第2話 真龍①
——武官としてこの城に潜み、仇をみつけだしたらどうだ?
「お前が王軍にいたころ、夕雩の武官は何人もお前に殺されている。その剣の腕があれば十分やっていける」
男の声も右から左に通り過ぎるだけで脳が痙攣したように何も考えられなかった。胸の鼓動が落ち着いてきたころ、ようやく
「私が仇を見つけてもお前らに言わなかったら意味がない。素直にお前の未来の跡継ぎとやらを教えてやると思っているのか?」
まさか、と彼は笑い出した。まるで幼子のようだ。
いや幼子の皮を被った邪悪な悪魔か。それを見極める力を揲は持っていなかった。
そしていつも自分の信じたいことを信じ、裏切られた。ここに連れてこられたのも嘘をつかれてのことだった。
「無論、こちらもすぐにお前を信じるわけにはいかぬ。
手招きを受け、篤驥という武官は男の傍に膝を折った。
「お前の見張りとしてこの
釘をさされ、揲は内心チェっと舌打ちをした。こちらの考えを全て見透かされているようで不快だった。
「稀珀攻めの首謀者……お前の跡継ぎを見つけたらどうせ私を殺すつもりだろう?」
「殺されるつもりなのか?」
男は少し驚いたかのように問いただした。もちろん揲には殺されるつもりはない、そこからが夕雩家との戦なのだ。
権力者が嫌いだ、弱者の気持ちをわかろうともしない、自分だけが特別だと勘違いしている。利益のために平気で嘘をつく。
血と金に汚れた濁った目をしている。
「……全部嘘なんじゃないの?稀珀を滅ぼしたのはあなたで私を泳がそうとしているだけ」
揲は男の青い瞳を試すように見つめた。
彼は表情を変えなかった。逃げもせずジッと揲の視線をうけとめていた。それがなんだかとても悔しかった。
だまされて仇の城に連れていかれたばかりでもその悪癖は治っていなかった。
先ほどまであれほど強く憎んだ相手だ。
殺したいと願った人間だ。
だが、揲は彼の瞳に一点の濁りも見つけられなかった。男の瞳の中に美しい海が見えた。
その澄んだ瞳を前に揲は成すすべがなく瞬きすらまともにできなかった。
「余を信じるも信じないもお前の勝手だ。信じないのであればその懐に隠し持った短刀で余の首を斬ればいい」
そう言って彼は静かに笑みをたたえた。
先ほどの挑発的な笑みとは違う、穏やかで少し寂しげな笑みだった。
その様子がふと死んだ母の笑みと重なった。
当然のこと、揲は刃を手に取ることはできなかった。彼の首めがけて刃を振り下ろすことはできなかった。
「……お前の言う通りにしてやる」
そう言うと男の顔がパッと明るくなった。良い歳のくせしてわかりやすい人だ。
「ただ、仇を見つけたらすぐにこの手で殺す」
そうか、と彼は面白そうに笑った。
「こちらは守りに徹しなければな」
そう傍らに控える
揲の人生をかけた戦の火ぶたがここに切られた。
***
その後、
「宗主に城を案内してやれと言われた。住む場所が欲しければついてこい」
振り返ることなく彼はどんどん先を行く。
この男に対し、揲が最初に持った印象は「本当に
上背はあるが、手足は細く女子のような整った顔立ちをしていて太刀を振り回す姿など到底想像できない。
しかし、その切れ長の目が放つ眼光はそんな考えを吹き飛ばすほどに鋭いものだった。
それに今、歩き方を見て確信した。この人は相当強い、夕雩家の宗主が自慢するように言っていただけはある。
***
やがて揲たちは一旦外へでた。
ちなみに先ほどまでいた建物は宗主が住まう
その本殿を囲うように来たに
「
そして、と篤驥は菊宮のさらに北にある金色の門の前で足をとめた。血なまぐさいこちらと隔てるように作られた塀には蝶や鳥の装飾がほどこされており美しい。
「
「……城の一番奥に閉じ込めるってわけね」
そう言うと篤驥は大げさにため息をついた。きっと内心では性格がひねくれているとか毒を吐いていることだろう。
それゆえ
「私は主が亡くなってから14年もの間この紲御殿で主のいない侍女として全ての雑用を押し付けられていましたから揲様が来られてとても嬉しいのです。
仕えるべき相手がいないのはなかなかに辛いことですから」
彼女の言う通り、ここの女中はみな揲を歓迎しているように見える。
「正確には龍様が昨日までの私たちの主君だったのですが……何しろあのお方はめったにこちらへお渡りにならないので……」
「龍様?」と誰のことかわからずに問うと侍女は少し驚いたように軽く目を見開いた。
「宗主様のことです。ご存じありませんか?あのお方の本当の名は分家のご兄弟以外誰も知らないのですよ」
「
「あれは姓ではありません。
あくまで夕雩は『
でも宗主様のお名前を知らないから民は龍様とか夕雩様とか好き勝手呼んでそれが広まってしまったわけです」
『龍』とは古来より国を治める器とされていた。つまりここ火曛の民はあの夕雩家宗主のことを
だとしても領主の名を好き勝手呼ぶなんていい加減な話他に聞いたことがない。
それは侍女も同じらしく「おかしな話ですよね」と笑いながら同意を求めてきた。
「それとこの
だから姓があるのはこの城に使える上級役人だけ。つまり篤驥様はああ見えてとても偉い方なのですよ」
少し自慢するように彼女は胸をはった。その言葉に揲は少し彼を舐めていたことを反省する。
そんなことをあれこれ考えているうちに侍女は一つの扉の前で立ち止まった。
「ここから先が
そう言って彼女は両開きの扉をゆっくりと押した。目の前の景色がだんだんと広がっていく。
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