第一章 13

 足長族は、首都の警邏や刑罰を担当する。自然、ならず者のたまり場所にも詳しくなる。「最近金に困っていてそれでいて大金が入ると吹聴している連中がいるはずだ」

「すでに配下の者たちに手配しています。投げ文には、明後日とありました。であるとしたら、今晩中には動きがあるでしょう」

 酒場でそれらしき動きに注意しながらさりげなく飲んでいると、次々に色々な姿恰好をした足長族の者たちがやってくる。こうして市井に潜り込んで日常の犯罪を見張るのも、彼らの重要な役割の一つだ。

 一人、また一人とやってきた配下の内の一人が囁いた情報の一つが気になったのか、ゲオルグが眉を寄せた。

「なんだ」

「ダイオンというばくち打ちが、近々大きな金が入るから大きな勝負をしたいと元締めに話していたことがわかりました。いつも五人組だそうです」

「誘拐にはもってこいの人数だな」

「多すぎず少なすぎず、金の山分けにはちょうどいい数です」

「そいつらを見張ってみよう」

 そこで配下の者に案内をさせると、城下の裏路地のそのまた裏路地のような場所に、ダイオンという男たちは住んでいるようである。ところが、このニ、三日は当の本人たちは留守にしていると近所の住人が言ったらしいのだ。

「なんでも、《獅子の谷》まで行くのにはどれくらい日にちがかかるのか、水はどれくらいいるのか水売りに尋ねていたそうでございます」

 配下の者がそう報告した。

「陛下」

「決まりだな」

 ヴァリデスは疾風のごとく動いた。

 ゲオルグと足長族を連れ、投げ文に記された刻限の五の刻に《獅子の谷》を取り巻き、一味を捕らえたのである。

 しかし、肝心の王妃カウルティーアはそこにはいなかった。

 国王の驚きと怒りと焦りは頂点に達した。

「ティーアはどこだ。どこにいる」

 賊の一味は厳しい刑罰を受けた。

 棘の埋め込まれた鞭で背中を打たれ、皮膚が裂け、肉が割れ、骨が露出しても、彼らは王妃の居場所を白状しなかった。拷問は続けられ、ありとあらゆる手段が講じられた。あの手この手で尋問が成されたが、賊の口は堅く、誰一人として口を割る者はいなかった。 二日が経ち、足長族の手段も策が尽きたかと思われた頃、痺れを切らしたヴァリデスが地下牢にやってきて剣を引き抜き賊の一人にこうせまった。

「妃の場所を言え。言わねば、お前の男のしるしをこの剣でもってして今すぐ切り落としてくれる。女も抱けぬ、小便もろくにできぬ身体にしてくれるぞ」

 低い、抑揚のない声が却って不気味だった。

 黒い切れ長の瞳が、本気の光を宿していた。

 それを見た賊の一人が、ひっ、と恐怖の声を漏らしたかと思うと、かすれた声である場所の名を告げた。

 ヴァリデスはゲオルグと配下の者たちを連れてその場所へ急行した。

 そして、半死半生のティーアを発見したのである。

 王妃の脱水症状はひどく、一時は生存も危ぶまれた。

 緑人族の長以下、腕利きの者がつきっきりで寝室に籠った。一週間の投薬が続けられ、ようやく様子が落ち着いても、ティーアの意識は戻らなかった。

「長……」

 寝室から出てきた長に、ヴァリデスは不安げに話しかけた。

「妃は、どうなるのだ」

「わかりませぬ。よほど恐ろしい目に遭われたのでしょう。意識が戻るかどうかは王妃様の生命力に賭けるしかありませぬ」

「――」

 その言葉に、ヴァリデスは決意したかのように顔を上げた。

「ゲオルグ」

「はい陛下」

「俺は今日から、寝室に詰める」

「は……」

「公務は寝室から執る。謁見は、取りやめだ。妃の意識が戻るまで、国王は一歩も部屋から出ない。そうお触れを出せ」

「しかし……」

「これは命令だ」

「――かしこまりました」

 ゲオルグが頭を下げ、ヴァリデスは寝室に入っていった。

 その日から、彼はティーアの枕元に座って彼女を見守って生活した。彼女の側で食事をし、彼女の傍らで書類を読み、彼女の横で政務を執り行った。

 女官たちは時に食べ物を持ち込み、時に着替えを運んで、その度に彼の献身ぶりに囁き合った。陛下、ひとときもお妃さまから目を離さないわ。一体どういうおつもりかしら。 フレイアも、それを見た。そして秘かに、自分の負けを認めていた。とうの昔に勝負はついていた。

 二週間が経って十二番目の月、紺碧の月になった。

「……」

 ヴァリデスは絶望的な思いで眠るティーアの瞼を見つめた。砂漠は冬になろうとしている。

 ティーア。お前に砂漠の冬を見せてやりたい。砂漠の冬は厳しい。決して積もることはないが、雪だって降るのだ。お前の故郷の冬はどうだ。

 ふと、ティーアの面を見た。なにか、変化があったような気がするが。いや、気のせいか。

「――」

 気のせいではない。瞼が、震えている。起きようとしているのだ。

「ティーア」

 そっと呼びかけた。

 妻は起きない。もう一度名を呼ぶと、長い間閉じていた瞼は糊でもつけたようにくっついていた。ティーア、もう一度呼んだ。

「……」

 緑の瞳が、自分を捉えた。

「……との……」

 かすれた声が、自分を呼んでいる。なつかしい、その声。

「やっと起きたな」

 知らず知らず、笑顔になった。ああ、俺をこんな気持ちにさせるのは、今やお前だけだ。「ここがわかるか」

 ティーアの目が、辺りをゆっくりと見回した。

「……寝所、でございますね」

 一体どうしたことでございましょう、彼女はゆっくりと言った。

「悪い夢でも見たのでしょうか」

「生憎夢ではない。お前はさらわれて……」

 ヴァリデスが事の経緯をじっくりと話すと、ティーアは額に手をやって思い出しているかのようだった。

「……そうでございました」

 夢ではなかった……彼女はそう呟いた。

「殿……」

「なんだ」

「囚われている間、ずっと考えていたことがございました」

「考えていたこと?」

「わたくしはこのままでは死んでしまうかもしれない、それでは真実は闇に葬られてしまう、そうなってはいけない、そう思っておりました」

「おいおい」

「そしてこうして助かった今、お話ししておかねばならないことがございます」

「まあ待て。お前は今疲れている。なにも今すぐでなくともよかろう。時期を見て……」「いいえ」

 病人とは思えないほど強い調子で、きっぱりとティーアは言った。

「今でなくては、ならないのでございます」

「――」

「そうすれば、殿はまた、フレイアさんと元のように添い遂げることができるでしょう」「……なにを」

「お聞きください」

 ティーアはすべてを覚悟の上で話し始めた。

 そうすれば、ヴァリデスはフレイアの元へ行ってしまうこと、ヴュステは戦火に包まれるであろうこと、自分は追放されるであろうことをすべて承知の上でのことであった。


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