第8話 お面につられたわけじゃ…


(どうしたらいいんじゃ……)

 

 イザベルの心はぐらぐらと揺れていた。

 婚約するのは怖い。けれど、国が荒れるのも恐ろしい。

 時間が欲しかった。逃げ道を探したいという気持ちもあるが、心の整理をしたかった。


「まぁ、イザベルからしたら急な話だもんね。戸惑うのも無理はないよ」

「じゃあ……」

「だからね、条件を決めよう」


 待ってくれるのかと期待をすれば、条件と言われ、イザベルは身構えた。


(きっとルイス様が有利になる条件のはずじゃ。問答無用で婚約者になるよりはマシじゃが、用心せねば……)


「俺かイザベルに、好きな人ができるまで。これでどうかな?」

「好きな人……ですか?」


 思ってもいなかった提案に、イザベルは脱力した。


(どんな無理難題を言われるかと思うたではないか……)


 そんなイザベルに変わらない笑みを向けながら、ルイスは言葉を紡いでいく。


「もしかして、もう好きな人でもいる?」

「いえ、そういうわけでは……」


 わずかだが動揺が見て取れ、ルイスは深く息を吐き出した。


(小夜が俺以外を好きになった? 相手は誰だ? 出会いはないはず。ということは、公爵家の護衛か?)


「身分違いなの? 協力しようか?」


 相手を探るため、親切なふりをして嘘をついた。

 だが──。


「……もう、二度とお会いできない方なので。お気遣い、ありがとうございます」


 悲しそうに瞳を伏せ、イザベルは呟いた。

 今世でのイザベルに、二度と会えなくなった親しい異性はいない。

 ルイスはの心は、仄暗い感情に支配されていく。


(あぁ、小夜は俺を忘れていない。小夜、小夜……。俺も、あなただけだよ)


 そう思いながらも、前世のことは口にしなかった。

 いつか小夜自身が気付いてくれるのを、ルイスは待つことにしたのだ。

 前世の自分を想う小夜を見ると、心が満たされた。

 長い年月を越えて、今もなお忘れていないということに。


(今も昔も、小夜は俺だけの愛しい人だ……)



「そっか……。じゃあ、イザベルに新しく好きな人ができるか、俺が心変わりするか、それまでってことでどうかな? もし、好きな人ができたら、必ず誰か伝えて協力し合おう。それで、うまく行ったら、婚約はおしまい。もちろん、嘘はなしだよ。期限はそうだな……学園を卒業するまでがいいかな」

「期限が過ぎたら、どうするんですの?」

「結婚するよ」

「えっと……私とルイス様がですか?」


 もちろんだと言う表情でルイスは頷いた。


(悪い条件ではない……と思う。じゃが、そんな簡単に婚約破棄は可能じゃろうか……)


「もし、婚約破棄をするとなったら、理由はどうされますの?」

「性格の不一致でいいんじゃない?」

「……へ?」


(性格の不一致じゃと!? 婚約は家同士の結び付きを強くするためのもの。それを性格の不一致で片付けられるのじゃろうか……)


「今は恋愛結婚が貴族間でもブームだからね。どうとでもなるよ」

「そ、そんなものでしょうか」

「案外、そんなもんだよ。それに、婚約してくれたら、顔を隠すのも手伝えるよ? 隠したいんでしょ?」


 前髪を指でちょいと摘まれ、イザベルの視界は明るくなった。

 藤色の瞳に映った自分に、イザベルは視線を落とす。


「ルイス様と婚約すれば、顔を隠せるのですか?」

「もちろん。これでも、両親の次に権力者だからね。婚約者の顔を隠させるくらいなら、すぐにできるよ。どんなお面がいい?」

「お面?」

「うん。学園でも着けられるよう、手配しておくね。もちろん家でも。あ、俺と二人の時は外すって、それだけは約束して」


 ルイスの言葉にグラグラと揺れていた天秤は、婚約の方へと大きく傾いた。


(われに想い人ができるか、ルイス様が心変わりをなさるかじゃったな。学園に三年通う間に、心を寄せる令嬢おなごもできるじゃろ。われのことを可愛いと言ってくれたが、実際は恐ろしい見た目じゃ。もしかしたら、令嬢おなご避けでわれを指名したのやもしれぬ。われなら勘違いしないと思ったのじゃろう)


 どうせすぐ、ルイスに好きな人ができる。

 イザベルはそう結論付け、ルイスの提案に乗ることにした。

 何より、顔を隠して生活ができるというのが魅力的だった。


「お面のデザインは決まってますの?」

「まだだよ。希望があったら、教えて」

「あの、実は──」


 この後、二人でお面についての詳細を話し合った。

 婚約についての条件も再確認する。


「じゃ、また来るね」

「はい。ありがとうございました」


 理想のお面を手に入れられる。ウキウキする心を隠すことなく、イザベルは笑みを浮かべた。

 作り物ではない心からの笑みに、ルイスは藤色の瞳を細める。

 そして、イザベルの左手を取ると、薬指の先に唇を落とした。


「そんなに可愛い顔を他の男に向けると思うと、嫉妬でおかしくなりそうだから、イザベルがお面を着けることに同意してくれて良かった」


 そう言い残し、真っ赤に染まるイザベルに手を振って帰っていった。



 イザベルはしばらく呆然とルイスを見送り、ぼんやりとしながら食事をし、お風呂に入り、寝床についた。


「ルイス様って、美意識がおかしいのかしら?」


 自分のことは棚に上げ、ルイスの心配をした。

 そして、自分の意思など確認する必要は全くないというのに、わざわざ来てくれたことに頬を緩める。


(なんと誠実なお方じゃ……)


 ただイザベルに会いたかったという理由だとも知らずに、イザベルは感動していた。

 だが、あることに気が付いてピタリと動きを止める。


「ルイス様、お一人だったわよね……」


 皇太子だというのに、護衛もつけずにイザベルのいる別邸に来ていた。

 しかも、そのことを両親は知らないだろう。知っていれば、イザベルが別邸で暮らしていることの言い訳を持って、ルイスに会いに来ていたはずだ。


「お忍びってやつかしら……」


 それにしても、やはりおかしい。

 そうは思うものの、今世での知識は家庭教師からの情報と書物のみという偏ったもの。

 首をひねっても、答えの出ない疑問。

 

(今度お会いした時にでも聞いてみる他あるまいな)

 

 気にしたところで、どうにもならない。

 目下の重要事項は、ルイスに想い人ができるまで、どう自身の身を守るかだ。

 

「お父様に、護身術の先生を招いてもらいましょう」

 

(あとは、陰陽師殿をどうするかじゃな。ルイス様にご紹介、願えるじゃろうか……)

 

 忘れないうちにとベッドから起き、重要事項を書き留めていく。

 墨をする必要もなく、ペン先からインクが出てくる便利さに、何度使用しても感嘆のため息が出る。

 

(なんと便利な世の中じゃ……)

 

 思わず前世に思いを馳せそうになり、きつく目を閉じる。

 

(あなた様以外の方と婚約することになりました。お許しください……)

 

 心は、帝にある。

 けれど、自分は自分自身のためにルイスとの婚約を選んだ。

 

(見た目だけではなく、心まで醜悪になったものよ……)

 

 イザベルは自嘲の笑みを浮かべた。

 

 

 一方その頃、ルイスは上機嫌だった。

 

(小夜……いや、イザベルには前世の記憶がある。しかも、俺を忘れてない)


 まだ小夜は、前世の自分に囚われている。

 小夜と同じところも、変わってしまったところも、すべてが愛おしい。


「それにしても、チョロくて心配だな……」


 イザベルに好きな人ができたら協力すると言うのも、婚約をおしまいにするというのも嘘だ。


 不慮の事故を装うか、失踪させるか……。

 相手を見て決めるが、生かしておくつもりはない。


(大丈夫だよ。きちんと殺したら、俺が慰めてあげるからね……)


 そこに悪意すらない。

 ルイスにとって、邪魔者を排除するのは、息をするのと同じくらい当たり前のこと。


「ずっと一緒だ……」


 ルイスは自身の左手の薬指を愛おしげに撫でた。


 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る