第一章 11

 十一番目の月、深藍の月となった。秋はいよいよ深まり、砂漠も涼しくなってくる。

 その夜、ヴァリデスは公務多忙ゆえ、ティーアに先に休んでいるよう従者に申し伝えた。 若い妃は、素直にそれに従った。そうでもしないと、夫はひどく機嫌が悪くなるからだ。 折しも涼しい夜のことだったので、窓を開けて眠っていた。宮殿の最上階だし、見回りの兵士が夜を徹して歩き回っている。心配は無用というものだ。

 過ごしやすい夜なので、ティーアは深く眠っていた。

 そのティーアの寝所に忍び込み、眠る彼女の口を塞いだ者がいる。ティーアはたちまち目を覚ました。影はそっと囁いた。

「騒げは命はない。わかったか」

 ティーアは小さくうなづいた。影は彼女に当て身をすると、呆気なく気絶したティーアを易々と背負って開け放した窓から出て行った。

 誰も異変に気がつかなかった。

 だから、初めにそれに気がついたのは、自然国王ヴァリデス本人だということになる。

 夜半過ぎ寝所に戻った彼は、妃がそこにいないことにいち早く気がついた。

「? ……」

 夜中過ぎである。念のため、私室に行って見てみたが妻の姿はない。まさかと思い浴室に見に行ったが彼女がいるはずもなく、王はティーアの名を呼んだ。いらえはなかった。

 彼はそこで異変に気がついた。

 国王は女官を呼び、王妃の居場所を聞いた。誰も彼女の行方を知らなかった。

 宿直の兵士が呼ばれ、当番の者が召喚され、宮殿住まいの騎士たちが続々と起きてきて、ゲオルグがやってきた。

 宮殿は物々しい雰囲気に包まれた。



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 どこを探しても王妃の姿がない、いなくなったようだとわかって翌日、宮殿に投げ文があったことに気がついたのは門番だった。その文にはこう書かれていた。

『王妃の身柄は頂いた。返してほしくばこちらの要求を呑め。金貨千枚を《獅子の谷》の岩山に明後日の五の刻に持ってこい』

 由々しき事態であった。

「これはどうしたことだ。大国ヴュステの王妃がおめおめと誘拐されたと知れては他国に示しがつかん。これは極秘の裡に始末せねばならんぞ」

 長の一人が難しい顔をして言った。

「宿直の兵士はなにをしておったのだ」

「宮殿に忍び込む者などいるはずもない、と高を括っておったそうで……」

「そこを突かれたのでしょう」

 口々にそう言い合う配下の言葉を聞きながら、ヴァリデスは一人頭のなかで策を練っていた。彼には、国王としての立場があった。

「陛下」

 ゲオルグが低く囁いた。

「わかっている」

 それに応えると、ぐっと拳を握った。

「ヴュステは、脅しには屈しない」

 ざわ、と玉座の場がざわめいた。

「陛下……!」

「妃をさらった者たちがどんな要求をしてきても、それを呑んでならない。そんなことをしたと他に知られれば、ヴュステは脅せば簡単に要求に応じると軽んじられてしまう。そんなことをすれば王国の信頼は失墜し、塩の価値は暴落し、民は飢えることになるだろう。 そんなことはあってはならない」

「ですが王妃殿下が……!」

「妃も元は王族の出身。それなりの覚悟はあろう」

「陛下……!」

「陛下」

 ゲオルグが声をかけたが、ヴァリデスは立ち上がり、

「解散だ」

 と一方的に言い渡し、さっさと行ってしまった。一同は呆然とそれを見つめていた。

 普段は仲睦まじい国王と王妃、まだ夫婦になっていないとはいえ、両者の間になんの問題もなさそうに見えるあの王と妃に、こんな事があろうとは、誰も思ってもみなかったのである。

 ゲオルグが黙って国王を追っていった。


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