第20話 辛いのです


「ルイス様っっ!!」

 

 イザベルの慌てた声が響く。

 

(こんなクズをも庇うとは……。慈悲深く優しいイザベルは女神だ──)

 

「助けに来てくれたのね!! お姉様ったら、ひどいのよ」

「あ゛?」


 自身の状況も理解せず、僅かでも血が出たことに恐怖すらしないレティシア。そんな彼女にルイスの不機嫌な声は届かない。

 うるうるした瞳でレティシアはルイスを見た。


(ルイスが助けに来てくれた。これだって、お姉様を油断させるためね。分かってるわ。ちょっと痛いけど大丈夫よ。私、ルイスのこと信じてるもの!!)


 自分に剣を向けられていることに気付きていても、レティシアは信じて疑わない。

 ルイスが自分を助けに来たのだと。婚約するのは自分になるのだと。


「お姉様に縛られたの! ルイス、お姉様は罪人よ。未来の皇太子妃に危害を加えてるのよ!!」

「レティシアっ!!」

「キャアッ! お姉様、怖いっっ!!」


 イザベルが叱責の声をあげれば、レティシアは怯えた表情をした。


「ルイス、お願い。早く助けて。縄が痛いの……」


 ポロポロと涙を溢し、レティシアは罪を重ねていく。


「レティシア嬢。お前の首と胴が繋がっているのは、イザベルの妹だからだ。この意味が分かるか?」


 射るような視線を向けられ、レティシアは頬を染めた。


(うわぁ……。本当にかっこいい。お姉様には、もったいないよね。欲しいなぁ。ううん。もう私のだよね。だって、出会ったもの。みんな、みーんな私のことが好きなんだから、ルイスだってそうなってるはず)


「お姉様に気を遣わなくていいんだよ。仕方ないよ。愛し合っちゃったんだもの」


 ルイスは殺してしまいたい気持ちを、ぐっと堪えてイザベルを見た。そして、レティシアを指差す。


「殺してもいいか?」


 イザベルは、レティシアの言っていることが理解できず、唖然としていた。

 そんなイザベルに告げられた言葉。それもまた、すぐには理解できず、イザベルは瞬きを繰り返した。


(殺してもいいか……じゃったな。うん? 殺してもいいか?)


「駄目ですわ!!」

「そうだよな。残念だが、仕方がない。一先ず牢に入れて準備が出来次第、輸送するか。ついでにマッカート夫人も行かせるか。一緒に行かせれば、煩くないだろ。アザミ、罪人用の馬車を用意してくれ。そこに、彼女を丁重にお迎えしてほしい」

「畏まりました」


 目の前に現れた女性に、イザベルは翡翠色の瞳を見開いた。

 この間、レティシアはギャーギャーと騒いでいた。

 自分は悪くない。愛されるべき存在だ。ルイスは騙されているのだ。本当は私のことを愛しているのでしょう? 今なら、許してあげる……。

 次から次へと言葉は飛び出すが、もう誰もレティシアの声を聞かなかった。


「アザミだ。イザベルの護衛を担当している。近いうちに他の護衛も紹介するよ」

「いつもありがとうございますわ。あなたたちのおかげで安心して生活が送れておりますもの」

「有り難いお言葉、感謝致します。今後も誠心誠意、お仕えさせて頂きます」


 深く頭を下げた後、アザミはレティシアの気を失わせた。そして、軽々と抱え、すぐに姿を消した。


「あの、レティシアはこれからどうなりますの?」

「しばらく牢生活だね。ついでだから、マッカート夫人も入れとくね」

「えっ?」


(何か罪を犯しておったのじゃろうか……)


「優秀な協力者がいてね。夫人が不法薬物の売買に携わってたことが分かったんだよ。携わってたと言っても、場所の提供だね。本人は何に使っているのかは知らなかったから、罪は軽いよ」


(その協力者が弟だとは思わないんだろうな。よくできた弟だよ。自身の立場を問われるであろう時に接触してくるんだからな。公爵家で行われたイザベルへの仕打ちから、横領まで事細かに記録されていたのは助かったが……)


 イザベルの弟は、ずっと静観していたのだ。

 姉が虐げられている姿を何もせず、見てきた。自分が何をしても意味はないと知っていたから。

 ほんの少しの罪悪感から、姉のところに向かおうする母親を引き止めていたが、そのことは誰も知らない。


(横領には気付いてたから、イザベルが嫁いだら引きずり降ろそうかと思っていたけど、まさか弟君に交渉されるとはね。優秀すぎる家庭教師をつけたことが仇になったな。まさか、息子に出し抜かれるとは思いもしなかったんだろ)



「そう……ですの……」


 落ち込んだ雰囲気のイザベルの頭をルイスはそっと撫でた。


「悪いようにはしないよ」


(俺がやるんじゃない。自分たちから堕ちてってもらうからね)

(こんなにもご迷惑をかけてしもうた。それなの、こんなにもお優しい……)



「婚約破棄をしてくださいませ」

「駄目だよ。どうして、そんなことを言うの?」


 肩を掴まれ、おかめは外された。

 藤色の瞳は陰りを見せ、深い闇が覗いているようだった。

 諭すような優しい声なのに、イザベルは後退りをしたくなる。

 だが、逃げられないように肩を固定されており、叶わない。


「わ、私はこんなにもご迷惑を……」

「うん」

「私には相応しくなくて……」

「うん」

「合わせる顔もありませんし……」

「うん」

「辛いんですの!! ルイス様といるのが、辛いのです」


(まるで愛しておるかのように見詰められ、触れられるのが、辛いのじゃ。少しずつ、われの中で大きな存在になってきておるのが、嫌なんじゃ……)


 顔を歪め、イザベルは言った。

 今にも泣きそうな顔を見て、ルイスは自嘲した笑みを浮かべた。

 その笑みがどこか寂しそうで、イザベルはそっと手を伸ばす。

 

「そんなに俺が嫌なら、手を伸ばしちゃ駄目だよ」


 ガシリと掴まれた手は冷たくて、イザベルは温めるようにもう片方の手を重ねる。


「ごめんなさい。言い方を間違えましたわ」


 イザベルの言葉に小さく震えた手。次の言葉にルイスは怯えた。

 何がどうなろうとイザベルを手に入れる。その決意は変わらない。

 だが、気が狂うほどに愛する彼女からの拒絶は、ルイスを臆病にする。


「どんどんルイス様の存在が大きくなってますの。忘れられない大切な人がいるのに……。忘れたくないのに。こんなにもまだ焦がれているのに……。それなのに、ルイス様のことが大切になっていく。ルイス様との関係も近いうちに終わりますのに……」


 小さくなっていく声を聞きながら、ルイスの心は歓喜に震えた。


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