第7話 変わる者


 パーティーの次の日。

 いつもよりゆっくりと寝たイザベルが食堂へと向かうと、思いも寄らない人物がいた。

 

「おはよう。よく眠れた?」

「え? あ、はい……。疲れてしまったのか、ぐっすり……」

 

 まだ夢を見ているのではないか。

 イザベルは前髪越しに見える世界が現実のものと思えず、目をこすった。

 

「駄目だよ。赤くなっちゃう」

 

 やんわりと腕を取られ、優しく言われる。

 何度見ても、そこにいるのは紛れもなく──。

 

「殿下、何故ここに!?」

「ルイスと呼んでと言ったろ?」

「……ルイス様」

「うん」

 

 藤色の瞳が嬉しそうに細まる。

 よしよしと頭をなでられ、同い年なのに、何故か自分の方が年下のように感じてしまう。


「あの、何故こちらに?」

「婚約者の家に遊びに来るのは普通のことだろ?」

 

 当たり前のように言われ、思わず納得しかけたイザベルだが、ピタリと動きを止めた。

 

「婚約者……?」

「そう。婚約者だよ」

「誰と誰が?」

「俺とイザベルが」

「────っっ!!!!????」

 

(婚約じゃと? 正気か? 正気なのか!?)

 

 何故? とか、どうして? とか、そんな疑問よりも、イザベルはルイスの正気を疑った。

 

「そんなに後ろ盾が必要ですの?」

 

 普段なら絶対に聞かないであろうことが、気が付いたら口を飛び出していた。

 そのことに気が付き、どうにか取り繕わなければと焦る。

 

「あの、今のは……」

「後ろ盾なんか必要ない。イザベルがイザベルだから、結婚したいんだ」


 あまりにも真っ直ぐに言われ、イザベルは赤面した。

 けれど、すぐに頭を切り替える。


(そんなはずはない。きっと理由があるはずじゃ。われと殿下は昨日出会でおうたばかり。もしや、どこかで会っておったか? 「ずっと会いたかった……」と言うておったし……)


 だが、いくら思い返してみても、藤色の瞳をした少年を思い出すことはできなかった。

 そもそも、イザベルの行動範囲は驚くほど狭く、街に出たこともなければ、馬車に乗ったのだって数回しかない。

 同年代の友人どころか知り合いすらいないのだ。


(何故、こんなにもわれを求める。愛していると言うたのは、本気だったのか? われは、われは……)


「他の方では、駄目なのでしょうか?」


 ルイスの目を見て言うことはできなかった。

 俯いてしまったイザベルの頂きに、ルイスは口づけを落とす。


「駄目だよ。イザベルじゃないなんて、考えられない」

「どうして……」


 前髪で隠された瞳は不安で揺れていた。

 イザベルは怖いのだ。前世のように敵意を向けられ、暗殺されそうになることも、呪われることも。


(前はこんなに渋らなかった。まさか、イザベルも前世の記憶があるのか?)

(怖い。ルイス様の婚約者になりとうない……)


 前世の苦しみを思い出し、イザベルは小さく震えた。まるで自分を守るかのように、ギュッと自分の腕を抱きしめる。

 苦しみに耐えられたのは、帝を愛していたからだ。命を懸けてでも、彼といたかった。けれど──。


(われは、他の誰かを愛すことはない。あのような痛みも苦しみも、もう耐えられぬ。耐える理由もない……)


「申し訳ありませんが──」

「俺が皇太子だから? 王位継承権を放棄して、臣籍降下しんせきこうかすれば、安心してくれる? あぁ、でも廃嫡はいちゃくしても色々と煩わしいことが多いか。他国で暮らした方がいいかもね。イザベルはどう思う?」

「どうって……」

「国なんか、一緒に捨てちゃおうよ」

「なりませんわ!!」


 大きな声が出た。


(ルイス様が王位継承権も国も捨てる!? そんなこと、あってはならぬ。まだ十五歳という若さじゃが、既に重要な国政を担っておられると聞く。ルイス様が王位継承を放棄すれば、国は荒れてしまうじゃろう……)


 辛いことも苦しいことも、人よりたくさん知っている。

 だからだろうか。誰かが不幸になると分かっている未来が恐ろしかった。


「大丈夫だよ。俺には弟も妹もいるし」


 ルイスは、イザベルを安心させるかのようにゆったりと言う。

 けれど、 一体何が大丈夫なのか。イザベルはルイスの言う大丈夫の意味が分からなかった。

 ルイスに弟も妹もいるのは事実だが、後継者はルイスなのだ。

 大丈夫も何も、何一つ大丈夫なんてことはない。


「そんな心配そうな顔をしないでよ。二人とも念のため後継者教育を受けているし、父上に務まるくらいだ。どうにかなるよ」


 責任感を微塵も感じさせず、失礼極まりない言葉。本当に国がどうでもいいと思っているように聞こえる。

 ルイスがきちんと仕事をして自身の評判を上げていたのは、立場を盤石なものにして、イザベルを守る準備をするためでしかない。

 王位を継ぐのだって、イザベルを他の男に取られないようにする防波堤ぼうはていくらいにしか思っていない。

 皇太子という地位が防波堤として役に立つから、国民が安心して暮らせるようにと、先頭に立って王族としての義務を果たしてきた。

 だが──。


「イザベルが王妃に興味がないのなら、俺にとっても王になることは無意味なんだよ」


(いくら国を守ったところで、本当に守りたい人を守れなかったら意味なんかない。そんなことは、とっくに前世で思い知った。小夜が地位を望まないのなら、そんなものに価値なんかない)


 ルイスの中心はイザベルで、それ以外はイザベルのための手段でしかない。

 恐ろしいまでのイザベル至上主義。

 イザベルのためなら、国を捨てることも、滅ぼすことも、笑顔でできてしまう。

 彼女が愛している帝は、愛する人の死によって変わってしまっていたのだった。

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