第一章 2


                    1



 三日後、花嫁の兄、アルトゥム次代国王ベルトヒルト・シルヴァ・ヴィノグラートⅤ世が到着して、いよいよ婚礼の儀が執り行われた。

 花嫁は砂の国の慣例に従って青い薄絹の衣装に身を纏って儀式に臨んだ。

「まるで魚の尾鰭のようだ」

 ヴァリデスはそうティーアに囁いた。

「セグヴァリデス・リェス・エリミアⅢ世」

 ヴァリデスが杯を持ち上げた。

「カウルティーア・スノトラ・ヴィノグラート」

 ティーアが杯を持ち上げる。

 そして二人が互いに互いの杯の中身を飲ませあうと、同時に杯を叩き割った。

 観客から拍手が沸き起こった。

 若き王と王妃に乾杯。

 王と王妃に幸あれ。

 み名に祝福あれ。

 誰もが二人を祝った。

「王妃殿下、国王陛下の側近、ゲオルグでございます」

 えらく長身の、灰色の髪を持つ男が天幕のなかで膝まづいて頭を下げた。

「殿はいずこに?」

「はい、陛下は余興の十二番勝負のご準備に出かけられました」

「十二番勝負……?」

 余興?

 ティーアの、月桂樹のような濃い緑の瞳が疑問に潤んだ。黒いつややかな髪は、地面を這いうねって光っている。

「はい。砂漠には厳しい環境に順応した十二の部族がおります。その十二の部族の勇者それぞれと戦って勝った者こそが王と、砂漠では認められているのです」

「まあ……」

 ティーアは白い手を口元にやった。

 ヴェルジネが思わず、

「なんて野蛮な風習だこと」

 と呟く。

「ヴェルジネ、余計な口を叩くものではありません」

 シュタムが諫める。

「では、もし殿が勝てなかったら?」

「陛下は王とは認められないでしょう」

「その場合はどうなるのですか」

「十二の部族は首都から去り、砂漠の向こうへと行ってしまうことになります」

「……」

 ワア、ワアとあちらで誰もが囃したてる声がするので目をやると、大きく円になった砂の上にヴァリデスと大きな大きな身体の男が向かい合っているのが見えた。二人とも、上半身裸だ。

 ヴァリデスの身体も鍛え上げられていて見事だが、対する男の身体は数倍大きかった。 まるで、小山だ。

「巨人族です」

 ゲオルグが囁いた。

 ティーアはぎゅっと拳を握った。あんな大きい身体の男に、ヴァリデスが勝てるだろうか? とても勝ち目があるとは思えない。

 両者の間にいた老人が、サッと手を上げた。

 同時に、ヴァリデスと大男が組み合った。どすん、と大きな音がして、ヴァリデスと男がぶつかりあったと思うと、ヴァリデスが持ち上げられた。

「!」

 ティーアは思わず目を瞑った。

「背中に砂がつけば負けです」

 側でゲオルグが冷静に言う。

 ティーアがそっと目を開けると、ヴァリデスは持ち上げられたままするりと男の手を抜け、そのまま着地したかと思うと砂を蹴って男の腰に飛び掛かり、そのまま男を持ち上げて放り投げてしまった。

 どさっ、という物凄い音と共に男が投げ出されて、しーんという一瞬の静寂のあと、男が立ち上がった。そしてその後、一層の拍手喝采がもたらされた。

「陛下の勝ちです」

 側で見ていたゲオルグもほっとした様子である。

 大男とヴァリデスは手を握り合っている。

 次は、全身になにやら細かい文字を入れ墨した男が登場してきた。

「筆文≪ふでふみ≫族です。十二氏族全ての歴史を記録しています」

「そのような方たちにも勇者がいるのですか」

「どのような場所にもはみ出し者はいるものです」

 全身に入れ墨をした勇者とは奇妙だが、しかし立派な体躯の持ち主である。視線が掴めなくて、どこを見ているかわからない。それでヴァリデスは苦戦していたようだが、これにも勝った。

「火焔族です。炎を扱うことに長けています」

 次にやってきたのは、口から炎を吐きながらやってきた、胸に火焔の徴のある男だった。 体つきは尋常だが、勇者と呼ばれるだけあって、これも鍛えている。相手はボッ、ボッ、と火を吹いてはヴァリデスを圧倒し、彼はじりじりと追い詰められてにじり寄られた。見ているティーアははらはらし通しであったが、ヴァリデスは相手の足を払って勝った。

 次は、いたく背の高い男が登場した。その若い男はティーアの脇で跪くゲオルグに恭しく一礼すると、次にヴァリデスと向かい合って礼を取った。

「なぜあの者はあなたに礼をしたのですか?」

「それは、私が足長族の長だからです。あの若者は足長族の勇者なのです」

 ティーアは感嘆の思いでその若者を見つめた。

「足長族は首都の警護や刑罰を担当しています」

 元々、背の高い部族なのだろう。その勇者も、えらく背が高かった。ヴァリデスも背が高い方だが、それよりも十センチは高い。

 足長族の勇者とヴァリデスは両手を掴み合って顔を真っ赤にして睨み合い、ぱっと手を離して後ろに飛び退いたかと思うとまた掴み合い、それを繰り返していたが、何回目かでヴァリデスが相手を投げ飛ばして終わった。足長族の勇者はヴァリデスと手を握り合って笑って去っていった。

 次は、耳がえらく大きな、長い男が出てきた。

「早耳族です。聴覚が優れているので賊の逃亡の際に重宝します」

「まあ」

 そんな人間もいるのか。

 ティーアは砂漠の民の種類の豊かさに内心舌を巻いた。

 横では、ヴェルジネがぶつぶつと文句を垂れている。シュタムは、平気のようだ。

 早耳族の勇者は一風変わっていて、ぴくりと耳が動いたかと思うと、いつもヴァリデスの一歩先を動いた。彼の動きを読んでしまうのだ。これにはさしものヴァリデスも苦労したようだ。

 しかし、右に行ってしまって急速で左に戻り、その勢いで相手を倒すという早業でヴァリデスに軍配が上がり、結局彼が勝った。見ているティーアもひやひやしたものだった。

「次は碧水へきすい族です。水源を探るのに長けている部族で、砂漠では欠かせない存在です」

 下半身に着たその衣は水色で、その瞳も水色のその猛々しい勇者は、なんとなく肌の色も水色がかっている。

 その男はスッと膝を砂についたかと思うと、何事かぶつぶつと唱え始めた。

「なにを言っているのです」

「水を呼んでいるのです」

「水を……」

 すると、男の差し出した人差し指の先から、コポコポコポコポ、と水が湧き出したではないか。ティーアがあまりのことに驚いていると、男は立ち上がり、いきなりその水たまりのなかに入ってしまった。

「碧水族、というのは、あのように水を呼び出すことができるのですか」

「少しの量ならそれも可能です」

 男の姿と水たまりは消え、残るはヴァリデス一人のみである。円陣はしーんとなり、人だかりは息をのんで事態を見守っている。

 すると、ヴァリデスの後ろにたゆんたゆんという音と共に水たまりが生まれ始めた。そして、ゆらゆらと先ほどの男の姿が現れたのである。

 しかしその気配を察知して、ヴァリデスが動いた。目にも止まらぬ速さで動いた彼は後ろ蹴りで襲われる前に男の顔を仕留めたのである。

 静まり返っていた場内は再び沸き返った。

 続いて、大きな翼を持った男が進み出た。

「鳥のような……」

「鳥人族です。山に住むため、進化して翼が生えたと言われています」

 ざっ。

 砂が舞い上がり、鳥人族の男が飛び上がった。ヴァリデスが目元を押さえ、それを見上げる。サッという音と共に男が舞い降りると、ヴァリデスに襲い掛かる。砂が邪魔をして、うまく見えない。

「殿が……」

「劣勢です」

 ゲオルグも固唾を飲んで見守っている。ヴァリデスの片目が閉じられ、その切れ長の瞳が鋭く光った。なにかを見据えるように、それが細められるのがティーアにもわかった。

「!」

 舞い上がる砂のなかで、ヴァリデスの手が鳥人族の男の片足を掴んだ。そしてそのまま、その身体を嫌と言うほど地面に叩きつけた。そこで勝負が決まった。

 次は、手首から細い鎖を下げ、その鎖の先に壺のようなものをぶら下げている男が出てきた。

薫香くんこう族です。特に調香の術に長けているとされています」

「調香? そのようなこと、必要なのですか」

「乾燥している砂漠では、香りが重要な産物になるのです」

 なるほど、と納得していると、薫香族の男は壺を振り回してヴァリデスに襲い掛かる。 ヴァリデスは首をそらしてそれをよけるが、男は壺を二つに増やし、三つに増やして縦横無尽である。さしものヴァリデスもよけきれない。

 するとヴァリデスは襲い掛かってきた鎖を腕に巻きつけ、男を引きつけてしまうとそのまま殴り飛ばした。男が吹っ飛んで、場内はしーんとなった。それも一瞬のことで、たちまち場は拍手喝采の嵐となった。

「次は緑人族です」

 続いて出てきた勇者は、なにやら緑がかった肌の持ち主で、身体は他の若者たちと同じように鍛えられているが背は低い。

「薬草を煎じることや医術に長けている者たちです」

 この若者の戦い方は変わっていて、なにかの種のようなものを砂のなかに植えたかと思うと、それがするするすると成長し、その芽がぶきぶきと生えて、それを若者が口にしたかと思うと、自分の真上に向かって吐き出した。

 すると、緑色の鳥がそこから生まれ、ギャアとひと鳴きして、ヴァリデスに襲い掛かったのである。ヴァリデスはそれを手で叩き落した。

 勇者はそれを見て、笑顔になった。

「戦いはこれで終わりです」

「殿は、勝ったのですか」

「はい」

「あれでよいのですか」

「緑人族にとっては、よいのです」

 続いて、おおきなおおきな、奇妙な目をした男が出てきた。

「猫の目族です。夜目に長けているので、夜警の役に出ています」

 ティーアが見てみると、なるほど猫の目のような、三日月が縦になったような、不思議な形の目をしている。

 これには、ヴァリデスが先手に出た。

 柱の篝火を手に取り、勇者の目の前に突き付けたのである。

「あっ」

 勇者はたまらなく眩しくなり、両目を覆った。そこをヴァリデスは腰に掴みかかり、あっという間に倒した。

「次は青目族です」

 杖をついた、白濁した目の者が出てきた。これも身体は鍛え上げているが、なぜ杖をついているのだろう、とティーアが訝しんでいると、

「彼らは盲目なのです」

 とゲオルグが告げた。

「では、どうやって戦うのです」

「持っている杖で戦います」

「杖で……」

 勇者は、目が見えないとは思えないほど素早く動いた。

「彼らはまた、動きが素早いのでそれで重宝します」

 がっ、という音に目をやると、男が杖でヴァリデスに襲い掛かり、ヴァリデスが両手でそれを防いでいる真っ最中であった。ぎりぎりという音で、彼が防戦一方であるということがわかる。

 ティーアは両手を握り締めた。負けないで……!

 ヴァリデスが歯を食いしばって相手を跳ね除け、ついに押しやってしまったのが見て取れた。

「相手の弱点を突かない、陛下らしいやり方です」

 ゲオルグがほっとした様子で言う。そういう方なのだ、とティーアは感心しながらそれを聞いていた。公平な方なのだわ。

「さあいよいよ最後はたがね族です」

 どすん、という音がして、そちらに目をやると、一抱えもあろうかと思われる大きな金槌を肩に背負った大男がこちらへやって来るところであった。

 その金槌のあまりの大きさ、大男の体躯のあまりの素晴らしさに呆気に取られていると、

「彼らは特に彫金や武器の製作、金属を用いた技術に長けています」

 と言われ、ティーアははっとした。巨人族の男ほどではないが、この男だって充分身体が大きい。ヴァリデスの三倍はある。

 殿は大丈夫かしら……? 一抹の不安がよぎる。

 と、どしん、どしん、という凄まじい音がして顔を上げると、大男が金槌をヴァリデス目がけて降り下ろしている。危ない、ティーアは叫びそうになった。ヴァリデスは飛び跳ね、飛び退り、防戦一方である。

 追い詰められ、とうとう円陣の際の際、柱の側までヴァリデスが詰められてしまった。

「!」

 勇者が大きく金槌を降り下ろした一瞬、ヴァリデスは足に力を溜めた。そして力いっぱい飛んだ。

 そして次の瞬間、勇者の頭上まで飛び上がってその頭を蹴り飛ばし、脳天を突かれた勇者はそこで倒れてしまったのである。場内は静寂に包まれ、続いて地を割るような喝采に包まれた。

 審判をしていた老人がヴァリデスの片手を揚々と挙げ、十二人の勇者たちが恭しくそこに跪いた。

 新しい王の誕生であった。

 それを見ていたティーアは、知らず知らずの内に胸がどきどきするのを抑えられなかった。ヴァリデスの、切れ長の黒い瞳、日に灼けた汗に光る肌を見ていると、心が逸って仕方がなかった。

 しかし、それに水をさす者がいた。

「聞きしに勝る野蛮人だな」

 兄だった。

 スッ、と熱くなった心が冷たくなるのが感じられた。

 兄はティーアの背後に立ち、静かにこう囁いた。

「うまく誘惑するのだ。できなければ戻ってからのお前の立場はないと思え」

「……はい兄上」

 そうだった。自分に自由はない。ここでも、アルトゥムでも。

 すべて、幻。所詮、幻。

 紅茶に溶けてしまう砂糖菓子のように、スッとなにかが消えてしまうような気がした。



 その夜更け、王と王妃の寝室で、ヴァリデスとティーアは相まみえていた。

 大きな寝台を真横に、二人は今向かい合ってナヴィド水を飲んでいる。こんな馥郁とした、芳醇な香りの飲み物を、ティーアは初めて口にした。

「俺は馬に乗るのが好きだ。剣もやる。格闘技もだ。ティーア、お前はなにが好きだ」

「本が好きでございます。あとは……絵を描くのが」

「本か。亡き母も本が好きであったと聞く。身体を動かすのは好きではないのか」

「アルトゥムではよく泳いだものでこざいました」

「泳ぎか。それはよいな。ヴュステでは水は貴重だが宮殿には池がある。そこでは泳ぐのも可能だろう。今度一緒に泳ごう」

「まあ……そのようなことを」

「アルトゥムではどうかは知らんが、ここではそれも可能だ。ヴュステでは女を大事にする。女は血統を保つ。だから男は女をなによりも大切に扱う。女を殴ったり無下に扱う者は、なによりも重い罰を受ける」

「故郷では、多少違っています。女は所有物でございます。女は男のもの、結婚すれば女は男の言うことを聞き、男の所有となり、男の言うなりとなるのです」

「そのような場所で育って、さぞかし息が詰まる思いであったろう。しかしもう違うぞ。 お前はもう俺の妻だ。ヴュステの人間となった以上、そんな思いはせずともよい」

「……」

 ティーアは悲しげに緑の瞳を伏せた。ああ、この方は、兄上の恐ろしさをご存じない。「どうした」

「いえ……」

「アルトゥムの話を、もっと聞かせてくれ」

「……美しい場所でございます。水の豊富な、緑のある」

「海があるのだろう」

「はい」

「大陸から多くの船が渡って来ると聞く。いつか、海を見てみたいものだ」

 ヴュステにも緑はある。しかし、その量は比べものにはならないだろう。

「わたくしには、ヴュステの方こそ美しいと感じましてございます」

 ヴァリデスは、スッと目を細めた。

「そう言ってくれるか」

 そしてティーアの白い頬に手をやり、そっと顔を近づけた。

 しかし、ティーアはその顔をそらした。

「……」

「なぜ嫌がる」

「……兄は」

 ティーアは目を閉じた。

「兄は、恐ろしい人です」

「――」

 ヴァリデスはちょっと驚いたように目を見開き、ティーアを見やって、そして自分の顎に手をやり、にやりと笑った。

「ふふふ……なるほどな……初夜に兄の名を出されては、さすがの俺も引き下がざるを得まい」

 そして立ち上がると、

「ゲオルグ、飲みに行こう。振られたぞ。当番の兵士たちを呼んで来い」

 と寝室を後にしてしまった。

 ティーアはそれを見送って、どうしようもなく悲しくなって、ため息をつくしかなかった。

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