第一章 12

「陛下」

 ゲオルグが国王の私室に行くと、ヴァリデスはちょうど着替えの真っ最中であった。

「……なにをしておいでで」

「見てわからんか。着替えだ」

「それはわかりますが……解せませんのはその服装です」

「なにが解せん」

「まるで、城下にお忍びで行かれるかのような」

「その通りだ。忍びで行くのだ」

「なぜです」

「ティーアを助けに行く」

 これにはさすがのゲオルグも慌てた。

「お待ちください」

「待たん。今の俺は国王ではない」

「ですが」

「ですがもよすがもない」

「行かれるというならせめて私も」

 すたすたと扉に向かうヴァリデスをなんとか止めて、ゲオルグは言い募った。王は振り返った。

「……それはいいが、足長族の長としてではなく、また宰相として連れていくわけにはいかんぞ」

「わかっております。私は陛下の、いえ、ヴァリデス様の手下の一人にすぎません」

 ヴァリデスはにやりと笑った。

「それならいい。お前ひとりでついてこい」

「陛下、ひとつだけ」

「なんだ」

「これがフレイア殿なら、陛下はここまでしましたか」

「……」

 ヴァリデスは立ち止まり、そしてなにも言わずにまた歩き出した。

 その背中が否定を表わしていた。



 涼しい風が頬を撫でて、ティーアはそれで目が覚めた。

 口には猿轡が噛まされている。それで、いっぺんに思い出した。

 そうだ。確かわたくしは宮殿で……。

 目だけを動かして、そっと辺りを見回す。ここはどうやら屋外のようだ。しかし、薄暗い。これは、洞窟か?

 なんとなく湿っていて、時々水滴が落ちる音がして、その音が反響している。それに、どこからかひそひそ声がする。

 動いてみよう、とじたばたしてみたが、どうやら自分は縛られているようだ。これでは、逃げることもかなわない。

 一体なぜ? そして誰が? 色々な思いが駆け巡る。兄か? いや、兄が自分に危険が及ぶような真似をするとは思えない。

 兄にとって自分は道具に過ぎないが、道具である以上は大切に扱うに違いないからだ。

 思案していると、誰かがこちらへやってくるのが足音でわかった。人影は、三つだ。

「見なよ、これが王妃かあ。まだ十七だってよ」

「噂じゃ、生娘って話だ」

「そりゃいい。俺たちでいただいちまおうか」

 下卑た笑いが起きた。思わず後ろに逃げようとすると、男の内の一人が足を押さえた。

「おっと、逃げようとするなよ。あんたは大事な人質だ。金貨千枚、もしかしたらもっと貰えるかもしれない大事な大事な人質だからな」

「その前に味見っていうのもいいなあ」

「いいなあ」

 別の男が舌なめずりした。足を引っ張られ、着ていた夜着をめくられる。精一杯抵抗しても、こちらは縛られている。

「おっと暴れるなよ」

「押さえてな」

「活きがいいぜ」

 叫ぼうとしても、叫べない。声だけが布の端から漏れた。

「やめろ。そんなことしたら人質の価値がなくなっちまうだろうが」

 後ろから声がかかって、三人の男を止めた。

「そんなこともわかんねえか馬鹿が」

 ちぇっ、とため息が漏れて、ティーアは必死に身体を動かせるだけ動かして奥に逃げた。 恐怖で全身が震えた。誰か助けて。殿、助けて。

「処女なら処女のまま返すんだ。金貨千枚が百枚になっちまうだろうが」

 それを聞いて、少し冷静になれた。

 このひとたちは、ヴュステを脅しているのだわ。恐怖で痺れた頭を必死に動かして、ティーアは考えた。

 殿は、この脅迫には応じないだろう。大国には大国のやり方がある。ヴュステは、脅しには屈しないだろう。

 なぜわかるかと言われれば、父や兄なら同じことをするからだ。

 しかし、それをこの男たちに知られるのは得策ではない。知られれば自分の価値は貶められ、殺されるかよくて犯されるかのどちらかだろう。

 殿。殿が来て下さる。助けに来て下さる。必ず来て下さる。それまで待とう。

 ティーアは震えながらそう結論に至った。

 待つ。

 男たちの雑談からなにか有力な話は聞き出せないかと耳をそばだてながら、ティーアはただただおとなしくそこに座っていた。



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