第二章 1
二番目の月、露草の月となった。
砂漠の冬は寒い。寒暖差が厳しいため、決して積もることはないが、雪も降る。
その日も暖炉に火を入れていると、雪がちらちらと落ちてきた。
「あ、雪でございます」
ティーアが白い息を吐きながら呟いた。
「この国に初めて来た頃は、なにゆえ暖炉があるのかと訝しく思ったものでございました」
ヴァリデスは愉快そうに声を上げて笑った。
「さもあろう。あの暑さだからな」
日中はそこまで寒くはないが、長袖を着る。大抵が毛織物ですませる砂漠の冬である。 近頃、首都を騒がせている事件があった。
婦女子を強姦して回る不届き者がいるというのである。
女を大事に扱うこの国としては、放っておけない由々しき事態である。
都を守る足長族以下、警邏する兵士たちは一層の警戒をもってして守備に当たった。そして翌月の浅縹の月になって、夜の警護に当たる猫の目族の者が夜道に女を背後から襲った咎である男を捕らえたとの一報が入り、その男を尋問したところ、連続強姦を白状したというわけだ。
男の出身はアルトゥム王国だということである。
すぐに裁判が行われた。
男はへらへらと笑いながら玉座の間に現れた。自分は外国の人間だから、赦されるか、罪は軽いものだと信じて疑っていないらしい。
「王妃様、あっしはあなた様のお国の出身でさ。ひとつ、寛大なお裁きをお願いしますよ」
縄を打たれて薄ら笑いを浮かべ、不敵にも王妃にそう述べる憎々しさは筆舌しがたいものがあった。それを見て、王妃ティーアがサッと青ざめた。
「生憎、ヴュステで起こった犯罪はヴュステで裁かれる。よってお前はヴュステの裁きを受けることになる」
国王は冷ややかに言い渡した。
「へ……」
「この国での強姦罪は簡単だ」
「ど、どうなるんで」
「宰相、この男が強姦した女の数は何名だ」
「は。十七名でございます」
「ではお前は十七回、棘の入った鞭で背中を打たれることになる」
「そ、それだけで」
「それで終わりではない。強姦罪は死刑と、相場が決まっている」
「しっ死刑?」
「そうだ。刑務官、死刑囚を地下牢に連れていけ」
「そんな! 女を犯しただけで死刑だなんて」
「アルトゥムではどうかは知らんがこの国ではそうだ。連れていけ」
「お助け……」
男が声にならない悲鳴を上げ、両手を掴まれて連行されていった。玉座の間は静寂に包まれた。
「陛下、ヴュステでは強姦は本当に死刑なのでございますか」
「そうだ。ゲオルグ、前回の強姦での死刑執行は何年前だ」
「は。記録によると五十六年前にございます」
「なにしろ方法が方法なのでそれくらい前なんだろうな」
「方法……で、ございますか?」
「ん? ああ、まあな」
「?」
「お前は知らずともよい」
言葉を濁して、ヴァリデスはとうとうその方法とやらを言わず、次の裁判へと移行してしまった。不思議に思ってゲオルグを見たが、素知らぬ顔をしているのみで、これまた教えてくれそうにもない。これでは、女官たちに聞くわけにはいかないし、フレイアに尋ねることもできない。
仕方がないので、シュタムに誰かに聞いてくるようこっそり頼んできてもらった。彼女は顔見知りの料理番の使い走りの、そのまた顔見知りの友人という男に聞いてきたらしい。
「聞いて参りました」
なんでもこの国の強姦罪というのは、まず男の一物を特別な刃物で切り落とし、三日三晩牢に入れて思う様苦しませておき、次に釘を全面に仕込んだ鉄の棒を赤くなるまで熱く焼いて肛門に差し込むのだという。だいたいの罪人は最初の刑のこともあって苦悶のうちにのたうちまわり、これがもとで死んでしまうという。
「死に方が残酷なのでこの国では滅多に強姦は起こらないのだそうでございます」
「まあ……」
どうりでヴァリデスが自分に言いたがらないはずである。
故郷では、せいぜい鞭で数回打って牢屋に数日放り込むだけだ。だから大して反省しないし、再犯率も高い。女が大切にされていないからだ。
最近、ヴァリデスは寝る前にティーアを抱き締めるようになった。彼を拒む理由らしき理由がなくなって、ティーアも以前のように拒否することができないでいる。
それでも、彼とフレイアとの仲を引き裂いてしまった罪悪感で、ヴァリデスを受け入れることができないティーアは、そっと身体を離すことしかできない。ヴァリデスも、そんな彼女に無理強いしたりしない。
ある晩、彼は我慢できなくなって、その白い顔に指を這わせ、唇を近づけようとした。「いけません」
ティーアは、それを拒んだ。
「くちづけは、だめです」
そんなことをしたら、殿のことを好きなことが殿にわかってしまう――くちづけをしたら、わかってしまうとものの本にあった。くちづけをしたら、わかってしまう。そうしたら、もう元には戻れなくなる。わたくしはそれが怖い。
「……だめなの?」
至近距離からヴァリデスが尋ねる。
「俺としては、このかわいい唇をかわいがってやりたいんだがなあ」
と自分の指でティーアの唇をふにふにといじりながら言うものだから、彼女は泣きそうになる。
「とにかくだめなんです」
「なあティーア」
ヴァリデスはやさしく語りかける。
「なにがだめなんだ」
「だめなものはだめなんです」
とうとう泣き出すティーアを見て、彼はため息をつく。
「泣かれては、いかんな。俺の負けだ。やめだやめだ。寝よう」
こうして夜が更けるのだ。
そうこうする内、四番目の月、
天色の月の二十一日は王妃カウルティーアの命名日である。
国を挙げての盛大な祝いが催された。
宮殿でも、宴が開かれた。十二氏族が集まって、賑やかなものになった。
薫香族がとっておきの香の物を贈り、猫の目族が踊りを踊り、緑人族が酒を誂え、鏨族が美しい首飾りを造って、楽しい時間はあっという間に過ぎた。
女官たちが輪になって踊り、ティーアも誘われてそれに加わった。
笑顔になって女たちと共に楽しげに踊るティーアを、酒を飲みながらヴァリデスはしみじみと見つめていた。
炎に照らされて、彼女は美しかった。
ティーアを見つめるその黒い瞳の熱っぽさに、彼女は気がつかなかった。
宴が終わって寝室に戻り、たまりかねたヴァリデスはティーアを抱き締めた。
「……殿?」
「ティーア」
そして熱烈に、その唇を奪った。
「……っ」
息をもつかせぬそのくちづけに、ティーアは戸惑った。うまく呼吸ができない。
いけない、こんなことをしては、知られてしまう、わたくしが殿を好きだということが、殿に知られてしまう。
ようやく身体が離れて、ティーアは自分の私室に逃げ出した。
そして一晩中、そこから出てくることはなかった。
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