第一章 5

ある日のことである。

 ヴァリデスとティーアは朝食を共にした。

「そういえばお前は第二王女だそうだな。第二、というからには、第一王女もいるのだろう。姉はどうしている」

「亡くなりました。わたくしが十五の時でございます。落馬の事故でございました」

「む……それは、知らなんだ。すまん」

「いえ、元々、腹違いの姉で、仲はあまりよくなかったのでございます」

「そうするとお前は実質第一王女ということになるな」

「そういうことになりましょうか」

「そんなお前を、よくこんな遠くにやる気になったものだな」

「……」

 ティーアはそれにはこたえられない。兄の、恐ろしい陰謀を知っているからである。知っていて、それを言い出せないからである。

「――殿は」

「ん?」

 恋仲であった方がいらしたのでございましょう――そう言いそうになって、ティーアは寸前になってやめた。言ったところで、どうなるというのだ。誰も幸せにはならない。彼も、自分も。

「――いえ、なんでもございません」

「お前の髪は美しいな」

 それには気がつかないように、ヴァリデスはティーアの長い髪に目をやる。

「ただ長いだけでございます」

「どれくらい切っていないのだ」

「生まれてから切ったことがございません」

「そうか。それはすごいな」

 そこへゲオルグがやってきて、

「陛下、お食事中申し訳ございません。先日からご懸念中の蛮族の抗争の件ですが」

「わかった、今行く」

 ヴァリデスは立ち上がると、

「ではな。俺は行かねばならん」

 ティーアも立ち上がり、

「いってらっしゃいませ」

 と送り出す。そして、一人部屋のなかを見渡す。がらんとした室内、いるのは自分ひとり、あとは侍女のヴェルジネとシュタム、そして冷たい表情をした女官たちだけ。

「まあなんでございましょうね。あんなに忙しく立ち働かなくてもよいのに」

「よいのですヴェルジネ」

 ヴェルジネはいつもティーアに味方するようなことを言うが、ヴァリデスを責めるようなことを言うので頼りにするには心許ない。シュタムは無表情で石のようなのでなにを考えているかわからない。女官たちはヴァリデスとの夫婦生活のないティーアを完全に馬鹿にしていて冷たくしているので、とてもではないが頼れるというものではない。

 ここはやはり、フレイアが頼れるというものであろう。ティーアには優しいし、砂漠の慣習にも詳しい。なんといってもヴァリデスには好意的であるから、ティーアにとっても心強い味方であるといってよかった。年も一つ違いだ。

 ティーアは事あるごとにフレイアを重用し、彼女を頼った。そうすると、知らず知らずの内にヴァリデスの前に現れることも増えてくる。

 なんでもない日に顔を合わせたその日、ヴァリデスは部屋に現れたフレイアを見て顔色も変えずにティーアと紅茶を飲んでいた。

 そしてティーアが着替えにフレイアとヴェルジネを連れて行くと、なにかに思いを馳せるように窓の外を見た。

 ティーアと部屋を出ていくとき、彼は頭を下げて国王を見送るフレイアに呟いた。

「元気か」

 フレイアは、それにこたえることはなかった。

 七番目の月、白群の月になった。

 砂漠は夏を迎える。

「ティーア、遠乗りに行こう」

「でもわたくし、馬になど乗れません」

「俺と乗ればよい」

「まあ姫様、馬になど……」

 止めるヴェルジネの制止など聞かず、ヴァリデスはつかつかとティーアの手首を掴むと、そのまま彼女を馬場へ連れていきあっという間に抱き上げると掛け声と共に駆け出してしまった。

 ティーアは初めてこの国に来た日のことを思い出していた。

 籠の鳥のような思いをしてきたのであろう、そのような思いはもうせずともよいと言われたことを思い起こして、ちらりと自分を抱く男を見上げる。

 ヴァリデスは口元に笑みを浮かべて一心に馬を駆っている。相変わらず彼を拒み続ける自分に、決して無理強いしないヴァリデス、なぜだとも怒らず怒鳴ることもしないヴァリデスのやさしさが、今は怖かった。

 馬が止まって、ヴァリデスが鞍から下りた。そして自分を抱いて下ろすと、歩き始めた。 彼が黙っているので、ティーアは慌ててその後を追った。

 どうやら、丘のむこうに行くようだ。一面の砂。こんなところで、なにをしようというのだろう。

 突然、彼がぴたりと止まったので、ティーアはその背中にぶつかった。

「着いたぞ」

 ヴァリデスはティーアを振り返った。

「お前にこれを見せたかった」

 ティーアはなんだろうと身を乗り出した。

「――」

 広大な砂の海が、そこに広がっていた。金色の海。

「どうだ。美しいだろう」

 風紋が、あちこちにうねっている。風が吹くたび、その模様が変わる。

 時々、旅人がそこを横切る。陽炎がゆらゆらと揺れる。あそこにあるのは、あれは蜃気楼だろうか。あちらにあるのは、オアシスか?

「俺は海を知らない。見たこともない。しかし、砂の海なら知っている。砂の海も充分美しいと思う。それでいいと思っている」

 ティーアは目の前の光景に圧倒されて、言葉が出てこない。やっと出てきた言葉は、

「……はい」

 という、ただ一言のみであった。

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