第15話 性格は悪いが、優秀
「おかめの何がイザベル様をそこまで駆り立てるんですかね?」
そうリリアンヌが言った瞬間、イザベルのおかめ語りが始まった。
授業中のように止める手立てはなく、おかめ一つに何をそんなに語るの? と言いたくなるほど、素晴らしさをイザベルは語り尽くした。
「──ですから、おかめとは最大の美であり、芸術でもあり、私達の心に安らぎと……」
「つまり、おかめが素晴らしいものだと言うことですね!!」
日が沈み始めた頃、リリアンヌは食い気味に言った。
イザベルは嬉しそうに何度も頷き、テーブルに置いていたおかめをそっと撫でた。
「おかめがあるから、堂々と外を歩けますもの」
「それって、どういう──」
意味を聞こうとした時、扉が激しく叩かれた。
ゴンゴンゴンゴンゴンッ──。
無遠慮に叩かれる扉に、イザベルは立ち上がった。
「大丈夫ですよ、イザベル様。誰かは分かっていますから」
庇うようにリリアンヌの前に立ったイザベルに、リリアンヌは落ち着いた声で話しかける。
(今、私を守ろうとしてくれたよね? めちゃくちゃ優しいじゃん。こんなに優しいイザベルを不幸にするとか、絶対に許さない)
キミコイの世界とは随分と変わった部分はあるが、人や物の名称、街並み、身分、婚約者の有無などの大枠は一切変わっていない。
ならば、イザベルの家庭環境は最悪なのだろう……とリリアンヌは、マッカート公爵家に強い怒りを感じた。
そして、イザベルを追い詰める原因になるかもしれない、ルイスに対しても警戒を強める。
内鍵を開けた瞬間に開かれた扉。
激しく扉を叩いていた相手に、リリアンヌは微笑んだ。
「思っていたよりも、遅かったですね?」
「
ルイスはリリアンヌの肩を強く掴んだが、リリアンヌの表情は変わらない。
(女の子に力で訴えてくるなんて、クソ野郎ね)
冷めた視線を向ければ、ルイスの手が肩から離れていった。その手は、ローゼンによって掴まれている。
「殿下、なりません」
諭すように言うローゼンに、ルイスは苛立ちを向ける。
「イザベルを拐っておいて、許せというのか?」
「フォーカス嬢は、正規の手続きを踏んでお茶をしていただけです」
「正規だと? 部屋を何十もおさえてか?」
「そうです。学園の制度上、何ら問題はありません」
かなり苛立った様子のルイスに、リリアンヌは表情一つ変えることなく、話しかける。
「何十もの部屋をおさえた理由が、ご自身にあるとは思わないんですか?」
「あ?」
不機嫌を煮詰めたような、ドスの効いた声。
イザベルは慌ててルイスとリリアンヌの間に入った。
「ルイス様! 本日は女子会だと申していたではありませんか」
「だから、夕刻まで我慢した。遅すぎやしないか?」
過保護なもの言いに、イザベルとリリアンヌは顔を見合わせた。
仲の良さそうな仕草にも、リリアンヌを庇ったということにも、ルイスの苛立ちは加速していく。
「部屋を何十もおさえるなんて、悪事を企んでいるとしか思えない」
「でも、そんなの殿下からしたら、関係ないですよね? どうせ、どの部屋でお茶をしていたかなんて、知っていたのでしょう?」
(部屋数をおさえたのなんて、ただの嫌がらせよ。イザベルをいつも監視して、どこにいるかなんて分かりきってるんでしょ)
またもや一触即発の雰囲気。
イザベルはどうしたものかと悩み、ローゼンは平然としている。
「え……と、ルイス様は私が遅いから迎えに来てくださったんですよね?」
頷くルイスに、イザベルは努めて優しい声を出す。
「ありがとうございますわ。ご心配をおかけして申し訳ありません」
(よう分からんが、手負いの獣と接するくらいの気持ちで話しかけるのが一番じゃな。リリアンヌに被害を出してはならぬ。われが友を守るのじゃ!!)
「ですが、とても有意義な時間を過ごせましたのよ。リリアンヌさんがお作りになった芋ようかんというお菓子がとても美味しいんですの。それに、とても聞き上手で、私たくさん話してしまいましたわ」
にっこにっこと唯一見える口元は笑みを作っている。
余程、楽しかったのだろう。はじめての女友達に、イザベルはすっかり浮かれていた。
普段なら、ここでリリアンヌの話題を出せば、ルイスの機嫌がどうなるかなんて考えなくても予想がついた。
だが、今は──。
(リリアンヌの良さを伝えれば、ルイス様もきっと好きになるはずじゃ)
イザベルは信じて疑わなかった。
そんな二人の様子を見て、リリアンヌは笑い出すのを必死に堪える。
(もうさぁ、火に油を注いでんじゃん。必死に我慢して、理解ある婚約者を演じようとしてるんだろうけど、青筋浮かんでるもん)
「イザベル様、私のことはリリーと呼んでくれると嬉しいです」
「まぁ!! そうしたら、私のことはイザベルと──」
「駄目だ。それだけは、駄目だ!!」
わがままな子どものような物言いに、イザベルは小首を傾げ、リリアンヌは呆れた視線を向ける。
(この小娘がイザベルに近付いてからというもの、ロクなことがない。事故に見せかけて殺すか?)
女性のリリアンヌにまで嫉妬を抑えられないルイスに呆れながらも、リリアンヌの中でルイスの好感度が少し上がった。
(これだけベタ惚れなら、しばらくは大丈夫かな……)
「そうしたら、私はベルリンと呼ばせてもらってもいいですか?」
「も、もちろんですわ!!」
(友人からの愛称呼びじゃと!! これぞ青春ではなかろうか……)
感激に震えるイザベルに、リリアンヌは優しい視線を向ける。
「殿下から、ベルリンを奪うつもりはないですよ。ただ、私のことは防波堤と思ってください」
「防波堤だと?」
「今後、ベルリンに悪意を持って近付く者が必ず出ます。今は、おかめという謎のお面で遠巻きにされていても、それは避けられません。私、ベルリンに近付くクソ共を許す気はないんですよ」
明るい笑みを浮かべ、令嬢らしからぬ言葉をリリアンヌは吐いた。
たが、それが本来の彼女だと言われれば、しっくりくる。
「フォーカス嬢、おまえに何ができる?」
「牽制ですね。学園では、悪意のある生徒と二人きりにはさせません。あと、笑顔に悪意を包んで言い返すのも得意ですよ」
そう言い切った瞬間、ルイスの背後から咳払いが聞こえた。
リリアンヌが視線を向ければ、ローゼンが肩を震わしている。
「……望みは何だ?」
「卒業後にも、ベルリンと友人として会う権利をください」
「それは、イザベルの侍女になりたいと言うことか?」
「違いますよ。友人として、会いたいんです。私、起業するつもりなので、侍女枠は狙ってませんし」
(貴族令嬢が起業? こいつは、馬鹿か?)
この世界では、貴族令嬢の将来は結婚か、家庭教師や高位貴族の侍女と選択肢が非常に狭い。
その常識を知らないことは、下位貴族であってもあり得ない。
「常識的でないことは理解しています。でも、常識に囚われて生きるなんて、面白くないじゃないですか」
その言葉に、ルイスはリリアンヌの本質を見た気がした。
(男だったら、側近にしていたな)
気に食わないところは多いが、子爵令嬢という身分で成績上位クラスに入るだけでなく、特待生という学年で五番以内の成績を持つリリアンヌは、放っておくには惜しいほどに優秀だ。
(人の嫌がるところを確実についてくるあたり、性格は最悪だがな)
それでも、評価せざるを得ない。
側近候補たちをたったの数ヶ月で自分の味方につけ、すべてを分かったうえで処罰できないように嫌がらせを仕掛けてくる。
性格に難はあれど、優秀だということは間違いない。
「あ、そうそう。事故死に見せかけて、殺さないでくださいね。ベルリン、もし私が死んだら、最初に殿下を疑ってね」
「貴様っ!!」
(こんなクソ女、評価なんかした俺が馬鹿だった。本当に殺してやろうか……)
(念には念を入れないとね。殿下と関係性が変わった今、殿下が私を狙ってこないとも限らないし。それに──)
「大丈夫ですわ。殿下は素晴らしい方ですもの。そんなことするはずがありませんわ」
おかめの下で、曇りなき眼をイザベルはルイスに向けた。
「もちろんだ。イザベルの大切な友人だ。何かあってはならない。護衛をつけよう」
「ルイス様……」
感激しているイザベルに、ルイスは微笑みかける。
(うーん。ベルリン最強だわ)
どうやって自分の護衛を確保しようか頭を悩ませていたが、一瞬で解決してしまった。
ルイスへのお礼は、イザベルからの手作りお菓子かな……と、初心者でも簡単に作れるお菓子をリリアンヌは頭の中で思い浮かべていた。
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