴァリデスが特別自分になにかするでもなく、日々は過ぎている。追放されることも、処分される動きも、ない。
それを不思議に思いつつ、いつの間にかティーアは起き上がれるようになっていた。
「すっかり元気になったな」
ヴァリデスは満面の笑顔になってこれを歓迎した。
「嬉しく思うぞ」
「殿には、すっかりご迷惑をおかけし……」
「他人行儀なことを言うな」
また元のような毎日がやってこようとしていた。
なぜ自分は追放されないのだろう、あのことはどうなったのだろう、そう思っていたある晩、ヴァリデスはおもむろにティーアにこう言った。
「ティーア、例の一件だが」
「――例の?」
「お前が話してくれた、あの話だが」
「……はい」
「長たちと、ようやく話がまとまった」
「――」
来た――
拳を握った。
平和だと思っていたのは、自分だけだった。
水面下では、事がちゃんと動いていたのだ。話は、進んでいたのだ。
「はい」
「針はあるか」
「は……」
「針だ」
「……ございます」
「うん。それをな、指に刺してな、それで……」
「……ですが殿。そんなことをしてしまっては……」
「まあいいから。黙って言う通りにしろ」
「はあ……」
翌朝王妃の寝具を取り換えに来たお付きの侍女ヴェルジネは、そこに数滴の血がついていることに目ざとく気がついた。
ハッとして辺りに目を配ると、幸い誰も人影はいない。慌てて敷き布を丸めて籠に入れてしまうと、何事もなかったように部屋を出ていった。
その晩、自分の私室の机で手紙をしたためたヴェルジネは、廊下に出て周囲をきょろきょろと見回すと、鴉が飼われている場所まで出かけて行った。そしてその足環に手紙を忍ばせると、鴉を解き放とうと籠を開けた。
その手を掴んだ人影があった。
「とうとう捕まえたぞ」
ゲオルグであった。
「あっ……」
「お前だな? アルトゥムからの間者というのは」
「は、離しなさい。私は王妃様付きの侍女ですよ」
「そうはいかない。一緒に来てもらう」
ゲオルグに手首を掴まれ、ヴェルジネは引きずられるようにして国王の執務室に連れていかれた。
そこには数人の事情を知る長と、国王とシュタムとフレイア、そして王妃が待っていた。「侍女ヴェルジネ。王妃の信頼を盾にアルトゥムの間者となりベルトヒルト王に密通していたこと、許しがたいぞ」
「ごっ、誤解です! 私はただ……」
「ただ、なんだ。この書状が証拠だ。ゲオルグ、読め」
「は。『ベルトヒルト国王陛下 今朝方、確かに初夜の証拠掴みましてございます。これにて妹君はヴュステ国王と無事契りを結ばれたこと間違いなく、同国王が傀儡となるのも時間の問題かと思われます』」
「俺を傀儡にヴュステの塩の利権を手に入れんとするベルトヒルト王の野望はよくわかった。ゲオルグ、この女はまだ使える。牢屋に入れておけ」
「はっ」
「姫様、誤解でございます。お助け下さい。姫さ……」
悲鳴が廊下から聞こえてきた。ティーアはたまらず両手で耳を押さえた。信じていた、頼りきっていたお付きの侍女。故郷から連れてきた、友達のような存在。
それに裏切られて、なにを信じていいのかわからなかった。
「さて……」
ヴァリデスは横に控えていたシュタムに向き直った。
「お前はすべて知っていたようだな」
「はい。あの女は、いつも怪しい動きをしていましたから。今は国王ですが、当時のベルトヒルト王子としょっちゅう密会をしていて、それでいて姫様にべたべたしていて、なんだか油断ができないと思っていたものです。それで、なんとなく様子を伺っていたのです」
「そうか。ご苦労だった。下がってよい」
シュタムが下がっていき、執務室には長たちと国王とティーア、フレイアだけとなった。「王妃様、お気を落とされないでください。シュタム様と私がいます。私は王妃様を裏切ったりしません」
「フレイアさん……」
「ティーア、フレイアもこう言っている。虫に刺されたくらいに思って、あまり気に病むな。フレイア、俺はこれから長たちと話さねばならないことがある。ティーアを寝室まで送ってやってくれ」
「かしこまりました」
わたくしの処分は、とティーアがヴァリデスに尋ねる前に、フレイアに手を引かれて、ティーアは退室させられてしまった。その自然さたるや、風のようにゆるやかであった。「姫様、わたくしが寝所までお連れ致します」
シュタムが執務室の前で待っていて、ティーアを送っていくと告げた。その時、ちょうどヴェルジネを牢屋に連れていって戻ってきたゲオルグが戻ってきて、フレイアと行き会った。
「フレイア殿」
「ゲオルグ様」
フレイアは笑顔になった。ヴァリデスが王子の頃から彼の側近であるゲオルグであるから、当然フレイアとも顔馴染みである。
「妃殿下は」
「シュタム様が、送って行かれました」
「そうですか」
ゲオルグは執務室に入って行こうとして扉に手をかけ、そして少し考えて顔を上げた。
「……陛下が妃殿下を助けに城下に出向かれる時、私は陛下に聞きました」
「はい?」
「『助けるのがフレイア殿でも、同じことをなさいますか』と」
「――」
「あの背中は、どう見ても肯定なさっているようには見えませんでした」
フレイアは視線を下げた。
「陛下は、王妃様を大切になさっておいでですから……」
「私なら」
「――え?」
「……私なら、どんなことをしてでも貴女を助けに行ったでしょう」
「――」
失礼、と言い置いて、ゲオルグは執務室に入っていった。
廊下には、立ち尽くすフレイアのみが残された。
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