偽龍の寵姫

@kawausou

第1話 仇

 真龍は死んだ。




 今から30年以上前に国を治める器とされた真の龍、いわゆる『真龍』と呼ばれた人間は王宮の高い塀から身を投げた。真龍――その王が死んでから王座は空位のままである。



 数々の権力者が国を治めようとしたが彼らは皆『偽龍ぎりゅう』、偽りの龍だった。


 そして国は荒れ果て戦が後を絶たず民は今日も真龍を待ち望んでいる。


 ***


 胤国いんこく 火曛かくん 夕雩せきう城——


 ——お前をすぐにでもなぶり殺したい。


 せつは恨みの籠った目で頭上の玉座に腰掛ける男——夕雩せきう家の当主を睨んだ。


 この世で最も憎い人間を目の前にしてせつは自らが荒ぶる獣と化していくのを感じていた。


 民からの税で作られた無駄に広いその部屋にはヤツと自分、そして一人の武官しかいない。


 体を縄で縛られていなかったらヤツを殺せたかもしれない、とくだらない想像をしてみるも別段楽しくもなんともなかった。


 怒りすら収まってくれそうになく、嫌に揲をくすぐる。



 今、ずっと追い求めていた仇が目の前にいるのだ。故郷も、家族も、愛する人も奪った憎き夕雩せきう家。


 その当主たるヤツの瞳は多くの人間を殺戮したとは思えないほど澄んでいた。

 海のような珍しい彼の青い目に恐怖すら感じながらも揲はまっすぐにヤツをみつめた。


 憎しみも怒りも全てぶつけてやった。


「名は?」


 やがて彼の低い声がふってきた。答えずにいると男の傍にいた細身の武官が「名はせつ、姓は御潴みづまと」と代わりに紙のようなものを読み上げる。


「年は十四、少し癖のある黒髪、手の甲にある刀傷。やはり我らの探し人に間違いないかと思われます」


 ヤツは小さく頷いた後、わずかに口の端をあげた。


「そんな女子などどこにでもおろう。……おい、お前。爪を見せろ」


 その男の言葉に揲はハッとする。


 彼が爪を見せろと言った理由、それは紛れもなく揲の爪が普通ではないからだ。


 周りの人々からはガラス細工のようだと言われていた。

 その言葉の通り揲の爪は白ではなく透明でガラスの破片を指にさしたように見えていたのだ。



 ヤツは自分を調べつくしている、そう思うとさらに恐怖は増していった。

 自らの爪を守るようにこぶしを握ると傍らにいた細身の武官が「宗主の言う通りにしろ、殺されたいのか」とそっと耳打ちをした。


「このご丁寧にまかれた縄のおかげで動けないからな」


 せつは彼らに見せつけるように腕を小さく動かした。案の定、縄が邪魔で思うように動かない。


篤驥とくき、縄をといてやれ」


 先ほどの華奢な武官は篤驥とくきというらしい。

 

 彼は乱暴に縄をといて揲の手を掴み座上の男にかざした。その作り物のような爪を凝視した後、夕雩せきうの当主はいやらしい笑みを浮かべる。


「お前がせつか……」


 ヤツはゆっくりと目を細め、立派な玉座から降りると一歩二歩と揲に近づいた。


 近くでみるとその長いまつ毛に陶器のように滑らかな白い肌、女子の揲よりも豊かな黒髪とその顔立ちの美しさが際立ってみえた。


 だから余計に、揲の心の内では彼の行いの汚さが目立った。


「お前は余を憎んでいるのか?」


「……当たり前だ」


 揲はうなるように言った。


「お前は稀珀家きはくけを……私の主を滅ぼしやがった。許すわけにはいかない」


 そうか、と彼は表情一つ変えずに澄ました顔でうなずいた。


「そうでもなければ女子おなごの身で王軍おうぐんに入ろうとはしないだろうからな」


 ここに連れてこられる前、揲は胤国いんこく統一を狙う夕雩家せきうけと対立する胤国王軍いんこくおうぐんにいた。



 全ては夕雩軍を根絶やしにするために。


「殺しすぎたゆえに味方からも恐れられ、牢に入れられたらしいが」


 こらえきれないと言うようにヤツはプッとふきだした。


「何が言いたい?」


「いや中身のある話はしておらぬ。そうだな、本題はここからだ」


 彼はジッと揲の瞳を見つめた。その青い瞳に魂が吸い込まれるようだった。

「余には跡継ぎという者がいない、娘は一人あるがおのこには恵まれなかった」


 話の筋道などあってないようなものとでも言うように彼は突然何の関係もない話をしてきた。


「何を言っているんだ、と思ったか?

 すまないがもう少しだけ話につきあってくれ。お前の主……稀珀きはくを攻め滅ぼした手段、あれは見事だった。

 余が長年苦戦していたのにこともあろうに一日で攻め滅ぼしてしまうとは……」


「……ふざけるな、あれはお前が……」


 身をよじって武官につかまれた腕を抜こうとするも華奢なくせに力が強い。結局何もできずに息をきらしながらヤツを睨む。



 仇を前にして何もできないことがたまらなく悔しい、口惜しい。そんな揲を見下すように見てから彼は再び口を開いた。


「実を言うと稀珀きはく攻めをしたのは余ではない」


 頭を殴られたような衝撃。視界が白く弾けたように錯覚した。


「嘘だ……嘘をつくな!」


「嘘ではない、あの日余はこの国の首都である絮璆じょきゅうに出向いていた。


 しかしいざこちらへ戻ると『稀珀を討ったのですから祝いとして今日くらい騒いでも良いではありませんか』と驚くべき言葉が返ってきた」


 彼が紡ぐ文字の羅列だけが右から左に揲の頭を流れていった。


 瞬時に理解することができない、咀嚼そしゃくしてドロドロになった液体が頭の中でうごめいて消化できずにいるようだ。


「誰が指揮をしたのか問いたら皆不思議そうに顔を見合わせた。

 ずっと余がやったものだと思い込んでいたらしい。

 後から聞いた話、その手腕は実に見事だった。余の跡継ぎにふさわしいと思った。何が言いたいかわかるか?」


 まるでこれまでの状況を無理に理解するようにごくり、と自分ののどが鳴った。


「跡継ぎが欲しい余と仇を討ちたいお前。わかるか?目的は同じだ。稀珀攻めの首謀者を見つける」


 ニッと彼が笑った。気味が悪い、そしてどうしようもなく嫌な予感がした。


「武官としてこの城に潜み、仇を見つけ出したらどうだ?」

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